西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

「つなね」シネマクラブで「市民ケーン」を見る(1500コンテンツ目)

2006-06-04 | 生活描写と読書・観劇等の文化
この記事が記念すべき1500コンテンツ目だ。思えば昨年の6月25日から1年弱でここに到達した。昨年の9月にヨーロッパに行っていた10日間位が「ブランク」で、あとはほぼ毎日updateしている。平均で日に4件強位のコンテンツだ。今後は少しペースダウンしようと思っている。
さて、今日の夜「つなね」シネマクラブで「市民ケーン」(CITIZEN KANE)を見た。ブログ1500番目記念としては良いのではないか。この映画は見たい見たいと思っていた「古典」名作、私の生まれた1941年作と言うから「古い」。勿論、白黒。監督・主演のオーソン・ウェエールズが25歳の時の作品、モデルの「新聞王」ハーストが亡くなるまで「妨害」され広く上演されなかったようだ。今日の観客は、男性4人、女性3人の7人だった。見終わって、大分前に一度見た場面が記憶で蘇った。最後の方でケーンが三番目の奥さんの歌手スーザンが別れて去った後、スーザンの部屋をめちゃめちゃにする場面である。アメリカでは過去、何時でもこの映画が人気一位になるというのは、勃興資本主義での富豪になるストーリー、ジャーナリズム、政治、スキャンダル、離婚、本当の愛などのテーマが組み込まれているせいかな。それと、ケーンが死ぬときに呟く「バラの蕾」(Rosebud)という謎の言葉を追求していくことで筋が展開していくが、結局は、大きく複雑なジグソーパズルのような人生での「ほんの一こま」が重要ということを示唆しているようでもあり、面白かった。

「つなね」に久しぶりに行く

2006-06-04 | 住まい・建築と庭
私の書斎のある「つなね」に久しぶり(?)に行った。午前10時から二ヶ月に一回の住民集会が集会所であるのと午後に大阪ガス関係の雑誌『CEL』による外観写真撮影があるためだ。午前7時からの「草引き」には出られなかった。
行くと、中庭や集会所南庭の「緑」が少しずつ濃くなっている。しかし、中庭の上の方に植え替えた楠木が元気がなく葉も虫が食って少なくなっている。とにかく水を頻繁にやって、肥しも入れよう、となった。南庭には向かいの高校の松ノ木から飛んで来た松が若木で出てきているが、これについては、「今しばらくは待つ(松)が良かろう」で8月の会に結論を出すことになった。
今年は、各戸の下水管の清掃の年で、業者に見積もりを取って、ほぼその線で9月以降に実施することになった。
『CEL』の外観写真撮影は、今日の午後と急だったが、プライバシーに配慮し、私が立会い、校正刷りも見ることでOKとなった。次回8月には、見学や取材受け入れについて皆で思いを出し合って議論することになった。

左京区浄土寺下南田町のアパート

2006-06-04 | 京都の思い出(学生時代)
晴れて京大2回生になり、宇治・黄檗から京都市内に移ってきたのは、1961年4月である。最初は、宇治寮の続きで吉田寮に入ろうかと思ったが、色々と聞いて止めた。下宿を探そうとして、結局、宇治寮の時のルームメートの山根恒夫君(現・名古屋大学名誉教授)と一緒に左京区浄土寺下南田町の学生アパートに入ることになった。ここには4回生まで2年間いた。錦林車庫(きんりんしゃこ・・市電の車庫のあった所、今はバス車庫だ)から白川に沿って一寸上がった右手にあった。4畳半位の洋間の個室、トイレ、洗面は共同、部屋に「たたみベッド」ともいうべき台があって、そこに布団を置いて寝る。出窓がついていて窓外は、ここの大家の庭、花壇があった。1階に3室、2階に2室ではなかったか。5人のうち4人が京大生、1人が同大生だった。私は1階の真中の部屋、入り口の部屋は橋本峰晴君(電子工学2回生)、奥が同大生、2階の大きな部屋が京大医学部の先輩、もう一室が山根君だった。山根君とは年賀状やりとり等の付き合いがあるが、橋本君はどうしているだろうか。京大には吉田山越えで歩いていくか、電車で銀閣寺回りで行くか、だった。

イスラムとヒンヅー

2006-06-04 | 色々な仮説や疑問
私の子供の頃は、インドの東西にパキスタンがあって、東パキスタン、西パキスタンと習ったが、今はパキスタンは西のみで東がバングラデシュになっている。いずれにせよインドはヒンヅー教が主、パキスタンとバングラデシュはイスラム教が主である。先だっての海田礼子さんの話の続き(昨日のブログ参照)・・バングラデシュの町では、男性が目立って女性が殆ど見当たらない。女性は、旦那とか家族以外に余り見られてはいけない、というイスラムの教えによる。男性が買い物をして、例えばその食材で女性が料理するが、配分は自分が最後でおかずがなくなる時もある。だから米だけは多く炊くとのことだ。イスラムは厳格、息苦しいところがある。持参金が少ないと女性は苛められるらしい。ヒンヅーの方は、カースト制度が残っているとはいえ大らか、バングラよりインドに若者の旅行客が多い一つの理由ではないか、と海田さんは言う。そう言えば昔1960年代に小田 実さんの『何でも見てやろう』で若き小田さんがカルカッタで過ごす話を写真と共に思い出した。