お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

11月の行事予定

2015年10月31日 | 行事・案内
 法専寺関連の行事ご案内です。

 11月 1日(日)午前9時 仏教壮年会例会 、仏教壮年会終了後、午前10時半くらいから、仏教壮年会主催 グランドゴルフ大会

 11月15日(日)法専寺バス研修旅行 行き先:飯塚 S寺様、伊藤伝右衛門邸など

 11月21日(土)午後7時 若っかもんで飲もう会

仏教讃歌コーラスの練習は、第2、第4火曜日 午後7時からです。

 
 

 
         
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有田の I さんが

2015年10月30日 | 本紹介


昨日のビハーラ研修会で知ったことですが、
 昨日もお世話になった有田の l さんが「御堂さん」(大阪の津村別院が発行されている月刊紙)の11月号に紹介されています。

  お念仏がすべての生活の中心である家庭に育てられた 

と、仰る I さんは、

 毎月、14日の蓮如上人と、16日の親鸞聖人のご命日は、「恩日(おんび)さん」(ご本人曰く、「恩がある日」 という意味でしょう」とのこと)と呼んで、口にするものは精進料理に決まっていたそうです。

 篤信の真宗門徒の I さんには、本当に頭が下がります。
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佐賀の空に

2015年10月29日 | 佐賀ネタ


きょうの佐賀新聞。↑ 

 いよいよ、明日から佐賀インターナショナルバルーンフェスタ(熱気球大会)が始まります。

 きょうは、有田町の特別養護老人ホームR にて、ビハーラ研修会でした。
 道に疎い上、方向音痴の私は、カーナビがあっても、たどり着くのが心許なくて、
ビハーラ佐賀代表のM師の車に、私の尊敬する現代の「佐賀のがばいばあちゃん」方3名と共に同乗させていただきました。

 朝8時過ぎ、嘉瀬川土手を通りましたが、明日に開会を前に、色とりどりのバルーンが青空に浮かんでいて、それは綺麗でした。

 さて、有田町のRホームは、高台にある美しい施設でした。至れり尽くせりの設備を備えた、すばらしい施設でした。
 施設長さんのお話も有り難く拝聴いたしました。

 午前中のビハーラ研修後、有田ポーセリングパーク内のレストランで昼食をとりましたが、中国からと思しき団体客が沢山おみえでした。

 明日からのバルーン大会、11月2日からの 唐津くんちに合わせて、佐賀観光にお出でくださっているのかもしれません。

 
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佐賀教堂 報恩講

2015年10月28日 | 行事・案内
  

毎年、本願寺佐賀教堂(県庁西・西高グランド北)では、11月26、27、28日の3日間、「報恩講」が勤修されています。 

毎日、おとぎ(精進の昼食)も用意されています。
 
 ナマの雅楽演奏の中、法要が勤まります。
 
 どなたでも、お参り下さい
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聴聞

2015年10月27日 | 仏教
先日19日の宮崎で開催された浄土真宗本願寺派仏教婦人会の九州地区大会には、法専寺から、仏教婦人会会長さんお一人に、前泊(佐賀教区のツアーバス)で、参加いただきました。

 会長さんによると、感動的な大会だったようです。

また、26日の佐賀教堂常例法座は、私もお聴聞したかったのですが、他用でお参りできず、これまた、坊守抜きで、仏教婦人会会長さん始め、仏婦の役員さん方にお参りいただきました。有り難いことです。

 今夜、コーラス練習にみえた役員さんたちによると、26日の常例法座では、大笑いさせられ、楽しく、わかりやすくご法話を聞かせていただいたとのこと。 慶んでくださって、よかったです。

 私自身は、26日は、月1回のビハーラ、K苑訪問日でもありましたが、それもパス。
 
 毎月1回、末席に座らせていただいている勉強会も、はずせない他用と重なり、この数ヶ月、欠席のまま・・・

 仏教、大好きの私にとっては、残念な状況です。

 聴聞(仏法を聞くこと)は、暇になってから、でなく、多用な中に、自ら時間を作って・・・
と、聞かせていただいています。

 例えば、恋人に会うためなら、どんなに仕事が忙しくても、時間を作れるものでしょう。
「忙しい」は、気のない証拠。

 だから、せめて、分刻みでも時間がある時に、仏教書を開きたいと思いつつ・・・夜は早々に眠くなるのでした・・・

 

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前住職17回忌

2015年10月25日 | 行事・案内
きょう、遠路、親戚が参集し、前住職の17回忌を勤めました。

前住職は16年前、79才で往生。今は、30代になったウチの娘(父から言うと孫)たちは、高2と中2でした。

 最近は、仏事をされないお宅が増えつつありますが、節目、節目の〇回忌、

普段はなかなか顔を合わせない親族が、仏と成られた故人をご縁として、一同に会し、
普段なかなか座らない仏前に着座し、普段なかなか合わさらない両手を合わせ、
普段なかなか称えない念仏を称えさせていただくこと、
本当に尊く有り難い仏縁だなあ~
と、あらためて、思わせていただきました。

 お参りくださいました皆様、本当に有り難うございました。

 義父の仏さまのはたらきにより、私自身、仕合わせな時間を過ごさせていただきました。

 
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稲刈り

2015年10月24日 | 佐賀ネタ


佐賀平野は黄金色で美しい。
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「歎異抄」の第12章に

2015年10月22日 | 仏教
前回、ご紹介した「歎異抄」を拝読していたら、こんな言葉に遇いました。現代語訳の一部です。

 (前略)お互いの教義についてことさらに議論し、「わたしの信じる教えこそがすぐれていて、他の人が信じている教えは劣っている」などというために、仏の教えに敵対する人も出てくるし、それを謗るというようなこともおこるのです。このようなことはそのまま、自分の信じる仏の教えを謗り、滅ぼすことになってしまうのではないでしょうか。

 仏教の有り難さ、尊さは、「私が」が、決して主語にならない点。
 「私が」何かを信じ込むことを信心とは言いませんし、「私が」凝り固まった心は、仏心とは、ほど遠い。

 南無は、おまかせです。 
 南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏のおはからいにおまかせすることですから、そこに「私の」はからいは、何もありません。
 信心は、阿弥陀仏より賜る(気づかせていただく)信心ですから、決して、「私が」主体となって、信じるものではありません 
 
 そう、あらためて、深く味わせていただきました。
 南無阿弥陀仏

 
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大きな字の歎異抄

2015年10月20日 | 本紹介
  

 老眼の方も楽に、親しみやすく読みやすい 「大きな字の歎異抄」(本願寺出版社)です。

 解説は、梯實圓和上です。

 巻末に「『歎異抄』のこころ」と題して、和上さんが解説されています。
その冒頭に次のように書かれています。

 『歎異抄』は、90年にもわたる波乱の生涯を、ただひとすじに生死を貫く真実を問いつづけた希代の宗教者、親鸞聖人の心の軌跡をあざやかに記しとどめた聖典です。

 以前、漫画「歎異抄」をオススメしましたが、この本もぜひ、どうぞ

 ちなみに「歎異抄」は、親鸞聖人が直接書かれたものではありません。
 聖人ご往生の後、聖人の教えとはなった(間違った)受け取り方が多くなっていることをいて、親鸞聖人から直接教えを受けられたお弟子さんが書かれたものです。
 著者の名前がないので、不明ですが、常陸の河和田(現 茨城県水戸市)におられた唯円房が書かれたのではないかと言われています。

 
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仏壇の名号

2015年10月18日 | 仏教
 きょうは、仏事が重なって、久々に私も法務のお手伝い。
 ご近所のM・T氏の13回忌にお参りさせていただきました。

 いつも、一番最初におつとめする「三奉請」(さんぶじょう)を調声しながら、そのお宅の仏壇の荘厳(しょうごん:お飾り)をながめてしまうのですが、さすがMさん宅は、間違いなく、きちんと浄土真宗本願寺派の作法に従って、お荘厳されていました。

 そして、Mさん宅のお仏壇の本尊が、絵像(阿弥陀如来を絵で顕された掛け軸)ではなく、字で書かれた名号(みょうごう:南無阿弥陀仏)であることに、有り難さを感じました。
 もちろん、絵像も尊いのですが、絵像の場合、両脇掛けが、向かって右に親鸞聖人、左に蓮如上人 が通常です。

 それが、本尊が、六字の「南無阿弥陀仏」 の場合、両脇掛けも字で書かれています。

 向かって右に、「帰命尽十方無碍光如来」(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)   
左に、「南無不可思議光如来」(なもふかしぎこうにょらい)

 同じ、阿弥陀如来を言い換えた、阿弥陀如来のはたらきを言葉として顕した別名(言葉では表現できない仏の境地を何とか言葉で表現しようとして言い換えたもの) です。

 
 帰命(きみょう)も 南無(なも)も、同じ「帰依します」「お任せします」(阿弥陀如来に心を合わせて生きてゆきます)の意味。

 尽十方は、到らぬところがない意味。十方は、四方八方の方向・八方に上下の空間を加えたのが十方、つまり宇宙空間のようなものでしょうか。
 
無碍は、さわり、とらわれ、妨げがないこと、 光は、仏さまの智慧と慈悲のはたらきを光で表現されます。

 不可思議とは、私の思議(小さな我欲の心)では、わからない、仏さまの尊い不可思議のはたらき。

 帰命尽十方無碍光如来 は、いつでもどこでも誰にでも届いてくださる如来(仏)さまに、帰依します。

 南無不可思議光如来 は、私の我執を打ち破ってくださる智慧と慈悲の如来さまに、帰依します。

 阿弥陀如来の仏心が、いっぱい、満ちあふれた Mさん宅のお仏壇の前で、
仏事に参詣のご家族、ご親族の皆さんと共々に、読経させていただきながら
有り難いなあ~ 仕合わせやなあ~ と、しみじみ思わされたことでした。

 
 
  

 

 
 
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