お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

バス旅行で その1

2009年11月30日 | 雑感
 昨日は、2年に1度の法専寺バス研修旅行でした。

 今回は、例年より少ない総勢24名。

 行き先は、私の高校友人が坊守をつとめている福岡県田川郡のS寺さん。
ちょうど、山の麓は、見事な紅葉。

 坊守のAさん、S寺仏教婦人会の方々が、冷たい強風の中、山門前でお出迎えくださり、恐縮。
 そして、Aさんの隣に立って、迎えてくれたのは、何と、同じく同級生のYさんとDさん(いずれも旧姓)のお二人。

 最初、なぜ彼女たちがS寺さんにいるのか、わからず、ポカンとしていたところ
 同じ田川郡にお住まいの二人が、わざわざ、私に会いに来てくださったと知り、感謝感激。
 
 その上、上野(あがの)焼 の 素敵な湯飲みを お土産にと、頂きました。 

 Yさん、Dさん、本当にありがとうございました 
 ほんのわずかな時間でしたが、
わざわざ、おいでくださったことが、うれしくて、涙が出そうでした。
 湯飲みは、大切に使わせていただきます

 
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オーストラリアから

2009年11月27日 | 雑感
 ただ今、オーストラリア(ブリスベン)から18歳と16歳の兄妹が我が家に滞在中です。
 6年前?長女が留学、1年間お世話になったホストファミリーのお子さん方です。

 彼らは20日来日。東京、京都観光を経て、25日夜佐賀へ。
 昨日(26日)、私は、大忙し。

 和食の朝ごはんにトライさせて、彼らの5日分の大洗濯(洗ってくれるのは洗濯機ですが)
 
 昼前、本願寺佐賀教堂の「報恩講」に、ご門徒さんを送り、
ほんのちょっとN先生のご法話を聞かせていただき、私だけ帰宅。

 彼らと娘と昼食とって、3人を佐賀駅に見送り(彼らは福岡へ相撲を見に)
私はG寺さんでの「佐賀仏教讃歌の会」緊急役員会に夕方まで出席。(来年20周年記念コンサートの件で今までの話が白紙状態になったため)

 夜、夫と共に、相撲から帰りの彼らを佐賀駅に迎えに、娘のお婿さんも合流して、一同、回転寿司へ
 
 帰宅後、彼らが持っているカードを使った(電話料引き落としの)電話のかけ方(オーストラリアへ)がわからずに、ドタバタ・・・結局、固定電話(ひかり電話)からのかけ方がわからず、携帯からかけて、つながりました。ふう~

 写真は、彼らが長女に嫌がらせ?冗談でお土産にくれた「ベジマイト」(パンに塗って食べるイースト食品、すごい匂いと味のオーストラリア人の国民食・・・日本で言えば納豆ってところでしょうか?)

これは、日本のスーパーでも売っている「ティムタム」という美味しいチョコレート菓子

 私個人には、マフラー?スカーフ?何と呼ぶべきか(首巻)をお土産にいただき、早速、昨日、本願寺佐賀教堂 の お参りに 首に巻いて行きました。

 きょう、彼らは有田焼きの体験に出かけています。
 佐賀を楽しんでくれることと思います。

 
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仏教講座

2009年11月25日 | 行事・案内
 九州龍谷短期大学公開講座 のご案内です

 わかりやすく、面白い、仏教の著書を たくさん書かれている

 兵庫大学教授 釈 徹宗 先生が 
「現代を生きる力としての仏教」 と 題して お話くださいます

  日時:12月5日(土)13:30~16:00

  場所:本願寺福岡会館(福岡市中央区黒門3-2)

 参加費:無料・申し込み不要

 無料で、心のエステを受講できる またとない機縁ですよ
 どうぞ、ご縁にあってください


 それから、もうひとつ

 公開集中講座が、下記と通り開かれます

 「真宗の諸問題」 
 講師:龍谷大学教授 林 智康 先生
 日時:12月24日、25日、26日、28日 
   9:00~16:20
 場所:九州龍谷短期大学視聴覚教室
    *「浄土真宗聖典」(注釈版)をご持参下さい。
 聴講料:15、000円 ただし、通年度参加の方は5,000円

 こちらは事前の申し込みが必要です。 0942-85-1121まで



 
 
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「仏さま」って何?

2009年11月24日 | 仏教
 「仏」とは、一言で言えば「真理に目覚めた者」なんですが

 そもそも「真理」って言葉は、各人のイメージで、尊くも、怪しげにも受け取る「手あかの付いた」言葉になっています・・・

 「真理」とは、「法」
 世界中、どこでも、誰にとっても、いや、宇宙のどこでも変わらない「真実」「法則」

 その「法」・・・あるがまま「真如」を覚った方 が 「仏さま」です。

 あらゆる煩悩(心を煩わせる苦悩)がなく、
 正しい物の見方、正しい考え方、正しい行い、正しい努力・・・ができる方

 人間世界の いかなるものも 独立して存在するものは、なく
 全て 「原因」 と 「条件(縁)」 によって 成り立った事象で
 この世に形成されたもので、恒久のものはない と 覚った方

 とらわれの心が無く、ものをあるがままに見通す智慧をもった方

 そして、自分が智慧を得て満足するのではなく、
覚りに至らない者たちを 「自分と同じように 覚らせたい」と
大きな慈悲の心で願われる方

であります。

 「仏さま」は、キリスト教(ユダヤ教・イスラム教)の「神」(God)と違って
この世を支配している方ではありません。

 気がついたら「私(わたし)」という存在がこの世にいて、生きていかねばならない・・・その私の苦悩に寄り添い、
どう心を転じれば心軽やかに生きていけるか
それに気づくように、はたらいて くださる方

 その「仏の教え」が、「仏教」 であり

この「私(わたし)」が、理想の「仏」を目指し、「仏に成る」のが 仏教であります。

 

 

 


 

 
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仏と向き合う

2009年11月21日 | 仏教
 布教使さんのご法話が、仏教初心者の聞き手にとって、チンプンカンプン、

 「真宗の坊さんが、難しい聖教の一節をムニャムニャ言って、
『浄土』とか、『阿弥陀仏』とか、『本願』とか
現実生活に何の役にも立たない、死んだ後のファンタジーを語っている」

と、思ってしまう・・・ 

 先日、拙ブログ(「自力・他力」)に「ふくろう」から的確なコメントをいただいたとおり、
 
 「無宗教」=インテリ を自負する現代の日本人にとって

 「自分が仏と向き合う」という「宗教的観点が欠如」している。

 仏を生きる指針にするのではなく、世間の価値観を軸に生きている。

 まず、仏とは何なのか

 ということから、全くわかっていないので、

 布教使さんが、「仏と向き合っていることを」前提にお話されても、

 有り難くとも何ともないのだと思います。

 大多数の日本人は、「自分の願い(欲)を叶えてもらうように仏に祈る」のが「仏教」だと思っていますから

 「自分」はいつも棚上げされたままなんですよね。
  
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新型インフルエンザ ワクチン

2009年11月20日 | 雑感
 日本国内、新型インフルエンザ蔓延ですね。
 
 佐賀も大流行中。
 昨日、お参りに伺ったお宅も、お孫さんが全員罹患されたと話されていました。(大人は大丈夫だったそうです

 毎年、季節性インフルエンザの予防注射を受けている私ですが、
今年は、やめておこうと思っています。

 新型ワクチンも季節性ワクチンも不足と聞いては、私ごときが、しゃしゃり出て我先に受けようという気になれない。

 足りないワクチン接種の優先順位は、医療従事者、妊婦、子ども・・・で、当然だと思いますし・・・

 先日、テレビで
「私らには回ってこない」と不満そうにインタビューに答えておられる
私と同世代と思しき女性がおられましたが、

 まあ、いいじゃないですか。
私らは、この年まで生きてきたんだし。若い方優先で。

 と言うか、罹患してもオバサンパワーで、たくましく、全治しましょうよ。

 

 
 
 

 
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せとぎわ

2009年11月17日 | 本紹介
 お寺に身を置く者として、

 「僧侶と寺院の未来」 を 考えるのに 大変、反省し、考えさせられる本です。

 「せとぎわの仏教」(財)全国青少年教化協議会 編  鎌倉新書
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自力・他力

2009年11月16日 | 仏教
 世間では 「他力」は、
 自分で努力せず、人の力をあてにする って、意味でよく使われます。

 そこには、やる気のない イメージがあります。

 世間では、「自力」は、
 人に頼らず、自分で努力をする という、

 しっかりした、頑張る イメージがあります。

 新・仏教辞典(中村元監修)には、こう書かれています。

  自力・他力 = およそ自己の知恵・能力・功徳など、自己にそなわった力を自力といい、自分以外の仏・菩薩などの力を他力という。

 自力 他力について、

 「自力」は

 自分の価値観、自分の思いにしがみついて、
 自分が一人で頑張っている という 肩に力が入った状態

 「他力」は

 自分を客観視する力(仏さまの力)をいただいて、自分が、自力以外の「おかげさま」の中で生かされ生きている という 肩の力が抜けた状態 

と、私は味わっております。

 

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仏前に

2009年11月14日 | 雑感
 6日~10日まで、組内J寺さんで巡番報恩講が勤まりました。

 本堂、庫裏を新築され、駐車場も広くなったピカピカのJ寺さん。

 ご門徒さん方が、受付、駐車場係、お斎のお接待等々・・・笑顔で一生懸命勤めておられるお姿を有り難く拝しました。

 組内、最長老のH寺前住職様の味わい深いご法話もお聞かせいただきました。
 
 また、会係(えががり:法要儀式の進行お世話役)を組内の若手僧侶方がテキパキと勤められ、これまた有り難く拝しておりました。

 会所を勤めていただきましたJ寺ご住職様、坊守様、ご家族様、本当にお疲れ様でございました。法専寺からも役員さんはじめ、有志方々と共に参詣させていただき、大変お世話になりました。

 終了直後から、住職、坊守様共にお疲れでダウンしておられるとのこと。

 佐賀は新型インフルの流行が警戒レベルに達しています。
 どうぞ、お大切に

 
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常識 対 常識 その2

2009年11月12日 | 雑感
 私に関することですので、まことに低次元の 常識  常識 なのですが、

 先日も 私の常識 と 娘の常識で 食い違いがありました。

 私は、娘に、わざわざ言わなくても「フツーは、そうするだろう」と思い、
 娘は「教えて、言ってくれなくちゃ、わからない」と反発した。

 実の母娘なので遠慮がない分、言いたいことを口にして、バトルも激しいが
 私も素直に反省できる。

 でも、他人、あるいは、義理の仲 となると、遠慮がある分、難しい。

 「フツーはこうするだろう」とか「何、これ、ありえない~

と、内心、思いつつ、お互い、半分は、その思いをグッと飲み込むわけで・・・

 本当に不出来な嫁であった私の経験からしても、

「相手の言動が変わっている」「私だけが我慢している」

という自分中心の「常識」が蓄積されておりました。

 皮下脂肪のように蓄積された自分流の「常識」を揉みほぐしてくださるのが
仏さまの「本願力」なんでしょうね。

 そういえば、川柳に

「皮下脂肪 マナーモードに 気が付かず」

というのがありました。

「そうでした」と、仏さまにうなずきつつ、また、すぐ
「フツー、こうするだろう」と一方的に決めつけて、わが「常識」を振りかざし、再び反省。

 全く懲りない私ですが、仏さまの電波はキャッチできるように
皮下脂肪(心のメタボ)に気をつけたいと思うのでありました。

 
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