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おかげさまで、日経の大人のバンドコンテストで入賞して嬉しかったです。
何より、いつも狭い小屋で、いつも見に来てくれるお客さんに見てもらっていて、それはとても有り難いことなのですが、いつも「僕たちの音楽は見てる人にとって本当に面白いのだろうか、こんな感じでいいのだろうか」と自問し続けてきたようなところがあり、こんな形でコンテストで認められたというのは、嬉しいことです。
22年ぶりだな、コンテストは。
22年前は「はる」というバンドを友人の青柳と佐藤とやっていた、青柳とは羅風でもいっしょなので、下手すると30年ぐらい一緒にバンドをやっている状態だな、怖いことに。
ところで先日書きかけたことを書きます。
日経の大人のバンドコンテストの会場でリハを聴きながら、そして本番を聴きながら、俺は猛烈に苛立っていた。どうしてなのかわからないまま苛立っていて、本番に至っては、ギターソロからエンディングに至る部分で、暴力的な衝動を抑える頃ができず、最後のフレーズではアンプのボリュームを思い切り10に回しきっていた。上手くハウリングはできなかったが、何かをぶち壊してたまらなくなっていた。「バンドってこういうんじゃないんじゃないんじゃないの?」と思っていた。佐藤はそのあたり、上手いことをいっていた「大人版のピアノの発表会みたいなもんだな、これは」。1/3位溜飲を下げたが、怒りは収まらなかった。ステージ上で司会者に受賞のコメントを求められ「意外です」といったのが、とても感じ悪かった、と見に来た妻に言われた……。
その後、何でだろうとずっと考え続けていた。まだよく自分でもつかめていない、どうして苛立ったのかが、わからないが、途中経過として書いておこう。
このコンテストに応募してきたのは、40歳以上を2名以上含むバンドということで、700組以上が応募し、東京大会にはうち400組、そこからの15バンドなのだから、30倍近い競争率だ。厳選されたと言っていいだろう。
大前提としての、俺の基本スタンスは「音楽をやること、バンドをやっていること、それだけで満点」です。大人がバンドをやっている事は無条件で素晴らしい。もっと増えて欲しい。楽しんで欲しい。
が、それは入り口であって、たとえば今回集まったようなバンドは、次のステップを見据えているべきだと思ったのだ、それは真剣に音楽に取り組むこと、いや、言葉が正確でないな、みんな真剣なのだろう、つまり「音楽の神、ミューズに祝福されるような音楽をやっているか」ということなのかもしれない、不正確で感覚的だが。
たとえ話でいえば、今の音楽に資する何かがあるか、音楽やアートを拡張する何か、せめてその可能性があったか、自我の一部が音楽に投影されているか、音楽だけでない芸術一般の衝動、デーモンがそこにあるか。身を削る、バンドで喧嘩になる、何かがあるか。
さらにたとえ話を続ける。たとえば写真、絵画、文学、俳句、これらの芸術にプロとアマチュアの境界があるだろうか。プロもアマもなく、それぞれのジャンルで身を削るようにアーティスティックに高度な物を指向しているはずだ。バンドに限って、音楽に限って、アマチュアリズムがあって、それは楽しんでいれば音楽の内容はなんでもいい、ということになるのだろうか「なんでもいい」というのは、語弊があるか、つまり、厳しさを備えた真剣さとでもいうべき物か。
俺の自問は続く。たとえば、吉祥寺の曼荼羅というライブハウスに10年ぐらい出ている。たくさんの対バンを見てきたが、このような苛立ちはなかった。むしろ頑張っていることに打たれることがおおかったし、演奏がとてつもなく下手でも、ステージに上がってきた以上、そこにはむき出しのそいつ自身がいて、それは舞台と客席で対峙するに足る物だった。そこには舞台の板の上に立つ演者としての『志』がある。生き様が見える。
俺はロックをやっているわけで、そこには音楽をはじめたときの初期衝動がいまでも宿っている、バカみたいにでかい音を出して気持ちよくなりたい、とんでもないノイズを出して人を驚かせたい、女にモテたい、一山当てて金持ちになりたい(これはもうないが)。ヒルズにオフィスを構えたい(これは柔らか戦車)さらにかっこよくいえば、アートの前衛でありたい。
音楽を含めた、アートの核心には、自分では押さえられない表現衝動、狂気、デーモン、化け物、ガイキチ、暴力衝動、モテたい衝動(性欲かリビドーか)がある。ないはずがない、ないなら、幸せだ、卓越したリスナーでいればいい。
オヤジバンド諸氏、楽しいのは自分たちだけで良いのかな。『楽しさもちゅうぐらいなり、おやじバンド』になるぞ。厳しかろうが、バンドの人間関係がギスギスしようが、仕事に支障が出て職場を追い出されようが、もっと深く音楽を追求したほうが楽しいと思うぞ。高い楽器でちょろちょろ演奏するだけが楽しさじゃない、志をもって「生き様」を見せてくれよ、演奏なんて上手い必要はないぞ。それより、(残りの)人生を賭けて、本気でやろうぜ。
何より、いつも狭い小屋で、いつも見に来てくれるお客さんに見てもらっていて、それはとても有り難いことなのですが、いつも「僕たちの音楽は見てる人にとって本当に面白いのだろうか、こんな感じでいいのだろうか」と自問し続けてきたようなところがあり、こんな形でコンテストで認められたというのは、嬉しいことです。
22年ぶりだな、コンテストは。
22年前は「はる」というバンドを友人の青柳と佐藤とやっていた、青柳とは羅風でもいっしょなので、下手すると30年ぐらい一緒にバンドをやっている状態だな、怖いことに。
ところで先日書きかけたことを書きます。
日経の大人のバンドコンテストの会場でリハを聴きながら、そして本番を聴きながら、俺は猛烈に苛立っていた。どうしてなのかわからないまま苛立っていて、本番に至っては、ギターソロからエンディングに至る部分で、暴力的な衝動を抑える頃ができず、最後のフレーズではアンプのボリュームを思い切り10に回しきっていた。上手くハウリングはできなかったが、何かをぶち壊してたまらなくなっていた。「バンドってこういうんじゃないんじゃないんじゃないの?」と思っていた。佐藤はそのあたり、上手いことをいっていた「大人版のピアノの発表会みたいなもんだな、これは」。1/3位溜飲を下げたが、怒りは収まらなかった。ステージ上で司会者に受賞のコメントを求められ「意外です」といったのが、とても感じ悪かった、と見に来た妻に言われた……。
その後、何でだろうとずっと考え続けていた。まだよく自分でもつかめていない、どうして苛立ったのかが、わからないが、途中経過として書いておこう。
このコンテストに応募してきたのは、40歳以上を2名以上含むバンドということで、700組以上が応募し、東京大会にはうち400組、そこからの15バンドなのだから、30倍近い競争率だ。厳選されたと言っていいだろう。
大前提としての、俺の基本スタンスは「音楽をやること、バンドをやっていること、それだけで満点」です。大人がバンドをやっている事は無条件で素晴らしい。もっと増えて欲しい。楽しんで欲しい。
が、それは入り口であって、たとえば今回集まったようなバンドは、次のステップを見据えているべきだと思ったのだ、それは真剣に音楽に取り組むこと、いや、言葉が正確でないな、みんな真剣なのだろう、つまり「音楽の神、ミューズに祝福されるような音楽をやっているか」ということなのかもしれない、不正確で感覚的だが。
たとえ話でいえば、今の音楽に資する何かがあるか、音楽やアートを拡張する何か、せめてその可能性があったか、自我の一部が音楽に投影されているか、音楽だけでない芸術一般の衝動、デーモンがそこにあるか。身を削る、バンドで喧嘩になる、何かがあるか。
さらにたとえ話を続ける。たとえば写真、絵画、文学、俳句、これらの芸術にプロとアマチュアの境界があるだろうか。プロもアマもなく、それぞれのジャンルで身を削るようにアーティスティックに高度な物を指向しているはずだ。バンドに限って、音楽に限って、アマチュアリズムがあって、それは楽しんでいれば音楽の内容はなんでもいい、ということになるのだろうか「なんでもいい」というのは、語弊があるか、つまり、厳しさを備えた真剣さとでもいうべき物か。
俺の自問は続く。たとえば、吉祥寺の曼荼羅というライブハウスに10年ぐらい出ている。たくさんの対バンを見てきたが、このような苛立ちはなかった。むしろ頑張っていることに打たれることがおおかったし、演奏がとてつもなく下手でも、ステージに上がってきた以上、そこにはむき出しのそいつ自身がいて、それは舞台と客席で対峙するに足る物だった。そこには舞台の板の上に立つ演者としての『志』がある。生き様が見える。
俺はロックをやっているわけで、そこには音楽をはじめたときの初期衝動がいまでも宿っている、バカみたいにでかい音を出して気持ちよくなりたい、とんでもないノイズを出して人を驚かせたい、女にモテたい、一山当てて金持ちになりたい(これはもうないが)。ヒルズにオフィスを構えたい(これは柔らか戦車)さらにかっこよくいえば、アートの前衛でありたい。
音楽を含めた、アートの核心には、自分では押さえられない表現衝動、狂気、デーモン、化け物、ガイキチ、暴力衝動、モテたい衝動(性欲かリビドーか)がある。ないはずがない、ないなら、幸せだ、卓越したリスナーでいればいい。
オヤジバンド諸氏、楽しいのは自分たちだけで良いのかな。『楽しさもちゅうぐらいなり、おやじバンド』になるぞ。厳しかろうが、バンドの人間関係がギスギスしようが、仕事に支障が出て職場を追い出されようが、もっと深く音楽を追求したほうが楽しいと思うぞ。高い楽器でちょろちょろ演奏するだけが楽しさじゃない、志をもって「生き様」を見せてくれよ、演奏なんて上手い必要はないぞ。それより、(残りの)人生を賭けて、本気でやろうぜ。
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