お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

道路工事始まる

2008年01月08日 | 行事・案内
 延期、延期になっていたウチの山門前の道路工事が本日から始まりました。

 午後、親戚の葬儀に参列した帰り、東から進入しかけて、工事が始まっていることに気づき、バックしてUターン。
 私と同じように知らずに進入、Uターンする人があるだろうと、脇にあったコーンをわざと道路真ん中に置いてから、Uターンしましたよ~。

 集落内には、「工事中通行止め」の大きな看板があり、塞いでいるものの、東側進入路は、「通行止め」の看板が入り口になかったため、進入してしまいました。
 工事関係のお方、「通り抜けできません」の看板を、東側入口にも設置してくださ~い
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親族がまた

2008年01月08日 | 雑感
 日曜日、夫は5軒の法務(そのうち1軒はご葬儀)に駆け回り、私は三日参りのお接待。
 ご遺族をお見送りした直後、今度は実家の父の叔父の訃報。
 佐賀県Y町のK家本家の大叔父が98才で往生。

 大叔父は、元H村では「元気なお爺さん」として有名でした。80過ぎてもバイクに颯爽と乗っていました。小柄でしたが、長年、農作業で鍛えた身体は、丈夫でした。人のお世話役をよくしていました。誰からも親しみをもたれていました。
 自分の子どものような70代高齢者に「『年をとれば、あちこち痛くなったり、悪くなるのは当たり前だ』と渇をいれて励ましている」と笑って話していました。
 
 父の実家が佐賀とはいえ、直方からこちらに嫁に来た私を気遣って、孫のようにかわいがってもらいました。
 
 昨年3月には、直方まで12才年下の父(甥)の見舞いに行ってくれるほど元気でした。
 ウチの父には、「甥のおまえが、ワシより先に死ぬことは許さん」と言っていました。
 先日、父の葬儀の折、大叔父も12月から入院中で危ない状態だと始めて聞きました。
 亡くなる数日前、長女と見舞に行った時は、わかって(認識して)くれたので、まだまだ回復できるのではないかと期待していました。

 大叔父なら、元気な100才を迎えられると思いこんでいました。

 たくさんの孫もひ孫も、涙、涙のお別れでした。
 
 きっと、大叔父は、「なんだ、おまえは、ワシより12日早く来てたのか」と、父とお浄土で再会していることでしょう。  南無阿弥陀仏
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする