西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

暴走エレベーターの原因は?管理への情報開示の必要性

2006-06-15 | 住まい・建築と庭
シンドラー社のエレベーターが港区で問題を起こし高校生が死亡した事故が起こった。このエレベーターはシンドラー社と関係がない「独立系」と言われる管理会社が管理していた。「独立系」は、全体の1割位だ。後の9割は「メーカー系」である。とにかく事故の原因は、ブレーキ系か制御系かと言われるが、「独立系」管理会社にはメーカーから管理にあたっての注意事項が伝達されていなかったようだ。
前にもブログに書いたが、計画、生産、設置と管理は引き続く過程なのだから、管理が「メーカ系」であろうと「独立系」であろうと、同じように注意事項等の情報は計画、生産側から伝達されてしかるべきだろう。
これは、制度的に整備される必要があろう。

私の考え出した言葉(51)ご観光とご感動ー平安女学院大学の来年の改組でー

2006-06-15 | 私の考え出した言葉
ご観光は五感行(考)とは05年7月17日のブログで書いたことだ。
同じように、ここでは、ご感動は五感道である、と言ってみたい。ある意味では「言語遊戯」である。前の「ご観光は五感行」というのは、「ご観光は、即ち五感全体を楽しませ活性化するための旅行に他ならない」ということだ。で、「ご感動とは、五感それぞれの道を究めたところに生まれるのではないか」ということだ。
来年、平安女学院大学では、国際観光学部と生活福祉学部を立ち上げるが、そこでは正に「五感道(ごかんどう)」の追求が必要だ。嗅覚については「香道」という道があるが、「視覚道」「聴覚道」「味覚道」「触覚道」というのは、まだはっきりしていないのでは、と思う。まあ華道は視覚が中心、茶道は味覚が中心だが、それだけではなく複合している。それらも整理する要がある。とにかく世界中を旅しながら、また地域に密着しながら「五感道」を究めていきたいものだ。

近隣住区論とアテネ憲章ーInter-war Era(大戦間時代)-

2006-06-15 | 地域居住学
第一次世界大戦が終わった1918年(その前年に「ロシア革命」が起こった)からナチス・ドイツがポーランドに攻め込んで第二次世界大戦が勃発する1939年9月1日までを「大戦間時代」(Inter-war Era)と言う。この時代に都市計画分野では、アメリカでC.A.ペリー(Clarence Arthur Perry)が1924年に「近隣住区論」(Neighborhood Unit Theory)を提唱、これは自動車時代を前提に、イギリスの田園郊外論を引き継いだものである。この実例がラドバーン計画であり、歩車分離の「初めて」とも言える計画だった。
又、これらの住居地域の計画的形成を前提に、ヨーロッパでは1933年にル・コルビュジェ等の参加したCIAM(近代建築国際会議)運動の下に「アテネ憲章」が発表された。1933年というとナチスがドイツで政権を握った年である。「アテネ憲章」では、都市機能を四つ即ち働く、住む、レクレーションする、それらを結ぶ交通にわけ、それらがキチンと実際も分けられているべきとした。その他五つ目のこととして「歴史的環境の保全」をあげていて極めて先進的である。これらは、結局、第二次世界大戦後(1945年以降)色々と応用され実践もされていくのである。勿論、現代の時点では、再考すべきは論を待たない。

藤森神社の紫陽花

2006-06-15 | 奈良の思い出(助教授時代)
何時から何時まで行っていたのか不明だが、恐らく奈良女の助教授時代のことだろう。奈良女の住居出身の関川千尋先生が京都教育大学の先生をされていて、頼まれて「コミュニティ計画論」の講義を非常勤でしに行っていたのだ。確か、中山徹先生にバトンタッチした記憶がある。
それで、丁度今頃というか梅雨時に、少し早めに行って京都教育大学の隣りの藤森神社に紫陽花を見に行った。ここは、紫陽花が名物だ。梅雨になると思い出す。
本当に、花は途切れなく年中「棲み分けて」咲くものだ。