お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

これからのお寺

2008年01月31日 | 本紹介
 青江美智子 著 「お寺に嫁いでしまった」扶桑社

 普通のOL生活から浄土真宗寺院(東京・浅草)の住職後継者と結婚し、まだ少々、戸惑いながら生活されている若坊守さんの著書です。

 インターネット寺院「彼岸寺」のブログをまとめられたものです。超宗派の僧侶達のインターネット寺院「彼岸寺」の僧侶仲間のお一人が著者の夫・若住職さんなのですが・・・

 今回、拝読するまで私、「彼岸寺」のことを知りませんでした。
 「彼岸寺」の中心人物に「松本圭介」師のお名前を見て、私オバサン、ハッと思い出しました

 彼(松本圭介)の著書「お坊さん、はじめました」ダイアモンド社

を読んだことがあったからです。

 彼は、1979年生まれの若い本願寺派僧侶・布教使です。
 東大(文学部哲学科)卒業後、お寺の息子じゃないのに、お坊さんになった方です。
 著書にもなった彼のブログから発展して「彼岸寺」が設立されたようです。
 
 お寺での音楽会「誰そ彼」や、無線LAN完備の寺院内カフェ「ツナガルオテラ 神谷町オープンテラス」のことも何かで目にしたことがありましたが、それを運営しているのが、彼だったんですねえ~。

 お寺を人が集まる場所に・・・、そして、これからの仏教伝道を「どげんかせんと、いかん」と立ち上がり、活動しておられる、若い僧侶の皆さんや若坊守さん方のやる気に、感動しています。

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お寺の付き合いはお金がかかる?

2008年01月30日 | 仏教
 先日、ある方が、「貧乏人は、お寺と付き合えない」と、仰った・・・
 (その方自身は、生活にお困りではないので、お寺(既成仏教)に対する周囲の気持ちを代弁されたものと思う)
  
 確かに、「お寺」という大きな道場をかかえていれば、護持費もかかり、多額の寄附が言ってきたり、戸惑われることもあるだろう。
 
 本当に生活に困られておられる方にとっては、法要にお参りしたくても、お布施を包むことを思うと、ためらわれるかもしれない。

 また、こうも仰った。
「だから、実際はどうなのかわからないけど、『お金がかからない』と言われる新興宗教のほうに入信している」

 ふむふむ・・・これは、葬儀代が要らない と、言われるアレですね。

 多額の葬儀懇志を、あろうことか、寺側から要求したりする既成仏教のお寺さんには、反省し、考えていただきたいのですが・・・

 でも、「貧乏人は、お寺と付き合えない」という、これって、普段からお寺と親しい付き合いがない方の「思いこみ」「憤り」「遠慮?」なんじゃないかなあ

 「お布施」を包まなきゃ、お寺と付き合えない・・・なんて、そんなことは決してないわけで・・・

 「今、借金かかえて、生活がちょっと大変」と実状を話して、気軽に寄ってくださるご門徒さんもおられますし・・・
「ウチは、多額に布施したくてもできないので、お寺の行事の手伝いは、喜んで奉仕させてもらいます」と、明るく仰る方もおられます。これも、尊い、有り難い、立派な「布施」です。
 
 実際、お寺やお寺のグループでは、お布施をいただくばかりでなく、「お布施のご心配は不要です」という研修会、法座もたびたび行っていますし・・・(なのに、出席者はいつも少ない

 私は、お布施の額より、たくさんの方にお寺にお出でいただいて、たくさんの方が仏教(仏の教え)に出遇って、その教えを歓んでくださることのほうが、もっとうれしいです。 また、それが、お寺を預かっている「寺の者」のつとめだと思っています。

 思いこみで「お寺」を敬遠する前に、ご自分のお寺(住職の私物じゃない、ご門徒お一人お一人の仏教道場のこと)を知るためにも、もっとお寺にお出でになってください~  そして、遠慮なく何でも仰ってくださ~い

 お寺を預かるお寺の者も旧態依然のままじゃ、いかん。守るべき伝統はしっかり守り、改めるべきことは、真摯に対応する・・・お寺も「どげんかせんと、いかん」のだと常々思っています。

 

  
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楽しむ

2008年01月29日 | 仏教
 先日届いた本願寺月刊誌「大乗」2月号

 「この人に聞く・ひとすじの道」で紹介されている方は、
 テレビドラマにもなった「Dr.コトー診療所」のモデルである鹿児島県・離島(甑島)の診療所・所長S医師です。
 
 昭和53年、30代で国立M病院の外科部長をつとめられていた優秀なS医師が、医師不足の村の窮状を見かねて「半年だけでよかったら」と赴任された。
 
 記事によると、

 それにしても半年の約束がもうすぐ30年。なぜ、こんなに長く? とたずねると、
 「理由はないなあ。気がついたら30年たっていたという感じ。楽しかったから、手応えがあったからとしかいいようがない」
「楽しかった、手応えがあった」という言葉の奥には、人々を救ってきたという医師としての自負があるだろう。そして島の生活から得た心の豊かさもあるだろう。

と、紹介されています。

 いいなあ、すごいなあ・・・

 そういえば、浄土真宗で「仏に成る」ということは、自分が悟りを得て満足、完結することではない。
 
 迷える人(自分で迷っている自覚もない凡夫)を悟りに導こうと、楽しんで、「はたらく」、そういう「はたらき」に成ることを意味します。

 仏さまの「はたらき」とこの世の仕事の「働き」は、次元が違うことでしょうが・・・それでも

 最近流行の、人を欺いてまで自分が金儲けするために働くのではなく・・・

 また、「仕事だから」と悲壮感漂わせ・・・あるいは、義務感で眉間にしわをよせて・・・仕方なく働くのではなく、
 
 お役に立てることが歓びだから・・・人の笑顔がうれしいから・・・自分がそうしたいから・・・

 S医師の「楽しむ 働き」に仏教をみたのであります。

 
 ちなみに「大乗」は、最近、大型書籍店・仏教書のコーナーに置いてあります。

 
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海外から訃報

2008年01月28日 | 雑感
 一昨年九月末、法専寺にも滞在したオーストラリアの妹みたいな友人ジャンのお父さんI氏が亡くなられたとの知らせがありました。
 
 もう、30年近く前のことになりますが・・・
 当時16歳のジャンが、交換留学生として1年間、私の母校でもあるK高校に通学。
 当時、パース(オーストラリア西海岸の都市)のG高校の校長をされていたジャンのお父さんが、直方のK高校とパースのG高校の姉妹校締結のため、家族(ジャンの母上と妹)を伴って来日。
 我が家(実家)に滞在されたことがあります。

 コーヒーより紅茶がお好きな、穏やかなイギリス紳士(お父様がイギリスからオーストラリア移住)でありました。
 
 その後、こちらから父たちとパースを訪問したのを最後に、私は、長らくお会いしていませんが、数年前、今度は、長女がお世話になったり・・・
 ジャンを通じて、長年、親しくさせていただいてきました。

 I氏の訃報が届いたきょうは、ちょうど父の五七日でした。
 
 実家で、E寺ご住職と共に「正信偈」をおつとめしながら、I氏を偲び、
「ああ、年を重ねるということは、こうして、親しい人を次々失っていくのだな」

と、あらためてジーン。 ジャンやご家族の悲しみ、喪失感を思ってウルウル 

 宗教は違うけれど、日本より、合掌礼拝させていただきます。南無阿弥陀仏

 
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佐賀の菓子

2008年01月27日 | 佐賀ネタ
昨晩は、法専寺仏教壮年会&若っかもんで飲もう会&仏教讃歌コーラス会員合同新年会でした。この新年会は、毎年、法専寺を離れ、料亭にて開催。
 
 おいしいお料理と楽しい会話と・・・ああ、楽しかった~
 ご出席いただいた皆様ありがとうございました

 さて、その面白かった話題のひとつをご紹介。

 佐賀の羊羹の中には、外が硬くなっている羊羹があります。

 ある方が、東京の息子宅に上等の羊羹を送ったところ、お嫁さんが電話で、「お義母さん、せっかく送ってくださった羊羹ですが、開けてみたら、外がガチガチに硬くて古くなっていたようなので棄てました」

という、佐賀の羊羹にまつわる誤解。

 佐賀の代表的な銘菓と言えば丸ボーロ。
 マルボーロの裏側に、白い粉状のものが付いていることがあります。
 それを見て、「あ、カビが生えてる」と言われた。
という、丸ボーロにまつわる誤解。

 そして、写真の「逸口香(いっこうこう)」

 原材料:黒砂糖、小麦粉、水飴、ショウガ、膨張剤 
 古く中国から伝来し、肥前の郷土銘菓として、伝わっている焼き菓子です。
 
 膨張剤で膨らんで、中が空洞になっていることがあります。
 初めて見た方は、「佐賀のお菓子は、中が空っぽで、あんこも入ってない」と、言われる。
という、逸口香にまつわる誤解。

 そんな話題で盛り上がりました。
 
 さて、羊羹についても詳しいI・T氏、コメントにて、昨夜みんなを感心させたお話をご紹介くださいませんか
 

 

  
  
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大法要準備

2008年01月26日 | 行事・案内
 このところ、巡番報恩講準備に追われています。

 ポスターだけは、昨年内に作成していましたが、現在進行形ingなのが、

 1,行事案内のチラシと封筒 作成中
 2,参詣の皆様に差し上げる 寺名入りのマッチ 作成中
 3,法要菓子 注文
 4,関係寺院への出勤願い案内状 作成中
 5,仏具の発注
 6,ミニコンサート(お斎の後、法要開始前の時間に参詣者に楽しんでいただこうと)で、住職姪(ソプラノ歌手)の伴奏をしてくださるB先生とリハーサル時刻の打ち合わせ

 なにしろ、ウチの住職さんは在宅時間が少ないので、住職に相談、意見を聞いておいて、各業者さん、関係者に連絡・応対するのは、私の仕事であります。

 きょうは、今回、新調する菊灯の明かり、配線のことで、電気のプロでもある責任役員のM・M氏と同じく総代さんのA・K氏にお出でいただきました。
 「作業は、全て奉仕でさせてください」と、両氏。
 本当にありがたいことです。

 先日来、同じく総代さんで大工さんのK・T氏には、金具の取り付け、あるいは、山門前に仏旗を立てる台 等々 作業をしてくださっていますし・・・

 また、総代・会計のS・H氏は、ご趣味のハーモニカのお仲間バンドで、ミニコンサートに出演いただくことになっています。
 S氏の今年の年賀状には、「みんなで巡番報恩講を盛り上げ、成功させましょう」と、書いていただいておりました。

 来月は、婦人会役員会で、5日間の精進料理献立や買い物リストを作成の予定です。

 こうして、ご門徒の皆様のご厚意、ご奉仕で準備が進んでいます。
 
 大法要まで、後、ちょうど2ヶ月となった法専寺の準備状況ご報告でございました
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2008年01月25日 | 行事・案内
 ウチの山門前の市道、クリークにかかる橋です。

 娘の友人が、「(大型)車で渡る度、寿命が縮まる」と言っていた短い、狭い橋です。

 現に、橋の欄干には、車でこすった痕が多数・・・

 今、市道の護岸を含め、クリークの水を落として、橋下の工事が進行中です。

 なかなか大変そう・・・

 それにしても、毎日寒い。 今朝の佐賀市の最低気温は氷点下でした。
 
 外でお仕事をされておられる皆様、お疲れ様でございます。

 
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イタリアンで

2008年01月24日 | 本紹介
 昨日ご紹介した、本山のお斎の写真は、何に掲載されていたかと言いますと、

 「イタリアン精進レシピ」本願寺出版社

 レシピの考案と調理は、「イル・ギオットーネ」(京都市東山区下河原通)笹島保弘氏(京野菜を使ったイタリアンレストランのオーナーシェフ)

 表紙の献立は、
 
 右上は、胡麻豆腐ルッコラとトマトのサラダのせ
 左上は、ごぼうのピリ辛バルサミコ、さつまいものオレンジ煮ヴァニラ風味、黒豆のオレンジマリネ、くわいの冷製ローマスタイル、ブロッコリーのアーリオ・オーリオ
 真ん中は、ブラックオリーブ、グリーンオリーブ、ケッパーベリー
 右下は、野菜たっぷりのミネストローネ・白みそ風味
 左下は、百合根のリゾット・卯の花風味

なのだそうです。
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本願寺お斎

2008年01月23日 | 行事・案内
 3月の大法要、5日間の精進料理の献立をボチボチ考えなくっちゃ・・・ということで、本願寺の雑誌をパラパラめくっていたら、

 本願寺の「御正忌報恩講のお斎」が紹介されていました。

 左上は「折詰」・・・これは、手を付けず、参拝できなかった家族のために持ち帰るために用意されたもの。料理は傷まないように味付けを濃くされている。

 上真ん中は、酢みそ和えと六条揚麩
 右上は、胡麻豆腐
 中央は、寄せ湯葉・聖護院大根・蕗
 左下は、ご飯
 下中央は、香の物
 右下は、白みそ仕立て

 お斎は、創業明治元年の「矢尾治(やおじ)」さん(京都市下京区高辻堀川町)が作られているそうです。

 本山の御正忌報恩講のお斎は、国宝の書院「鴻の間(こうのま)」で、いただきます。
 
 この朱塗りの美しい什器のお膳を運び、給仕にあたられるのは、紋付き羽織、袴姿の男性。「開明社(かいめいしゃ)」の諸氏です。

 「開明社」というのは、本願寺御用達の老舗(念珠、お香、法衣等々・・四十数社)の方々。

 いいなあ  私まだ、本山のお斎のご縁にあったことがありません。

 

 
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精進料理の意味を考える その3

2008年01月22日 | 仏教
 さて、浄土真宗において「精進料理」をどう考えるか? 

 禅宗のように修行としての「精進料理」の位置づけと異なり、真宗教学において、精進料理をどう考えるのか という決まった作法、取り決めはありません。(たぶん、ないと思います)

 親鸞聖人は、どうなさっただろうか
 
 おそらく、出された料理は、野菜であろうと、肉・魚であろうと、こだわりなく手を合わせ、有り難く食されたのでは、ないだろうか・・・

 第一、精進料理だの、肉・魚の料理だの言えるのは、食材の選択肢が豊富であるからであって、飢饉に苦しむ生活ならば、命をつなぐために、口にする食材に悠長なことを言ってられないはずです。

 じゃあ、真宗門徒にとって、精進料理は、どうでもいいのか    
 
 いや、私は、どうでもいいとは、思わない

 お寺に住む者、または、篤信門徒にとって、豊かな時代になっても、仏事・法要時の食事は、精進料理が当たり前とされてきた。

 それは、現在、飽食の日本だからこそ、より大切なことなのではないのか
 
 当たり前のように、毎日、生き物の命を食べ散らかしている私たちだからこそ、仏事の時くらい、謙虚に、心から手を合わせたい。

 仏事の精進料理、家族の往生を縁としての精進料理・・・その意味を考え、伝えることは、子どもの教育のためにも大切なことではないでしょうか 

 決して「精進(料理)しなくちゃならん」「こうあるべき」と人を非難、強制することではなく、自然に、自分がそうしたいから、精進(料理)する。日頃忘れがちな感謝を思い出すために精進する。

 それが、真宗の者にとっての「精進料理」の意味なのでは・・・

以上が、私の精進料理についての「思い」であります。
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