一昨年九月末、法専寺にも滞在したオーストラリアの妹みたいな友人ジャンのお父さんI氏が亡くなられたとの知らせがありました。
もう、30年近く前のことになりますが・・・
当時16歳のジャンが、交換留学生として1年間、私の母校でもあるK高校に通学。
当時、パース(オーストラリア西海岸の都市)のG高校の校長をされていたジャンのお父さんが、直方のK高校とパースのG高校の姉妹校締結のため、家族(ジャンの母上と妹)を伴って来日。
我が家(実家)に滞在されたことがあります。
コーヒーより紅茶がお好きな、穏やかなイギリス紳士(お父様がイギリスからオーストラリア移住)でありました。
その後、こちらから父たちとパースを訪問したのを最後に、私は、長らくお会いしていませんが、数年前、今度は、長女がお世話になったり・・・
ジャンを通じて、長年、親しくさせていただいてきました。
I氏の訃報が届いたきょうは、ちょうど父の五七日でした。
実家で、E寺ご住職と共に「正信偈」をおつとめしながら、I氏を偲び、
「ああ、年を重ねるということは、こうして、親しい人を次々失っていくのだな」
と、あらためてジーン。 ジャンやご家族の悲しみ、喪失感を思ってウルウル
宗教は違うけれど、日本より、合掌礼拝させていただきます。南無阿弥陀仏
もう、30年近く前のことになりますが・・・
当時16歳のジャンが、交換留学生として1年間、私の母校でもあるK高校に通学。
当時、パース(オーストラリア西海岸の都市)のG高校の校長をされていたジャンのお父さんが、直方のK高校とパースのG高校の姉妹校締結のため、家族(ジャンの母上と妹)を伴って来日。
我が家(実家)に滞在されたことがあります。
コーヒーより紅茶がお好きな、穏やかなイギリス紳士(お父様がイギリスからオーストラリア移住)でありました。
その後、こちらから父たちとパースを訪問したのを最後に、私は、長らくお会いしていませんが、数年前、今度は、長女がお世話になったり・・・
ジャンを通じて、長年、親しくさせていただいてきました。
I氏の訃報が届いたきょうは、ちょうど父の五七日でした。
実家で、E寺ご住職と共に「正信偈」をおつとめしながら、I氏を偲び、
「ああ、年を重ねるということは、こうして、親しい人を次々失っていくのだな」
と、あらためてジーン。 ジャンやご家族の悲しみ、喪失感を思ってウルウル
宗教は違うけれど、日本より、合掌礼拝させていただきます。南無阿弥陀仏