西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

近江隆東北大学教授定年退職記念冊子受け取る

2006-06-26 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
今日、近江隆東北大学教授の定年退職記念冊子『空間の社会・建物の社会』を受け取った。今年3月に退職で私より「1年後輩」ということになる。彼は、東北大学建築学科の佐々木嘉彦先生の研究室の出身だ。この冊子をぱらぱらと読んで、彼が2年生の時に「建築学生会議」で京大にやってきて絹谷祐規助教授(当時)に話しかけられたことを知った。私も4回生で当時、京大にいたのだが会う機会がなかった。その後、「若手」研究者としての交流があった。農村のことを取り上げた学位論文を貰ったこともある。いつぞや教え子の結婚式で山陰に行ったとき、彼も参加していて(教え子が仙台に行って近江さんの世話になったようだ)偶然会って彼から「今、カヌーでの川くだりに熱中している」と聞いて「へー」と思ったものだ。私は彼は仙台と言う地の利を活かしてづっと農村計画の問題に取り組むのかな、と思っていたが、その後、仙台でも増えてきたマンションの問題に取り組んだようだ。彼の東北大先輩で、京大大学院では私と同期の梶浦恒男さんのマンション取り組みから影響を受けたかもしれない。今は又、農村、樹木保全等に関心が回帰してきたようだ。ゆっくりと駄弁りたいと思っている。

住戸選択のトレードオフ

2006-06-26 | 住まい・建築と庭
戸建てで、道路の端か、中に入ったところか。:道路の端で四つ辻になっている敷地は、一寸した商売をするには向いている。大体、端に造られる公園、集会所、ゴミ置き場等には一番近く便利だが、「迷惑」にも近い。端は風通しが一番良いが、台風の時は一番困る。
集合住宅で、地上階か最上階か中間階か。左右の端か真ん中か。:地上階は階段上がらず楽、地面を一番いじれる。が、外から中を見られやすく泥棒も入りやすい。最上階は見晴らし良く風通しも良いが、上がり降りに苦労し、太陽日射を屋根に受けて暑い。中間階は、ほどほどだが上下に挟まれてプライバシイは低い。
左右の端は、熱の逃げが多く光熱費が相対的にかさむ、真ん中は左右、上下から壁・床を通じて熱の流入がありえ、光熱費は安い。
さて、皆さん、どうしますか。

日本国「公式高齢者」になった感想

2006-06-26 | 生活描写と読書・観劇等の文化
本日、小生は無事に満65歳に到達した。いわば日本国の「公式高齢者」に今日から仲間入りだ。今日のことは、洒落では「露天風呂の日(6.26の日、これは実際にある)」、少し教養をひけらかすと「モーツアルト作曲の曲目を整理したケッヘル番号最後(626)の日」と言っている。それは「レクイエム」である。
とにかく、今はなき祖父母と両親の庇護や、日ごろ家族や友人達に陽に陰に支えていただいたお蔭と深く感謝したい。年金は基礎年金として国民年金が出ることになる。今後やりたいことは色々あるが、半顧半望(はんこはんぼう)でスロー・アンド・ステディで進みたい。JRの「ジパング倶楽部」にも入って「安い」旅行もしたい。今後とも宜しくお願いします。

共感の構造

2006-06-26 | 色々な仮説や疑問
ブログ、mixi、ホームページ上で様々な情報が飛び交っている。それらを読んだりして共感するとは、どういうことだろうか。共感のベースには同じ空間、同じ時間を過ごしているということがある。その空間や時間についてスケール感覚は皆違っているのではないか。今、仮に「町づくり」についてWeb上で議論しているとしよう。当然、読む人は具体的に例えば自分の住んでいる町、住んだことのある町、内外で行ったことのある町、専門家なら行って調べたことのある町などを思い浮かべながら議論に参加したり、読んだりするだろう。それで、若干「ベース」がずれていても許容範囲で共感の感情が生まれる場合もあるが、心底「本当だなあ」と思うためには、やはり最終的にはリアルな「町」を共有する以外にないのかもしれない。しかし、「都市、農村交流の必要性」などは農村経験のない都市住民にも是非、理解・共感して貰いたいところだが・・。放っておくと「我々から多くの税金を取って農村に回している」という感情が都市住民に起こりかねないのである。
まあ他に「岡目八目」ということもあるけれど・・。昔、西山先生から「住んでいる人より、旅行者がポイントが分かることがある。住んでいる人は当たり前と思っていることでも旅行者には新鮮に感じられることもあるからだ・・」と伺ったことがある。