ほぼ週刊イケヤ新聞ブログ版

コピーライター・ミュージシャン池谷恵司の公式ブログです。
私的メールマガジン「ほぼ週刊イケヤ新聞」のブログ版です。

体罰と丸刈りに思う、気高くも厳しい民主主義への道

2013年02月02日 11時16分34秒 | Photo&エッセイ

 

体罰と丸刈り、どっちも同じ根だし

くだらない、と書いたfacebookのエントリーに

たくさんのコメントをいただいたので

返事を書いたんですが、

長いのでブログに載せます。

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友人のみなさん、そして著名な写真家の方まで
ありがとうございます!

このエントリーの最初にこれ以上書くとヤバいのでやめる、
と書きましたが、あえて
僕は体罰、そして丸刈りの問題について、
どうして気持ち悪いのか、考えたことを
やっぱり書いておくことにしました。

体罰は上の側から、丸刈りは今回は下の側からですが
「絶対者への帰依」を感じさせるからです。
マスコミの平らな論議だと「体育会系メンタリティ」で
ライトに済まされてしまっていますが、
世論の心情として、
これを「よしとする」風潮が滲み出てしまうのは
(そして僕がそれを否定しているのは)
「体育会系メンタリティ」は、日本で言えば
旧日本軍のメンタリティにつながっているからで
天皇制につながっているからだと思うのです。

上官の命令は天皇の命令であり、絶対。
それに従わせるための体罰もありがたいもの。
自分が「上」の意志に背いたら、丸刈り。
丸刈りの先には特攻精神があります。
そしてこれは日本人にとって、
否定しながらも、抗しがたい美学を感じてしまう。

でも、私たちはそれを超えて行かなくてはならない。
神は死んだのです。
真の民主主義は気高くも険しい道です。

あらゆる個がすべての責任を自分で負い、
自らが幸福を追求しなくてはならない。

丸刈りにしようが、しまいが、やったことはやったこと。
責任は自分でとる。
自由恋愛いいじゃないですか。
いきずりだっていいじゃないですか。
もし間違ったこと、と思えば自分で悔いればいい。
反省すればいい。誰かに許してもらう必要はない。

音楽に置き換えるとよく分かります。
長い長いジャズのインプロビゼイションで
それがまずかったとしても、
丸刈りにしたら許してもらえるわけじゃない。
その音とフレーズと、休符までもが
その人自身なんですよ。
すべての音、すべての休符に責任を持つ。
自分の持てる能力のすべてをかけて、
演奏する以外にない。
あとで付け届けしたってダメなんです。

人生だって、自分の責任で生きて生きて、
自分の幸福を追求する。

そうすると、ひょっとしたら
本当の意味での神のご加護が
あるのかもしれないです。
(それを期待するのはダメ)

というわけで、これから私、
カラオケでラッパの練習をして参ります。

みなさん、よい週末を!

とおもって調べてみたら11時からでした……。。


2月1日(金)のつぶやき

2013年02月02日 01時56分48秒 | tweet

久々に通勤ラッシュ時より早い電車に乗ってるんだが、目の前の人がブライアンイーノにそっくりでビックリ!


朝っぱらからスーパーのBGMでトッドラングレンがかかっている荻窪が大好きさ。

1 件 リツイートされました

すごくほしいです。太陽光発電して蓄電するバッテリー。 fb.me/1RK5gl5hM


写真のパブリック性と私性は非常に興味あるところ。絶対行こうと誓うのであった。 fb.me/1xT01YcjN


坊主あたまも体罰もくだらないし、根は同じ思想じゃないだろうか、と考えがまとまらないうちに独りごちるモバイルワーク中なのであった。


気休め程度にカラオケ練習。松田聖子を歌わないように注意! fb.me/1Swa8Y5pH


両国のプールの注意書きの最初の項目がゴイス。 fb.me/2oa3nP7iN