ブログ06年2月15日に「食事の場所」で奈良の「まぐろ小屋」を描写している。今回は、奈良女子大学寮の南側にあった「末広」を紹介する。「あった」と言うのは今はないからである。ここにはカウンターと奥の和室があって、私はどちらも経験している。故・湯川利和先生や瀬渡章子さん(現・奈良女子大学教授、防犯生活空間論)と一緒に行ったこともある。梁瀬度子先生、磯田則夫先生とも行った。住居の卒業生が就職1年目で「辞めたい」と相談にきた。その「子」とここで昼食を食べながら「石の上にも三年、というのだからもう二年我慢して、やはりと言うなら相談にのる」と私は言って、結局、彼女はづっとそこで働き、なくてはならない存在になっている。毎年の年賀状で元気な写真を見るのも楽しみだ。その後、結婚もして「幸せ」に暮らしていると思う。奈良県庁の人やNHK奈良放送局の人も良く来ていた。私は大抵「野菜炒め」を注文した。ここの「おばさん」は足が急に悪くなって止めざるをえなくなったのだ。今は別の「店」になっている。
はじめての町
はじめての町に入っていくとき
わたしの心はかすかにときめく
そば屋があって
寿司屋があって
デニムのズボンがぶらさがり
砂ぼこりがあって
自転車がのりすてられてあって
変わりばえしない町
それでもわたしは十分ときめく
見なれぬ山が迫っていて
見なれぬ川が流れていて
いくつかの伝説が眠っている
わたしはすぐ見つけてしまう
その町のほくろを
その町の秘密を
その町の悲鳴を
はじめての町に入っていゆくとき
わたしはポケットに手を入れて
風来坊のように歩く
たとえ用事でやってきていてもさ
お天気の日なら
町の空には
きれいないろの淡い風船が漂う
その町の人たちは気づかないけれど
はじめてやってきたわたしにはよく見える
なぜって あれは
その町に生れ その町に育ち けれど
遠くで死ななければならなかった者たちの
魂なのだ
そそくさと流れていったのは
遠くに嫁いだ女のひとりが
ふるさとをなつかしむあまり
遊びにやってきたのだ
魂だけで うかうかと
そうしてわたしは好きになる
日本のささやかな町たちを
水のきれいな町 ちゃちな町
とろろ汁のおいしい町 がんこな町
雪深い町 菜の花にかこまれた町
目をつりあげた町 海のみえる町
男どものいばる町 女たちのはりきる町
こういう万華鏡のような町が花盛りの日本列島を夢見る
私の好きな茨木のり子さんの詩だ。
はじめての町に入っていくとき
わたしの心はかすかにときめく
そば屋があって
寿司屋があって
デニムのズボンがぶらさがり
砂ぼこりがあって
自転車がのりすてられてあって
変わりばえしない町
それでもわたしは十分ときめく
見なれぬ山が迫っていて
見なれぬ川が流れていて
いくつかの伝説が眠っている
わたしはすぐ見つけてしまう
その町のほくろを
その町の秘密を
その町の悲鳴を
はじめての町に入っていゆくとき
わたしはポケットに手を入れて
風来坊のように歩く
たとえ用事でやってきていてもさ
お天気の日なら
町の空には
きれいないろの淡い風船が漂う
その町の人たちは気づかないけれど
はじめてやってきたわたしにはよく見える
なぜって あれは
その町に生れ その町に育ち けれど
遠くで死ななければならなかった者たちの
魂なのだ
そそくさと流れていったのは
遠くに嫁いだ女のひとりが
ふるさとをなつかしむあまり
遊びにやってきたのだ
魂だけで うかうかと
そうしてわたしは好きになる
日本のささやかな町たちを
水のきれいな町 ちゃちな町
とろろ汁のおいしい町 がんこな町
雪深い町 菜の花にかこまれた町
目をつりあげた町 海のみえる町
男どものいばる町 女たちのはりきる町
こういう万華鏡のような町が花盛りの日本列島を夢見る
私の好きな茨木のり子さんの詩だ。
今日、積水ハウス住宅総合研究所で西山記念文庫と積水ハウス研究所の共催の研究会があり、久しぶりに参加した。開会にあたり積水ハウスの高城亮一さんの提案で、先だって亡くなった西山記念文庫の安藤元夫理事長(近畿大学教授)に対する黙祷から始まった。今日は、西山記念文庫側から海道清信名城大学教授が中部圏(名古屋圏)の郊外戸建て住宅地の傾向と将来について講演し、海道さんの紹介で椙山女学院大学の村上 心助教授がコメントした。海道さんは京大の「西山先生」系統だが、村上さんは東大の「内田研」出身だ。「異文化競演」は面白い。広原盛明さん(龍谷大教授)が司会をした。講演、コメントの後、私は海道、村上さんに質問(問題提起)した。
そもそも戸建て住宅地は、今後こうあるべきだ、あああるべきだと言っても、それを推進する「組織」「システム」がはっきりしていないのではないか・・。まあマンションにあるような「管理組合」がないのである。これに対して海道さんは、町づくり運動や自治会の役割を強調、村上さんは居住地に住む建築・町づくり専門家の役割を強調した。フロアの塩崎賢明さん(神戸大教授)は、日本でもアメリカにあるような「HOA(Home Owners' Association持ち家協会)」が必要、積水も「HOA」付で売り出したらどうか、と提案したが、積水は未だ新築が売れるのか、未だ管理、再生等に非常に熱心とは言えない感じだった。とにかく、郊外戸建て住宅地で、その住宅地の管理、改善に責任を持つ組織、システム(住民、行政、業者等による)が是非必要だ、そしてそれに専門家がどう絡むかが重要ということが明らかになった、と思う。
そもそも戸建て住宅地は、今後こうあるべきだ、あああるべきだと言っても、それを推進する「組織」「システム」がはっきりしていないのではないか・・。まあマンションにあるような「管理組合」がないのである。これに対して海道さんは、町づくり運動や自治会の役割を強調、村上さんは居住地に住む建築・町づくり専門家の役割を強調した。フロアの塩崎賢明さん(神戸大教授)は、日本でもアメリカにあるような「HOA(Home Owners' Association持ち家協会)」が必要、積水も「HOA」付で売り出したらどうか、と提案したが、積水は未だ新築が売れるのか、未だ管理、再生等に非常に熱心とは言えない感じだった。とにかく、郊外戸建て住宅地で、その住宅地の管理、改善に責任を持つ組織、システム(住民、行政、業者等による)が是非必要だ、そしてそれに専門家がどう絡むかが重要ということが明らかになった、と思う。
5月31日(水)に平安女学院大学の「チャペルトーク」で「バングラデシュに住んで」を聞いて、後でお茶で短時間歓談した。海田礼子さんは海田能宏さん(京大名誉教授、元東南アジア研究センター)の夫人で、現在、能宏さんについてバングラデシュに「住んで」いる。能宏さんは発展途上国の「農村開発」の専門家(元々は農業工学、灌漑技術専攻)で、京大を退官の後、引き続きバングラデシュに行き「農村開発」の研究とアドバイスをしておられるようだ。礼子さんの講演後の歓談も良かった。アジアで初めてノーベル文学賞を受けたタゴールの「ギタンジャリ」も知った。タゴールは大地主で生まれ育ちはインドのカルカッタの周辺のようだが、バングラデシュにも広大な土地を保有し、農業、農村開発にも携わったようだ。私は、住んでいる近くにタゴールに心酔し「タゴール農園」と銘打った農場を経営している人(青木正昭さん、ブログ「タゴール農園」で検索のこと)もいる、と話した。「ギタンジャリ」を「アマゾン」で注文し読んでみたいと思っている。中々一筋縄ではいかない人物だろう。
豊田高専時代の研究と教育について思い出しておきたい。卒業生のHIRO君達も時々はこのブログを見ているようなので、どういう気持ちで豊田時代を過ごしたか語っておきたいと思う。その時代は、1966年~1970年のほんの4年間だったが、いわば「社会大学」初期を駆け足で過ごした感じだ。24歳から28歳の頃だ。2年間は助手、2年間は講師だった。また2年間は独身、2年間は家族もちで娘も生まれた公私とも激動の時代だったとも言える。助手の時代からスタッフの関係で若干の講義をもたされた。講師時代は、都市計画、建築一般構造、建築施工を教えたと思う。勿論、設計製図も担当した。都市計画は、まあ何とかなる感じだったが、他の二つは学生時代に大学で習っただけである。建築一般構造は、当時は同じ高専におられた山本和夫先生に、京大時代に丁寧に習い(05年10月25日ブログ)、大倉三郎先生著の教科書もあり、それをしっかり予習して講義すればよかったが、施工には弱った。大学での講義は、棚橋 諒先生の「短い」講義しか聞いておらず、どうしようか、と思った。当時発刊の『施工』という雑誌をとり勉強、大学時代に夏休みに金沢の現場で実習した経験も役に立った。今で言う「インターンシップ」である。勉強のおかげで、「クリティカル・パス・メッソッド」という並行する多様な工事を分析して、一番先にやらないと後が滞る「クリティカル・パス」を見つけて、そこをまずやるという現場管理法があることが分かった。それまでの並行する「棒状管理」と少し違うもので段取りの合理化、見易さ追求であるが、あれは今どうなっているのだろうか。現場実習の記録を作れ、と学生に言ったら、2期生のK君は、驚くべき克明なものを作って私を驚かせた。記念にコピーさせてもらったが、豊田時代の段ボールの何処かに入っているだろうか。