西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

カラスのゴミ場あさり

2006-06-22 | 地域居住学
今日は木曜日、ゴミの日だ。朝起きてゴミ袋や箱を出した。で、ゴミ置き場にカラスがいて、ゴミをつついているのが目撃された。一応、出されたゴミにはネットがかけられているのだが、カラスは、その下に口ばしを突っ込んで食べれそうなものを引きずりだしているのだ。私は「し!し!」と追ってからゴミをネットの下にいれ、カラスの口ばしが入らないようにした。
家内に自動車で高の原に送ってもらってから、帰ったらカラスは仲間を連れてきて更にゴミ置き場を荒らしていたようだ。まあ人間とカラスの知恵比べ、我慢比べが当分続くことになるだろう。これも居住地管理の一つの問題である。

「コミュニティ」の分節化と活性化

2006-06-22 | 色々な仮説や疑問
SNSのmixiに参加して4日が経った。この機能に、知り合いとリンクを張ることと、あるグループ、これを「コミュニティ」と言っているのだが、そこに参加すること、これらがあることが単なるホームページと違うところだ。
で、私は紹介してくれた「FUTAN」さんと彼が立ち上げた町づくり関係の「コミュニティ」と先ずリンクを張った。その後、考えて見ると、まず第一に、歴史的に過ごした組織(私の場合は皆学校だが)に「コミュニティ」があるかどうかチェックして、あれば入ってみること、第二に、地理的に居たところ、調査や観光で行った所に関しても「コミュニティ」があるかどうかチェックしてみることが大切と思った。後者は「イギリス」を除いて未だやっていない。いずれやりたい。前者では、金沢の小学校、中学校そして勤めた豊田高専、奈良女は見つけて「コミュニティ」に入って「挨拶」しておいた。
ところで、これらの「コミュニティ」のサイズを見てみると、数人から数十人はまあ実際の「向こう三軒両隣」やそのいくつかの集まりなので認識も出来、情報やりとりで活性化も出来るだろうと思うが、数百、数千の「コミュニティ」になるとどうなのか、頭を抱えてしまう。組織して放っておいてメンバーはドンドン増えるが、内実はどうなのか、工夫する要があろう。多分、組織の「コミュニティ」の責任者が、一定のグループ分け、分節化を提起し、絶えず全体にも問題を提起してコメントを求め、活性化しつつ一定の「結論」も得ながら進んでいくべきではないか、と仮説的に思っている今日この頃ですが、皆様如何でしょうか。

夏至、梅雨、今日この頃

2006-06-22 | 時論、雑感
昨日は夏至だった。今日は雨が本格的に降り、梅雨だなあと思う。「つなね」の書斎の窓からから中庭を見ると雨が緑を洗って目に気持ちが良い。
mixiも一寸眺めて金沢時代の小学校、中学校のコミュニティがあったので入った。どうも出身大学(京大建築学科)等のコミュニティはないようだ。関連で「武田五一」というのがあったので入ってみた。まあ、ないものは自分で作るしかないと思うが、どうしようかな。「ふじた」さんの記事を読んで『東洋経済』を駅売店で買ってざっと読んだ。WEB2.0という言葉遣いが初めて分った。去年の今頃にブログを始めて、1年経ってSNS(Social Network System)の「mixi」にぶつかったのだ。ブログとmixiをどう使い分けるか、新たな問題であろう。試行錯誤で進みたい。乞う応援!

新井 満著『自由訳 般若心経』を読む

2006-06-22 | 生活描写と読書・観劇等の文化
新井 満さんに会ったものだから、『千の風になって』に続いて『自由訳 般若心経』(朝日新聞刊)を読んでしまった。mixiにもレビューしたが、こちらにも転載しておきたい。(一部編集増補)
「電通」に勤め、ノルウエーのリレハンメルで次の長野冬季オリンピックのデモンストレーション総合プロデューサーを務めていた新井 満は直前にお母さんの死に目にあってデモンストレーションに参加せず、新潟のお母さんの元に帰った事が『般若心経』を訳そうとなったのだ。お母さんの遺品にそれがあったためだ。リレハンメルでも「風」がキーワード、『千の風になって』でもキーワードは「風」だ。『般若心経』の「色即是空 空即是色」の最初の「空」とは「全てが風になる」とも解釈できる。昔、生命科学者の柳澤桂子さんの「般若心経」の話をテレビできいたこともある。(私のブログ06年3月21日参照)しかし、又、空は色になるのだ。万物流転である。 最後の「ぎゃあてい ぎゃあてい・・」というのは赤ん坊が生まれて泣く「おぎゃ おぎゃ・・」である、との新井解釈も面白い。
瞬点の我が宇宙を想う時心頭の広々とする 市路
いい本だった。