お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

多生の縁

2010年02月28日 | 仏教
 26日午後1時半と言えば・・・

 キム・ヨナさん浅田真央さんのフリー演技がライブで放送されていた、まさしく、その時刻。

 私は、金メダルの行方が気になりつつ・・・
ご門徒さん(「 法専寺の母」のお二人)と一緒に、本願寺佐賀教堂の「常例法座」にお参りしておりました。

 真央さんの演技は、たぶん何度も再放送される・・・が、当日ご講師のM師の法話ライブは、再放送がない
 事実、あらゆる面において、物を知らない上、日本語も間違える私なので、私のためのお話のようで、ありがたかったのですが、

 「袖振り合うも多生の縁」

タショウは、「多生」と書くのが、正解なのですが、「多少」と誤解している人が多い と・・・

 歩いていて、袖がちょっと触れあうほどの些細なことも
「多生」・・・何度も生まれ変わり死に変わりしてきた・・・浅からざる因縁(深い深い縁)があってのこと。

 出逢い、縁を大切に  という意味 なのですね。
 

 

 
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法専寺仏婦25周年記念大会

2010年02月26日 | 行事・案内
 昨日のつづきです、

  法専寺仏教婦人会役員さんと話しあっている中で、

 「思えば、何年も年月を重ねてきた 法専寺仏教婦人会なのに、今まで記念大会のようなことは、一度も開催しないままだった・・・」

 と、いうことで、即決。

 今年は、前坊守の25回忌、そして、20年以上、会長として、私を支えていただいた前仏婦会長M・Nさんの3回忌でもあり、
 また、坊守後継者(娘)が、加わったこともあり、

 この節目の年に、25周年記念大会を開くことになりました

 日時:5月23日(日)午後1時半~4時
 
ご講師は、K組S寺ご住職であり、佐賀教務所法務員で仏婦の担当をおつとめの
K・H師です。

  この仏教婦人会が単なる 法専寺内にとどまらず、組、教区、本山、世の中・・・の活動につながっていることなど、楽しくお話くださると思います。

 ご門徒の皆様には、お彼岸法要の折、くわしくご案内申し上げます。
 若い女性の皆様も、ぜひぜひ、お話を聞きにおいでください

 
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法専寺仏教婦人会

2010年02月25日 | 行事・案内
 先日、 法専寺仏教婦人会会長M・Yさんの招集で、仏教婦人会役員会を開きました。

 今後の「法専寺仏教婦人会」の運営の仕方についての話し合い。
「仏教婦人会」の活動をあまりご存じない、ご門徒女性に、どうアピールするか についても。

  法専寺仏教婦人会
 私が嫁に来た昭和56年、一応、あったようですが、どうも名ばかりだった様子。
 昭和61年、坊守(義母)が往生。まだお寺に不慣れで、わけのわからん若坊守(私)をサポートするために、住職(義父)が組織し直したのが「法専寺仏教婦人会」(ご門徒女性の会)です。
 
 もちろん、ご門徒女性の皆様には、「お当番です」と坊守から強要し、いろいろご奉仕いただいているのですが、
仏婦(仏教婦人会の略語)役員さんは、そりゃ、もう大変です
 坊守(私)が甘えて、何でもかんでもお願いしてしまうので・・・(人使いが荒い
 
 法専寺内で言えば、毎年の御正忌報恩講のおとき準備・接待に連日忙殺、春彼岸の「初参式・新入学児お祝い会」のお赤飯昼食準備、仏婦の総会、例会の進行役、年2回のおみがき・大掃除は必ずご奉仕。
 6年に1度は、組の「巡番報恩講」会所として、前準備は、もちろん、その期間中・5日間は、 法専寺に日参し、毎日120名分のおとき作り・接待の責任者として、早朝から夕方遅くまで大騒動。

  法専寺外でも、組の行事、教区の行事に頻繁に出席。

 本当に本当にお疲れ様でございます。
 感謝、感謝

つづく・・・
 
 
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認知症の家族と共に

2010年02月24日 | 雑感
昨日はビハーラ基本学習会へ
 
 「認知症の人と家族の会」の佐賀県支部代表M・Kさんの講演を聞かせていただきました。
 認知症のお母様を15年間お世話なさっているM・Kさん。

 最初は、最愛の母親が「壊れてゆく」悲しさが受け入れがたく、
 お母様がトラブルを起こされるたびに、腹が立って、真っ正面から、認知の間違いを指摘し、 言い合い・大げんかの壮絶な日々をお過ごしだったそうです。

 やがて、お母様との生活の中で、認知症の方と看護者が、どう接すれば、お互いが楽なのか・・・工夫された。
 昨日は、具体的に、「財布をとられた」と言い出した時の工夫、お風呂に入りたがらない時の工夫、などなど、いろいろな応対の仕方もご紹介くださいました。

 「幼児と遊ぶように、認知症の母と遊ぶ」と言われ、
その言葉に、映画の「ベンジャミン・バトン」を思い出しました。

 認知症の方は、何もわからず、自分では何もできず、手をかけるばかりだった「赤ん坊」に還ってゆくんだ・・・

 そして、記憶が継続せず、その瞬間、その瞬間・・・「『今』を生きる」人になるんだ・・・

 で、理性・記憶がなくなるってことは、煩悩丸出し、我執丸出しになるってことなんだ・・・
 
「立派に、かっこよく死んでゆきたい」「人に迷惑かけたくない」な~んて、自分で思っていたって、こればかりは、どうしようもない

 誰もが、いっぱい、いっぱい迷惑かけて成長し、また、いっぱい、いっぱい迷惑かけて死んでゆくんだ。

 ああ、だからこそ、如来さまが「どんなことがあろうとも、あなたの人生、全てを引き受けた、まかせよ」と呼びかけておられるのだ。

 そう、しみじみ思わされたことでした。南無阿弥陀仏
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若婦人(女性)の集い

2010年02月22日 | 行事・案内
 昨日の 組の「若婦人(女性)の集い」

 来春、法専寺が、会所当番 ということで

 質疑応答の時間の 司会進行役 と 
 最後に、
 昨日の会所のJ寺若婦代表さんから、次期会所の 法専寺若婦代表として、会旗を受け取り、挨拶をしなければならなかったK・Mさん。
 お祖父様、お祖母様、お母様・・・と代々 法専寺の役員や代表をつとめてくださってきたご一家ゆえ、私、お寺のオバサンから、強引に、 法専寺若婦役員を押しつけられたK・Mさんです。

 かわいそうに、昨日の会が始まる前から、手に汗して緊張されておられましたが、
落ち着いて、役をつとめてくださいました。お疲れ様でございました。

 さて、出席者を集めるのに苦労する 若い女性のための 浄土真宗研修会ですが

 昨日は、30代のS寺ご住職が、わかりやすくご法話くださいましたし、
作法指導では、同じく30代のJ寺若院さんが、若い時から知っておきたい、お寺にお参りする作法、お焼香の仕方 などをご指導くださいました。
 また、質疑応答の時間には、のしの書き方、差し出し方にいたるまで、お話がありました。

 出席された方は、きっと「行ってよかった、勉強になった」と思われたと確信しています。

 帰りの車内で娘に言われました。
「お母さん、ただ『若婦の集いに行ってください』とご門徒さんをお誘いしたって、どういう内容なのか、わからないのだから、具体的に『知っておいたほうが、ためになる、作法の指導もありますよ』と伝えてアピールしなければ

 はい、その通りだと反省しました。

 きっかけは、「実生活でためになる」・・・それが、聞法につながっていけば・・・本当に、本人のためになると・・・

 
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仏法は若い時にたしなめ

2010年02月20日 | 仏教
 「仏法は若い時にたしなめ」
と勧められたのは、本願寺第8代門主・蓮如上人です。

 仏法は年をとってからではなく、若い時から聞かせていただきましょう
 
と、仰っています。

 明日は、組の「若婦人(女性)の集い」がJ寺さんを会所にして開かれます。

 本山の規定によりますと「若婦人」は45歳以下

 毎回、法専寺からも5名程度、出席していただくのですが、私、胃が痛くなる思いをしています。

 その5名がそろわないんです。

 法専寺のお掃除当番の時は、気持ちよくおいでくださり、ご奉仕くださる若奥さん方ですが、
「法座」となると、なかなか・・・

 今回、依頼した若手女性には、皆さんふられました。
 あまり、次々、断られると、「私って嫌われているのだろうか
と、落ち込みます。

 最初からお寺の法座など行く気がない方が半数かもしれませんが、事実、この年代は、女性も働き盛りで、日曜と言えどもお忙しい。子どもの用事に、地域の用事に。

 結局、本山基準を大きくオーバーした「困った時の○○さん」・・・いつもの顔ぶれに泣きついて
都合のつかれる方に出席していただくことに・・・

 今回、45歳以下の 本当に「若い」女性は、法専寺の若婦代表をつとめていただいているK・Mさんとウチの娘だけ・・・

 来年は、法専寺がこの「若婦人の集い」の会所ですよ~

 今回は、案内すべき1月に、私が自分のことで頭がいっぱいで、宣伝が足りなかったこともあります。
 来年は、法専寺に、若手女性がいっぱい来ていただけるように、今からいっしょうけんめい宣伝しておこう
 
 
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茨城県立歴史館で

2010年02月19日 | 行事・案内
 本願寺新報2月1日号によりますと

 茨城県立歴史館(水戸市緑町)にて

 2月6日~3月22日まで

 特別展「親鸞ー茨城在住20年の軌跡」
が開催されているそうです。

 茨城県(常陸)は、親鸞聖人が壮年期に20年間過ごされた地です。

 常陸在住の頃、執筆を始められたと言われる真宗大谷派所蔵の「板東本・教行信証」をはじめ、貴重な法物が展示されているそうです。

 また、2月28日には、筑波大学名誉教授・今井雅晴先生が「茨城の親鸞」と題して、講演なさいます。

 関東の皆様、水戸の偕楽園に遊びに行かれる、ついでにでも、特別展においでください
 
 

 
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病の原因は その5

2010年02月17日 | 仏教
 病の本当の原因は

 何かのタタリでも、
 厄年だからでもなく

 私たちが、生身の生き物(人間)だから・・・これが真理です。

 エ~、そんな冷たいこと言うの  

と思われるかもしれませんが、

 本物の仏教は、本当のことしか言いません

 病気になったのは、悪霊がついたからだ。お祓いしましょう
 いっしょうけんめい信心したら、病気が治りますよ。
 この壺を買ったら、運気が好転しますよ。
 
な~んてことを言えば、法専寺も、もっとワンサカお参りがあって、お布施アップなのかもしれませんが、

 それは、法(真実)ではないから、言いません

 厳しいけれど、つらいけれど、現実をあるがままに受け入れて、生きる

 どうして、私がこんな目に遭うのだ~ と、考えてもわからないことは、考えない タタリなどのせいにしない

 病は、あってはならないこと、特別なことではなく、いつでもありうる自然なことなんだ。
 自分にとって、非常に不都合だけれど、それは、生身をもった私たちに起こりうる、自然・真理なんだ。

 
 キツイ、ツライこと対して、忍耐力のない、軟弱な私ですが、
 こんな根性無しの私が、生きていけるのも
阿弥陀さま(私をささえてくださる「はたらき」)に いだかれて、あるがまま に
強く、明るく生き抜こう と思うから・・・
阿弥陀さまのバックアップがあればこそであります。
南無阿弥陀仏

 
 



 

 

 
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病の原因は その4

2010年02月16日 | 仏教
 何か自分に不都合なことがおこった時

 たいてい、すぐ人と比べる

 それも決まって、自分より恵まれている と思う人と・・・

 Aさんも、こう仰いました。
「80過ぎても 元気に さっさと歩いておられる人が多いのに・・・」

 確かに80歳過ぎても歩行に何の問題もなく、颯爽と歩いておられる方はたくさんおられます。

 でもね。
 80歳どころか、生まれながら障害をもち、歩行のままならない方もおられるではないか

 今、初めて不自由を感じた、その年齢まで、何の問題もなく歩行できたことのほうが、有難いことだったのではないか

 何の問題もなく はたらいて くれている身体に、感謝したことはあったろうか

 「私たちって、つい、身体の悪いところにだけ目が向きますが、心臓だって『1分でいいから休ませてくれ~」と文句も言わず、はたらいてくれています。足は悪くなられたかもしれませんが、手は自由に動いています。目も見え、耳も聞こえています。食事もおいしく口にできますし、愚痴が言えるのも、口が正常にはたらいてくれているお陰です。
 足にしびれが出られて、不自由になられたのは、おつらいことでしょうが、悪いほうにばかり気を向けずに、恵まれているほうを喜びましょう。その方が少し、気が楽になるように思います。若い私がこんなことを申し上げるのは生意気に聞こえられるでしょうが、私も自分に言い聞かせて言っています。」
と、申し上げました。 
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病の原因は その3

2010年02月15日 | 仏教
 お経は故人のために唱える 
 僧侶は死者の霊をなぐさめる役職
 亡くなった最愛の家族にしてあげられることは、仏壇に故人の好物を供え、僧侶と一緒にお経をよむこと

と、思い込んでおられるAさん。

 「坊守さんでいいので、お経をあげに来てください」と言われ、

ご一緒におつとめした後に、必ず、法話をさせていただいているのですが、

 「本願力(ほんがんりき)」(私の『我執』=自分の思い込みの思考回路 を打ち砕く 阿弥陀如来のはたらき) に出遇われる(気づかれる)ことなく・・・
 
 仏教は、人(故人)ごとで、自分のこころの問題 と
聞いてくださらないのが、残念です。

 私の至らなさを痛感しております。

つづく・・・
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