西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

サッカー、オーストラリアに逆転負け

2006-06-13 | 時論、雑感
ワールドカップサッカーで日本はオーストラリアに1-0で勝っていたのに後半最後の9分に3点も入れられて負けてしまった。私は今朝が早いので昨夜は中村が前半に1点入れたところまで見て寝た。今朝起きて負けたことが分かったのだが、今夕の夕刊各紙によると、ジーコ監督が1点をリードしているのだから、ばてばてになっているディフェンスを早めに替えるべきなのに、そうしなかったことも敗因ではないか、とのことだ。素人に分かりやすい分析だ。
次回のクロアチア戦では、リードしたら早めに替えてほしいと切に思う。見ていた皆さんの敗因分析はどうですか。

茨木の二高校訪問

2006-06-13 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
先だって、茨木の北西山側の関西大倉高校(私学)を訪問したと書いたが(6ブログ月9日)、今日は同じく北西山側の二高校、向陽台(私学通信制)と追手門学院(私学)に行った。向陽台高校1998年卒にワールドカップ選手登録の稲本潤一選手がいる。今日はピッチに出ていなくてオーストラリアに負けてしまった。訪問時に話題にしたら対応の先生は喜んでくれた。先生は、通信制の良いところは、サッカーやテニスやゴルフに打ち込みつつ時間を見つけて高校卒の単位が取れることだ、と言う。
ところで、それらには自家用車なら楽に行けるかもしれないが、私は公共交通手段と「歩き」が中心なので行き来に苦労した。まあ、茨木市は先だってに続き2回目位の訪問だ。先だっての関西大倉の場合は、タクシーで行き、スクールバスでJR茨木駅に戻った。更に昔、千里中央からモノレールに乗って阪急の南茨木まで来たことはある。今日は、JR茨木駅からバスで往復することにした。茨木市中心部から見て、この北西部丘陵部には多くの教育施設がある。大学としては、追手門学院大学、梅花女子大学・短大、短大は、常盤会短大、高校は、私の個人で行った三校のほかに別に複数人で行った福井高校(公立)もある。西の方に行くと北に箕面市、南に吹田市があり、JR茨木市駅前から4番線で阪急、近鉄、京阪バスが出ているが、京阪は枚方に通じている他は、吹田の阪大病院や万博公園にもバスがでているし、スクールバスを出している関西大倉、向陽台(全日制の摂稜高校)、追手門学院全てから千里方面にもバスが通じていた。ここいらの学校は当然、茨木、高槻方面だけでなく吹田、箕面方面も「睨んでいる」のだ。それで、ある意味で似ている茨木の北西丘陵部と高槻に北部丘陵部の位置づけの違いを認識できた。JR茨木から近鉄バスが阪大病院に向け走っているなんて初めて知った。近鉄としては方向違いなのに、どうしてかな、と思った。二つの高校訪問は、それなりに「成果」はあったが、私が空間を動くと、どうしても地域計画的視点から見てしまうのは止むを得まい。

近代建築史に入る

2006-06-13 | 住まい・建築と庭
平安女学院大学での講義、かけあしの『建築史』で「近代建築史」に入った。18世紀中頃の産業革命から現代にいたる時期である。まあ日本では明治以降(1868年以降、19世紀後半以降)となる。西洋でも1851年のロンドン万博で「水晶宮」が出来た頃以降、鉄骨、ガラス、鉄筋コンクリートの所謂「近代建築」が台頭し、新興アメリカのシカゴなどで高層ビルが建ち始める。それまでの18世紀から約1世紀のヨーロッパは、古典主義、ロマン主義そして折衷主義の時代だった。古典主義は「ギリシャ、ローマに帰れ」ロマン主義は「中世の起源に帰れ」そして折衷主義は、それらの「いいとこ取り」であった。古典主義におけるパリのパンテオンは古代ローマのパンテオンに似ているし、南ドイツのレーゲンスブルグのワルハラ殿堂は古代ギリシャのパルテノン神殿に似ているが、いづれも近代ヨーロッパの建築だ。ロンドンやパリに行って、古代ギリシャ、ローマの建築に似たものがあれば、18世紀中期以降のものと考えたほうが良いのである。ロンドンのローマ時代のものと言えば植民市ロンディニウム時代の要塞の残骸(現在のロンドン博物館横ーブログ06年1月10日、05年9月24日参照)位であろう。私自身にも勉強になった。

門脇禎二先生のうわさを聞く

2006-06-13 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
私が奈良女子大に赴任した1974年頃、門脇禎二先生(日本古代史専攻)は、奈良女子大学の学生部長ではなかったか。先生は、その後、奈良女子大にいると、学長にたてまつられる恐れがあるのを避けて京都府立大学に移られたが、ここで学長に推され、そこを辞められて橘女子大(現・京都橘大学)に移られても、又、学長をやられた。日本古代史の泰斗であり「親分肌」だった。私の書架には『吉備の古代史』がみえる。日本の古代国家の形成過程を丁寧に追われていた。
私が奈良女子大の副学長の時、丹羽雅子学長の下で組織された「運営諮問会議」の議長をしていただいた。奈良女子大を心から思っていただいたと思う。奈良女子大におられる「若い」時、先生と一緒にお酒を飲んだこともあるが、お宅では子供さんは皆お嬢さん(4人?)で「回りにはべらして飲むのは気分が良い」と言われていたのを思い出す。一番上のお嬢さんは慶応大学に行っておられた。先生は、もう80歳にはなっておられるだろう。最近、風の便りで「脳梗塞」で入院、回復されたと聞いた。是非、元気になっていただき、もう一度、談論風発の酒を一緒に飲めたら良いと思っている。