お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

お寺の付き合いはお金がかかる?

2008年01月30日 | 仏教
 先日、ある方が、「貧乏人は、お寺と付き合えない」と、仰った・・・
 (その方自身は、生活にお困りではないので、お寺(既成仏教)に対する周囲の気持ちを代弁されたものと思う)
  
 確かに、「お寺」という大きな道場をかかえていれば、護持費もかかり、多額の寄附が言ってきたり、戸惑われることもあるだろう。
 
 本当に生活に困られておられる方にとっては、法要にお参りしたくても、お布施を包むことを思うと、ためらわれるかもしれない。

 また、こうも仰った。
「だから、実際はどうなのかわからないけど、『お金がかからない』と言われる新興宗教のほうに入信している」

 ふむふむ・・・これは、葬儀代が要らない と、言われるアレですね。

 多額の葬儀懇志を、あろうことか、寺側から要求したりする既成仏教のお寺さんには、反省し、考えていただきたいのですが・・・

 でも、「貧乏人は、お寺と付き合えない」という、これって、普段からお寺と親しい付き合いがない方の「思いこみ」「憤り」「遠慮?」なんじゃないかなあ

 「お布施」を包まなきゃ、お寺と付き合えない・・・なんて、そんなことは決してないわけで・・・

 「今、借金かかえて、生活がちょっと大変」と実状を話して、気軽に寄ってくださるご門徒さんもおられますし・・・
「ウチは、多額に布施したくてもできないので、お寺の行事の手伝いは、喜んで奉仕させてもらいます」と、明るく仰る方もおられます。これも、尊い、有り難い、立派な「布施」です。
 
 実際、お寺やお寺のグループでは、お布施をいただくばかりでなく、「お布施のご心配は不要です」という研修会、法座もたびたび行っていますし・・・(なのに、出席者はいつも少ない

 私は、お布施の額より、たくさんの方にお寺にお出でいただいて、たくさんの方が仏教(仏の教え)に出遇って、その教えを歓んでくださることのほうが、もっとうれしいです。 また、それが、お寺を預かっている「寺の者」のつとめだと思っています。

 思いこみで「お寺」を敬遠する前に、ご自分のお寺(住職の私物じゃない、ご門徒お一人お一人の仏教道場のこと)を知るためにも、もっとお寺にお出でになってください~  そして、遠慮なく何でも仰ってくださ~い

 お寺を預かるお寺の者も旧態依然のままじゃ、いかん。守るべき伝統はしっかり守り、改めるべきことは、真摯に対応する・・・お寺も「どげんかせんと、いかん」のだと常々思っています。

 

  
コメント (2)
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