お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

他力ということ

2008年11月29日 | 仏教
  梯實圓先生著「親鸞聖人の信心と念仏」自照社出版

 梯實圓師は、浄土真宗の業界?では、有名な勧学さん(学問を積まれた最高位)でいらっしゃいます。
 最近知ったのですが、梯先生は、お寺のご子息ではなかったのですね。それも、ご実家は天台宗だったとのこと。
 私は、当然お寺に生まれられて、真宗教学を極められた和上さんなのだと勝手に思いこんでいました。

 この本は、報恩講などの法座で、一般の方向けにお話くださった法話をまとめた本なので、私にも分かりやすく、味わい深く、読ませていただいているところです。

 その中の言葉

 如来さまのこと、お浄土のことを自分の能力で見きわめて信じようと思ったら、その瞬間にわからなくなります。人間の理解能力を超えたさとりの領域を、わかろうと思うのは背くことなのです。(略)ただ如来さまの仰せを仰せの通りにいただくことです。

 
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ワインの夕べ

2008年11月28日 | 雑感
 昨夜、夫のお付き合いで、某大手酒屋さん主催「ワインの夕べ」という会へ。
 行く前に、何を着ていったらいいのか、困りました。「お寺のオバサン」を長年していると「着飾る」ということから離れてしまって・・・

 娘に「華やかなパーティに相応しい服をもっていないのだけど・・・セーターとスカートってわけには、いかないよね~」と相談。
 娘曰く「六本木のパーティじゃないんだから、いいんじゃないの。佐賀なんだから」と、やたら、「佐賀」を強調する。

 で、結局、オバサン、30年前(独身時代)着ていた黒のワンピースで、行きました。
 「やはり、このワンピース古くさいかなあ」と、問いかける私に、「いいんじゃないの。服にカビが生えているわけじゃないんだから・・・」と、夫。(夫婦して、ファッションセンスはゼロ)
 
 「佐賀だから」と娘は言っていたけれど、ご出席のご婦人方は、みなさん、お綺麗なマダムばかり・・・

 某ホテルのフルコースに、6種類のワイン(スペイン、フランス、ドイツ)
 ゴスペルやフラメンコもあり・・・
 フラメンコを生で観たのは初めて。美しい女性が、情熱的に舞うフラメンコにうっとり。

 美味しいお料理、ワインを堪能。会が終了し、廊下に出たタイミングで、私の携帯が鳴った。
 ご門徒のMさんの訃報。 至福のひととき・夢の世界から一気に現実に戻り、夫婦して、急いで帰宅しました。
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お育て

2008年11月27日 | 仏教
 昨日の本願寺佐賀会館 報恩講、F師のご法話にて

 浄土真宗で使われる言葉

 「お育て」・・・仏さまに私の心を育てていただくこと。
 もちろん、直接、間接にお世話になってきた方(自分にとって不都合な相手も含めて)の御恩も含まれますが・・・

 「味わう」・・・仏法を聞いて「わかった」とか、決して言わない
         仏さまの教えを しみじみ 有り難く 味わうのであります

 「お恥ずかしい」・・・仏さまに相対した時、自分を内省し、恥じる気持

 「勿体ない」・・・こんな(煩悩の多い)私だからこそ、私を心配し、寄り添い、さとりに導いてくださる仏さまの御恩を有り難く思う
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報恩講

2008年11月26日 | 行事・案内
 「報恩講」とは、親鸞聖人の教えを喜び、聖人の御恩に感謝する法要のことです。

 毎年1月9日~親鸞聖人祥月命日の1月16日まで、本山(西本願寺)では、「御正忌報恩講」が勤修されますが、

 本山の「御正忌」法要に先立って、年内に末寺、集落ごと、あるいは各家庭で勤める法要を「お取りこし報恩講」と言います。

 「おとりこし」を「おとしこし(お年越し)」と思い、「自分ちの仏さん(先祖)の年越し仏事」と、勘違いされておられる方もおられましたが・・・

 きょうはから3日間、本願寺佐賀会館にて「報恩講」勤まっています。

 初日のきょう、法専寺有志6人でお参りさせていただきました。

 生の雅楽演奏(若手住職さん方)の中、法要おつとめがあり、その後、F師の心にしみるご法話を有り難く聞かせて頂きました。

 あす27日、あさって28日、午前10時、午後1時半 (お斎もあります)
 最終日の28日は、午前6時半より、朝の法座もあります。

 ご門徒の皆さま、お時間を作って、阿弥陀さまに遇いにお出かけください。(自分のために・・・)

 
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予防注射を受ける理由

2008年11月24日 | 雑感
 呼吸器系に持病のある私は、風邪が大敵なので、毎年、早めにインフルエンザの予防接種を受けています。
 予定表のお約束時に、ご迷惑をおかけしないため・・・ということもありますが、一番の理由は、何と言っても、自分が、インフルエンザで、キツイ思いをしたくないため。(自分のため)

 東京の娘は、会社の指示で(会社が負担してくれて)全員、インフルエンザの予防接種を受けたと言っていました。これは、お客様、会社内でお互い迷惑をかけないためですね。(会社の効率ダウン予防。同僚、顧客のため)

 83歳の実家の母が、先日、かかりつけの内科に行ったら、インフルエンザの予防接種を勧められた。
 母は、「いや~私は、もう、いつ死んでもいいので、予防注射は勿体ないから、私の分は若い方に回してあげて下さい」と、言ったそうです。

 それに対して、医師の説得
 「いや、若い人は罹患しても、すぐ回復するが、お年寄りは、重症になって長引き、結果、医療費がかかるので、国が医療費削減のため、予防注射を勧めているのですから、受けてください

 母は、納得して、素直に注射を受けたのだそうです。(国のため)
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愚者の自覚

2008年11月23日 | 仏教
 引き続き、某紳士とのお話です。氏が最後に仰ったのは、

 「結局、(何の行もない)浄土真宗っていうのは、最下層部の人間の仏教だろうからなあ

 私、カチンときましたが、そこは、穏やかに微笑んで申しました。

 「そうですね。愚者の自覚をもって、救われる教えですからね」

 帰路、私、反省しました。

 「最下層の人間」と言われて、内心カチンときたこと自体、自分のことを「少しはマシな人間」と自惚れているわけで・・・

 人のことではなく、この私自身が、仏教の どの教え(手だて)で救われるのか(さとりに導かれるか)
 自分の身の程を知ると言いながら、傲慢は取れないなあ・・・

 「いずれの行も およびがたき身なれば・・・」

 親鸞聖人の言葉が、響きました。
 
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仏前の御膳

2008年11月21日 | 仏教
 昨日の紳士との会話の続きです。

 私は、もっと、氏が仰る「科学的念力?」についてお尋ねしたかったのですが、そこから、話題が変わり、こう仰いました。

 「浄土真宗の法事は、『亡くなった方へ追善供養ではない。自分たちのためだ』と言われるが、故人に対して、何か冷たい感じがしますねえ。参詣の一同で、故人のために心を合わせて念仏すると言ったほうが、温かい感じがしますが・・・」

 「生前の故人を偲び、感謝するのは、当然です。でも、煩悩多い私たちが、仏と成っておられる故人に対して、『故人のために追善のお経をあげ、念仏する』(故人のために法事をしてあげる)という考え方は、不遜な考え方のような気がしますが・・・」と私。

 「まあ、相手を仏さまと思えば、それはそうだなあ・・・」と、氏。次にこう仰った。

 「浄土真宗は、仏前に御膳も出しませんよね。○○宗では、お盆など、仏さまのために、きちんと三度三度、御膳をお供えしますが、真宗は何もしない・・・」

 「はい、真宗は『お仏飯』に 全ての食物に対する感謝のこころをこめて、お供えしますので、私たちが普段食べる 食事のような御膳はお供えしません。」

 つづく・・・
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念力は科学なのか?

2008年11月20日 | Weblog
 先日、ある仏事で、いつものように勤行、法話をさせていただいた時のことです。
 「仏教は、本当のこと(真理)を教えられています。だから、ハンドパワーで病気が治る、この壺を買ったら運勢がよくなるとか、理に適わないことを申しません。特に、迷信を徹底的に排除されたのが、親鸞聖人の教えです」

と言った私の話に、参詣のご親戚の紳士が、こう仰った。

 「今は、科学も発達しましたからね 親鸞聖人の時代では、わからなかったことが、いろいろわかるようになりました。(今どき、鎌倉時代の教えなど、時代遅れだと言いたげに)最近、アメリカで西海岸から東海岸に念力を飛ばし、病気を治す実験がなされたらしいですよ。○○先生も神はおられると、仰ってますし・・・」

 「科学」と「念力」と「神」がどういう関係にあるのか 疑問に思いながら、私、穏やかに申しました。

 「まあ、それで病気が治せるなら、世の中から病気がなくなりますね~」
 「いや、全ての病気を治せるわけじゃありませんよ」と、紳士も穏やかに言われる。

 つづく・・・
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親鸞聖人の言葉

2008年11月19日 | 仏教
 自分が「善」(正しい)  相手が「悪」(間違い)
と、一方的に決めつけることが、多い世間ですが・・・

 「歎異抄」に出てくる 親鸞聖人のお言葉です。

「善悪のふたつ、総じてもって存知せざるなり。そのゑは、如来の御こころに善しとおぼしめすほどに しりとほしたらばこそ、善きをしりたるにてもあらめ、如来の悪しとおぼしめすほどに しりとおしたらばこそ、悪しさをしりたるにても あらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつて そらごと たはごと、まことあることなきに ただ念仏のみぞ まことにておはします」

(現代語版)
「何が善であり、何が悪であるのか、そのどちらも わたしは全く知らない。 なぜなら、如来が そのおこころで 善とお思いになるほどに 善を知り尽くしたのであれば、善を知ったといえるであろうし、また如来が 悪とお思いになるほどに悪を知り尽くしたのであれば、悪を知ったといえるからである。しかしながら、わたしどもは あらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のように たちまちに移り変わる世界であって、すべては むなしく いつわりで、真実といえるものは 何一つない。その中にあって、ただ念仏だけが 真実なのである」
 

 親鸞聖人は、徹底的に「人間に真実はない」とみられたのであります。
 真実なのは、仏さまだけであると。

 
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仏事に思う

2008年11月18日 | 仏教
 先日、父の一周忌をウチ(法専寺)で勤めました。

 私たち家族が、休日に実家まで、そろって外出しにくいこと。
 ここだと、親戚が集合しやすく、駐車場の心配もないこと。
を理由に、義理の息子で、僧侶でもある夫が「お坊さん役」をつとめました。

 仏事を終え、親戚を見送った後、叔父たちの住まいが遠方なのを気遣って、
 「来年の3回忌は、家族だけで勤めようかと思う」と、母が言いました。

 こういう考えは、最近、ウチのご門徒さん方にも多くあります。
「迷惑かけたくないから身内だけで・・・」

 極端な例では、「子供も遠方で、忙しいので、私だけで・・・」と、ご主人の○回忌を独りで勤められたことも・・・

 でもね。ホームパーティじゃあるまいし、仏事を営むのに、「迷惑をかけるから」なんて遠慮するのは、おかしいのではありませんか

 故人をご縁に、普段会わない親戚も、年に1回、数年に1回くらい集まって、共に「仏縁」に遇わせていただくことは、よい「ご縁」

 「故人」をご縁に、普段、忘れがちな「仏さま(阿弥陀さま)」に手を合わせ、心を合わせるようにと、仏さまからのご催促なんだと思いますが・・・

 仏事に招くことに関して、変な遠慮は、無用だと、私は思っていますので、母にもその旨伝えました。
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