![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/4a/49677c43c788fab64c11e1f1093487d8.jpg)
このまえ浜松をベースに活動するビックバンドの原田さんにプロ/アマチュアに関しての考え方で、一喝されたことを書いた。心に響く一言だった。その原田さんが、我がトランペットの師匠原朋直(http://blog.goo.ne.jp/hoboike_diary/c/672018a64cffd906d0ee9d84ecc96a94)さんをソリストに迎えて制作したブルーノーツhttp://bluenotes.web.infoseek.co.jp/のCDを送ってくれた。
それにしてもブルーノーツのCDは本当に素晴らしいCDだ。(ブルーノーツのホームページにあります。試聴も可能http://bluenotes.web.infoseek.co.jp/)
原田さんのおっしゃった、アマチュア/プロの境界なんてない、音楽的に充実した、しかも最先端の音楽を作るという意気込みに溢れたCDだった。こんな素晴らしいミュージシャン、こんな素晴らしいバンドリーダーがいいたバンドにほんのわずかだが高校時代参加できたことは僕の誇りであり、その後の僕の音楽人生にいかに多大な影響を受けたのかが、いまさらながら、よくわかる。
ある意味、フルタイムのミュージシャンよりもピュアで先鋭的な活動ができるのはアマチュア否、生活の糧を音楽以外からも得ているパートタイムのミュージシャンのメリットであって、その良さが十二分に出ている。しかもアマチュア(音楽は趣味ですから!)という甘えは一切無い。
僕が日経のオヤジバンドコンテストに大いなる違和感を感じていた理由が、数ヶ月越しでやっと明確になった。その話はこちらに→http://blog.goo.ne.jp/hoboike_diary/e/69ebde3c4abdf4f1e8cb2b6f50120d9b
このCDに納められた最後の曲、スイス組曲は特に素晴らしい。しかもこの曲は僕が高校時代、まだブルーノーツに入れてもらう前、だから多分高校2年の頃(1978年ぐらいか)に浜松市民会館でのブルーノーツのリサイタルで演奏したテイクを、でっかいラジカセ(当時レコーディングウォークマンなどなかったのだ)を持ち込んで、現場で録音したカセットで、何十回も聞いた。何百回かもしれない。その時はデビュー前の本多俊之が、恐らく楽屋であまりの演奏の素晴らしさにソプラノサックスで飛び入りした演奏だった。思わずこの曲を、今日、明け方に仕事をしながら聴いていて、つい泣いてしまった。それは懐かしさだけでなく、このバンドから教えられたモノが以下に大切だったかを思いだし、その感謝の気持ちが心からあふれ出たからだ。
この曲にはブルーノーツの素晴らしさが凝縮されている、ビックバンドがフリージャズに雪崩れ込むスリリングさ、その快感は今でも忘れない。こんなビックバンドは、プロをふくめそうそうないのではないか。45年の人生でたくさんのビックバンドを見てきた(今日も10個ぐらいみるよ取材で)が、ブルーノーツを知っているせいか、あのNo Name Horsesですら、脱帽するほど見事だと思うことはなかった。最初に見たビックバンドが素晴らしすぎたのだ。
ブルーノーツの原田さんをはじめ、僕はどれだけ素晴らしい人々に育まれ、幸福な音楽人生を送ってきたのだろうか。信じがたいほどだ。浜松にいたときだけで考えても。中学・高校時代にいっしょにラッパを吹いた仲間たち。花島。垣野内、平野。宮野、金子。斉田。バイオリンのトッププロになった森下幸路。中学・高校でともにギターを弾いた仲間たち。太田、西岡。江間。水野。その後ともにバンドでプロになった、青柳、佐藤。ギターを買ったときに家まで呼んでくれて丁寧にギターを教えてくれた東海楽器(キャッツアイ)の福島さん。浜松のロックバンドの方々、イザベラ。田中さん、石野さん、青山バンド、青山さん。WAWミュージックの渡辺さん、袴田さん。江間。ジャズ喫茶のタイム。その悪いオヤジ。So many guys and girls。本当に幸運で、多くの人に育まれた音楽人生だ。東京に来てからはとても書ききれない(今度書こう)その全ての素晴らしいミュージシャンのみなさんに、僕はどれだけ感謝しても感謝しきれない。
すべての方に、ありがとう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/93/fe5b3e16e5f56bc8f42feaf90430b265.jpg)
それにしてもブルーノーツのCDは本当に素晴らしいCDだ。(ブルーノーツのホームページにあります。試聴も可能http://bluenotes.web.infoseek.co.jp/)
原田さんのおっしゃった、アマチュア/プロの境界なんてない、音楽的に充実した、しかも最先端の音楽を作るという意気込みに溢れたCDだった。こんな素晴らしいミュージシャン、こんな素晴らしいバンドリーダーがいいたバンドにほんのわずかだが高校時代参加できたことは僕の誇りであり、その後の僕の音楽人生にいかに多大な影響を受けたのかが、いまさらながら、よくわかる。
ある意味、フルタイムのミュージシャンよりもピュアで先鋭的な活動ができるのはアマチュア否、生活の糧を音楽以外からも得ているパートタイムのミュージシャンのメリットであって、その良さが十二分に出ている。しかもアマチュア(音楽は趣味ですから!)という甘えは一切無い。
僕が日経のオヤジバンドコンテストに大いなる違和感を感じていた理由が、数ヶ月越しでやっと明確になった。その話はこちらに→http://blog.goo.ne.jp/hoboike_diary/e/69ebde3c4abdf4f1e8cb2b6f50120d9b
このCDに納められた最後の曲、スイス組曲は特に素晴らしい。しかもこの曲は僕が高校時代、まだブルーノーツに入れてもらう前、だから多分高校2年の頃(1978年ぐらいか)に浜松市民会館でのブルーノーツのリサイタルで演奏したテイクを、でっかいラジカセ(当時レコーディングウォークマンなどなかったのだ)を持ち込んで、現場で録音したカセットで、何十回も聞いた。何百回かもしれない。その時はデビュー前の本多俊之が、恐らく楽屋であまりの演奏の素晴らしさにソプラノサックスで飛び入りした演奏だった。思わずこの曲を、今日、明け方に仕事をしながら聴いていて、つい泣いてしまった。それは懐かしさだけでなく、このバンドから教えられたモノが以下に大切だったかを思いだし、その感謝の気持ちが心からあふれ出たからだ。
この曲にはブルーノーツの素晴らしさが凝縮されている、ビックバンドがフリージャズに雪崩れ込むスリリングさ、その快感は今でも忘れない。こんなビックバンドは、プロをふくめそうそうないのではないか。45年の人生でたくさんのビックバンドを見てきた(今日も10個ぐらいみるよ取材で)が、ブルーノーツを知っているせいか、あのNo Name Horsesですら、脱帽するほど見事だと思うことはなかった。最初に見たビックバンドが素晴らしすぎたのだ。
ブルーノーツの原田さんをはじめ、僕はどれだけ素晴らしい人々に育まれ、幸福な音楽人生を送ってきたのだろうか。信じがたいほどだ。浜松にいたときだけで考えても。中学・高校時代にいっしょにラッパを吹いた仲間たち。花島。垣野内、平野。宮野、金子。斉田。バイオリンのトッププロになった森下幸路。中学・高校でともにギターを弾いた仲間たち。太田、西岡。江間。水野。その後ともにバンドでプロになった、青柳、佐藤。ギターを買ったときに家まで呼んでくれて丁寧にギターを教えてくれた東海楽器(キャッツアイ)の福島さん。浜松のロックバンドの方々、イザベラ。田中さん、石野さん、青山バンド、青山さん。WAWミュージックの渡辺さん、袴田さん。江間。ジャズ喫茶のタイム。その悪いオヤジ。So many guys and girls。本当に幸運で、多くの人に育まれた音楽人生だ。東京に来てからはとても書ききれない(今度書こう)その全ての素晴らしいミュージシャンのみなさんに、僕はどれだけ感謝しても感謝しきれない。
すべての方に、ありがとう。
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大学時代、BIGBANDもジャズ研も入っていなかった私にとってはバンドのお荷物であったにもかかわらず5年以上も在籍させていただきました。
池谷先輩と同じく、スイス組曲の入ったコンサートの録音テープをいただき、高校時代のジャズのバイブルでした。
今はまったく正反対なバンドを主宰しておりますが、自分がBNに在籍していたことを誇りに思い、また素晴らしいBNのメンバーが今後も活躍されることを願っております。