「日経大人のバンド大賞」 の全国大会ですが、落選してしまいました。非常に残念でした。年を取って頭は固くなるばかりですが、まだまだ実力不足でございます。今後はもっと精進して、よりオーディエンスに感動を与えられるバンドになりたい、音楽家になりたいと思っております。ああ、残念だった。
[監][製][脚]フレディ・M・ムーラー
[脚]ペーター・ルイジほか
[出]テオ・ゲオルギュー ブルーノ・ガンツ ユリカ・ジェンキンス ウルス・ユッヘア
[制作データ] 2006スイス/東京テアトル
[上映時間] 121分
仕事がらみで試写で見た映画です。京橋で見たので帰りに(株)パイロットに勤める友人に今個人的にハマっている素晴らしい「消えるボールペン・フリクションボール」をたんまりもらってとても嬉しかったです。フリクションボールについては、近々ブログに書きます。
さて、本稿は習作であります。しかもネタバレであります。
この映画を見ようと思っている方は、ここまでにしてくださいね。
この映画は、大ざっぱに言えば「子役が凄い!」(映画というフィクションを超えた、神童のノンフィクションかも)という話と、「神童」の苦悩と脱皮、そして脱皮を手助けした、優しく人間味溢れる祖父、という構図で語れると思います。
モーツァルトは5歳にして後世に残る作品を創作し6歳にして演奏旅行を行い、ブラームスは10歳で演奏会を催したといわれた神童でした。日本でも6歳で初舞台を踏みパガニーニを演奏したバイオリニスト五嶋みどりも、まさに神童。20世紀のピアノの巨匠グレン・グールドも7歳にしてトロント王立音楽院に合格したという経歴を持ちます。音楽の歴史では数多くの神童が生まれ、彼らが音楽の歴史の大きな部分を担ってきたといってもいいのではないでしょうか。「巨人の星」も神童の話だな、そういえば。僕は幸いにも神童を呼ばれた経験はいちどもなく、平凡に生まれ育ってきたわけですが、この映画を見ると神童も辛い、というのがよくわかります。
神童と呼ばれるにふさわしい持って生まれた才能を十二分に伸ばす環境がないと多分神童は出現しないのですが、その環境は逆に言えば「英才教育」とも言われるもの。もちろん「他の生き方もあるのでは」という気持ち、いや子どもだからむしろ「もっと他の子どものように遊びたい」とか「普通の楽しいことがしたい」と思うのも当然なわけです。そこで神童が終わってしまう子もいれば、神童レベルで天才レベルではない才能の持ち主も、いつか、普通の人になる。かくして、二十歳過ぎればただの人、となるわけです。神童が真の天才に脱皮するためには、やはり本人の「使命の自覚」が必要なのだと思います。それが、意外に多い(身の回りにもいませんか)元神童に比して、天才が少ない理由ではないでしょうか。
さて、この映画の主人公はピアノと数学に類い希なる才能を発揮する神童です。が、英才教育と自分の才能が負担。優しい祖父といっしょにいるときの「普通の子ども」の時が一番好きだったりするようです。ある時、祖父が言った「何かを心の底から願うときには、一番大切なものを捨てなければならない」と示唆されました(これは示唆深い話です)。それをうけて、彼は一世一代のことをやらかします。それによって周囲の期待を退け、いったんは普通の子どもに戻る、しかし、そのなかで自分が一番やりたいことを再発見し、神童から真の天才へ脱皮する。
つまり、アプリオリに受けた使命を(ほとんどの場合放棄するのだが)数少ない天才は、自らの意志で使命を追認し、音楽を(音楽とは限らず人類の英知と芸術を)進化させる偉大な天才になる。
でもこれは神童だけの話じゃないね、一人の子どもが自我を獲得し成長する過程でのイニシエーションでもある。プロセスでもある。
ここから二つめの話。主役「ヴィトス」役のの男の子だが実際のテオ・ゲオルギューという12歳の少年は(とても可愛いですが)すでに国際ピアノコンクールでの優勝歴がある本当の神童であって、しかも素晴らしい演技力で、驚かされる。4時間のピアノの練習時間を確保するという条件でこの主役を引き受けたそうですが、まさに神童。この映画の本当の面白さは、神童を描く映画というフィクションの中に、本当の神童が出てくるというノンフィクションの部分かもしれません。人は神童を見ると、神からの使いのように畏敬の念を抱くのも、真実でしょう。神子とか、巫女とか、そんな感じ。
さて、この映画を引き締めているのが「おとな」の役者陣で、母役の女優さんも父役の人も素晴らしい。が、祖父役のブルーノ・ガンツが、実に素晴らしい演技をしていた。優しく、包容力があり、子どもを庇護しながら導いていく役。まさに名優であって、ノンフィクションな意味でも神童な彼に、おそらく素晴らしい影響と示唆を与えたのではないでしょうか。
神童はミューズの使いでもある。天使かもしれない、でも天使はそのまま人間として生きられるわけではないので、人とならねばならない。ああ、なんかベルリン天使の詩のようでもある。そういえば、ブルーノ・ガンツは、ベルリン天使の歌で素晴らしい演技をしていたな。
すいません、まだスケッチ段階の習作なので。完成したら(別のところの書く予定なので)またお知らせしまーす。
『僕のピアノコンチェルト』の公式ホームページは以下です
http://eiga.com/official/bokunopiano/
以下がWebからの映画紹介です。
天才ピアノ少年が、周囲の期待を受けながらも、自分自身の道を進んでいく姿を描いた感動ドラマ。実際の天才ピアニスト、テオ・ゲオルギューが演じる主人公の演奏に注目。
天才的な頭脳を持ち、ピアノの才能も天才的な少年ヴィトス。大学にも入学し、難曲も弾きこなすほどの彼だが、心は子供のままのであった。そんなヴィトスは、唯一心をひらいているおじいさんに自分の胸の内を告白する。
[脚]ペーター・ルイジほか
[出]テオ・ゲオルギュー ブルーノ・ガンツ ユリカ・ジェンキンス ウルス・ユッヘア
[制作データ] 2006スイス/東京テアトル
[上映時間] 121分
仕事がらみで試写で見た映画です。京橋で見たので帰りに(株)パイロットに勤める友人に今個人的にハマっている素晴らしい「消えるボールペン・フリクションボール」をたんまりもらってとても嬉しかったです。フリクションボールについては、近々ブログに書きます。
さて、本稿は習作であります。しかもネタバレであります。
この映画を見ようと思っている方は、ここまでにしてくださいね。
この映画は、大ざっぱに言えば「子役が凄い!」(映画というフィクションを超えた、神童のノンフィクションかも)という話と、「神童」の苦悩と脱皮、そして脱皮を手助けした、優しく人間味溢れる祖父、という構図で語れると思います。
モーツァルトは5歳にして後世に残る作品を創作し6歳にして演奏旅行を行い、ブラームスは10歳で演奏会を催したといわれた神童でした。日本でも6歳で初舞台を踏みパガニーニを演奏したバイオリニスト五嶋みどりも、まさに神童。20世紀のピアノの巨匠グレン・グールドも7歳にしてトロント王立音楽院に合格したという経歴を持ちます。音楽の歴史では数多くの神童が生まれ、彼らが音楽の歴史の大きな部分を担ってきたといってもいいのではないでしょうか。「巨人の星」も神童の話だな、そういえば。僕は幸いにも神童を呼ばれた経験はいちどもなく、平凡に生まれ育ってきたわけですが、この映画を見ると神童も辛い、というのがよくわかります。
神童と呼ばれるにふさわしい持って生まれた才能を十二分に伸ばす環境がないと多分神童は出現しないのですが、その環境は逆に言えば「英才教育」とも言われるもの。もちろん「他の生き方もあるのでは」という気持ち、いや子どもだからむしろ「もっと他の子どものように遊びたい」とか「普通の楽しいことがしたい」と思うのも当然なわけです。そこで神童が終わってしまう子もいれば、神童レベルで天才レベルではない才能の持ち主も、いつか、普通の人になる。かくして、二十歳過ぎればただの人、となるわけです。神童が真の天才に脱皮するためには、やはり本人の「使命の自覚」が必要なのだと思います。それが、意外に多い(身の回りにもいませんか)元神童に比して、天才が少ない理由ではないでしょうか。
さて、この映画の主人公はピアノと数学に類い希なる才能を発揮する神童です。が、英才教育と自分の才能が負担。優しい祖父といっしょにいるときの「普通の子ども」の時が一番好きだったりするようです。ある時、祖父が言った「何かを心の底から願うときには、一番大切なものを捨てなければならない」と示唆されました(これは示唆深い話です)。それをうけて、彼は一世一代のことをやらかします。それによって周囲の期待を退け、いったんは普通の子どもに戻る、しかし、そのなかで自分が一番やりたいことを再発見し、神童から真の天才へ脱皮する。
つまり、アプリオリに受けた使命を(ほとんどの場合放棄するのだが)数少ない天才は、自らの意志で使命を追認し、音楽を(音楽とは限らず人類の英知と芸術を)進化させる偉大な天才になる。
でもこれは神童だけの話じゃないね、一人の子どもが自我を獲得し成長する過程でのイニシエーションでもある。プロセスでもある。
ここから二つめの話。主役「ヴィトス」役のの男の子だが実際のテオ・ゲオルギューという12歳の少年は(とても可愛いですが)すでに国際ピアノコンクールでの優勝歴がある本当の神童であって、しかも素晴らしい演技力で、驚かされる。4時間のピアノの練習時間を確保するという条件でこの主役を引き受けたそうですが、まさに神童。この映画の本当の面白さは、神童を描く映画というフィクションの中に、本当の神童が出てくるというノンフィクションの部分かもしれません。人は神童を見ると、神からの使いのように畏敬の念を抱くのも、真実でしょう。神子とか、巫女とか、そんな感じ。
さて、この映画を引き締めているのが「おとな」の役者陣で、母役の女優さんも父役の人も素晴らしい。が、祖父役のブルーノ・ガンツが、実に素晴らしい演技をしていた。優しく、包容力があり、子どもを庇護しながら導いていく役。まさに名優であって、ノンフィクションな意味でも神童な彼に、おそらく素晴らしい影響と示唆を与えたのではないでしょうか。
神童はミューズの使いでもある。天使かもしれない、でも天使はそのまま人間として生きられるわけではないので、人とならねばならない。ああ、なんかベルリン天使の詩のようでもある。そういえば、ブルーノ・ガンツは、ベルリン天使の歌で素晴らしい演技をしていたな。
すいません、まだスケッチ段階の習作なので。完成したら(別のところの書く予定なので)またお知らせしまーす。
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天才ピアノ少年が、周囲の期待を受けながらも、自分自身の道を進んでいく姿を描いた感動ドラマ。実際の天才ピアニスト、テオ・ゲオルギューが演じる主人公の演奏に注目。
天才的な頭脳を持ち、ピアノの才能も天才的な少年ヴィトス。大学にも入学し、難曲も弾きこなすほどの彼だが、心は子供のままのであった。そんなヴィトスは、唯一心をひらいているおじいさんに自分の胸の内を告白する。
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秋空に、キャロル・キングはよく似合うのではないでしょうか。ベスト盤が出ましたが、なかなか良いベスト盤です。半分ぐらいはタペストリーからですが、順当な選曲ではないでしょうか。来日するらしいですね。編集長をやっている「おとなを、休む日」http://www.holiday.yamaha.co.jp/の「おとなを、休む日」コミュニティhttp://www.c-player.com/holiday、エディターズチョイスでキャロル・キングを取り上げましたのでぜひご覧ください。
こちらです。
http://www.c-player.com/ac73638/
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(昨日の続き)
長年の念願であった、広島でネギ焼きとビールであった。いや、仕事を終えた後だったので、気持ちよかったなー。相方の石川カメラマンと、あまりしゃべることもなく、陶然として過ごした時間だった。
最初に出てきた牡蛎焼きという、焼いただけの牡蛎で麦酒を飲んだら、うまかったぜよ。濃厚で少しミルキーな牡蛎の風味と麦酒が実に合う。美味な牡蛎ならではの絶品であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/d8/eb960c187b15757f91c8b813425d015c.jpg)
そして待望の葱焼きである。はじめて広島で葱焼きを食べたとき、醤油で食べさせるタイプの葱焼きでとても美味しかった。が、今回もソースのタイプだった。あれ以来広島に来て葱焼きを頼んでも醤油のものにはあたらない。
見よ、この葱の量。この葱はしかもとても旨い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/27/f1e4d27129787a64eaa53b7eec4dfc2c.jpg)
店員は焼きまくる。良い仕事してまっせ。冒頭のお好み焼きは、クレープのように薄く焼いた地にたくさんの具と焼きそばが入る。旨いぜよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/95/a349f38765e583e3f27a733d24852329.jpg)
夕暮れ直前、帰りののぞみにたどり着く。ビールとお好み焼きで腹一杯で眠い(未明の出発だったのでね)。新幹線に乗ったら4時間ぐらいかかるが、その間寝ていても全然問題ない、ということでほろ酔い加減で時折風景を見つつ、気持ちよくまどろんでいたら、真夜中の東京に着いたのだった。また行きたいぜよ、広島。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/57/68f4aaaf49bc624efbdadc1bd78abcd4.jpg)
長年の念願であった、広島でネギ焼きとビールであった。いや、仕事を終えた後だったので、気持ちよかったなー。相方の石川カメラマンと、あまりしゃべることもなく、陶然として過ごした時間だった。
最初に出てきた牡蛎焼きという、焼いただけの牡蛎で麦酒を飲んだら、うまかったぜよ。濃厚で少しミルキーな牡蛎の風味と麦酒が実に合う。美味な牡蛎ならではの絶品であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/d8/eb960c187b15757f91c8b813425d015c.jpg)
そして待望の葱焼きである。はじめて広島で葱焼きを食べたとき、醤油で食べさせるタイプの葱焼きでとても美味しかった。が、今回もソースのタイプだった。あれ以来広島に来て葱焼きを頼んでも醤油のものにはあたらない。
見よ、この葱の量。この葱はしかもとても旨い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/27/f1e4d27129787a64eaa53b7eec4dfc2c.jpg)
店員は焼きまくる。良い仕事してまっせ。冒頭のお好み焼きは、クレープのように薄く焼いた地にたくさんの具と焼きそばが入る。旨いぜよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/95/a349f38765e583e3f27a733d24852329.jpg)
夕暮れ直前、帰りののぞみにたどり着く。ビールとお好み焼きで腹一杯で眠い(未明の出発だったのでね)。新幹線に乗ったら4時間ぐらいかかるが、その間寝ていても全然問題ない、ということでほろ酔い加減で時折風景を見つつ、気持ちよくまどろんでいたら、真夜中の東京に着いたのだった。また行きたいぜよ、広島。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/57/68f4aaaf49bc624efbdadc1bd78abcd4.jpg)
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