西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

「寝殿造りに帰れ!」などと言えるかな

2006-06-14 | 住まい・建築と庭
西洋の近代建築には、古代(ギリシャ・ローマ時代)に帰れ!の「古典主義」、中世(自国の伝統)に帰れ!の「ロマン主義」の時期があったと学んだが、日本では、思想や文学等では「古典に戻れ」みたいなことがあるにせよ、建築運動で「古代に帰れ」みたいなことは今まで聞いたことがない。何故、西洋にそういうことがあって日本にはないのだろうか。西洋の近代と日本の近代は、時期的に少しづれていて、西洋の方が早く始まっているが、まだ近代材料の鉄骨、ガラス、鉄筋コンクリートが普及しない頃には、石や煉瓦でつくっていて、それらは古代から使っているので共通性があること、近くで行き詰ればそういう古代の造形に材料も一緒なので一度帰ってみようか、となりやすい。日本の近代は明治維新後で、西洋の近代材料の建築を追いかけたので、古い木造の建築は当座見向きもされなかったのだろう。しかし、ここに来て一度「寝殿造りに帰れ!」などと言ってみるのも面白いのでは、と今日この頃考えている。建物配置、庭の造りなど考えようでは極めて現代的、私は京都のコーポラティブUコートを「現代寝殿造り型集合住宅」と呼んでいる。

三億円の汚職事件

2006-06-14 | 言語・字・言語遊戯
ある時、「最近、ある人が三億円の汚職事件で捕まったそうだ・・」と話していたら横で聞いていた子供。「そんなに貰っても一生食べきれないのに・・」ととんちんかんなことを言う。良く聞いてみると、「汚職事件」ではなく「お食事券」と思ったのだ。子供の耳は、洒落の耳だな、と思った。

田圃と住棟の混じりあい

2006-06-14 | 住まい・建築と庭
昨日、茨木市の「郊外」に出かけた。田圃と住棟(マンション等)が混じりあっている風景の中を歩いた。丁度、今頃は田圃に水が張られ、苗も根付いて水の上に顔を出して風にそよいでいる。すぐ近くの住棟の影が水面に映っている。
昔、私が30歳台に京都市左京区松ヶ崎に住んでいたことがある。当時、そこでも田圃と住宅(この場合は建て売り住宅が主)は混じっていた。それで、田圃では夜は蛙の大合唱になって五月蝿い感じだったが、まあ自然音なので「いいか」と思っていたら、ある若い奥さんが警察に電話して「五月蝿いから殺してよ」と言ったという話が伝わってきた。私は、自然音はSoundと思うが、Noiseと感じる人も増えているらしい。海岸のペンションで波の打ち寄せる音で眠れないと苦情をいう人もいるようだ。田圃では、蛙の鳴き声の他に苗や水や泥やの自然風景も提供する。まあ混じりあっている特長だが、余り度が過ぎると、日照や風通しが悪くなって稲そのものに悪いし、住宅からも「虫食い開発(スプロール)」となる。ほど良い自然との混じりあいとは何かを考えさせられる「歩き」だった。
水上に顔出しそよぐ早苗かな 市路