ひとり旅への憧憬

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みちのくひとり旅:「鬼の官兵衛」という男

2012年01月29日 00時25分29秒 | Weblog


北門からお堀沿いに南下すると、目指す物はあった。
旧会津藩家老「佐川官兵衛顕彰碑」。
幕末の会津藩を支えた家老の一人で、新選組の隊員からも「鬼の官兵衛」と呼ばれ一目置かれた存在だっだ。
だが、自分としては、明治新政府となりその10年後の彼の最期を知ることで感慨深い存在となっている。

慶応4年の戊辰戦争で会津藩を含む旧幕府軍が破れ、新たな明治政府が誕生した。
しかし、10年後に旧士族達の不満、そして維新の矛盾というものを一気に爆発させた形となった西南戦争が勃発。
嘗て賊軍と言われた旧幕府軍の生き残りは、新政府が募集した軍隊とは別の警察隊にこぞって入隊。
そこで腕に覚えのある旧武士達によって編成されたのが、対薩摩軍のゲリラ戦部隊である「抜刀隊」なのだ。

官兵衛は西南戦争以前から警察幹部として国に従事しており、鹿児島の最前線へと出向いた。
だが、個人的に思うに、旧幕府軍の彼等は新政府軍にいいように利用されただけなのではないかと思う。
つまりは戊申戦争で敗れた後、10年もの間ずっと「賊軍」のレッテルを貼られ虐げられてきた部分があったはずだ。
どこか「日陰」的な生活を送らざるを得なかったはずだ。
だが今度は政府軍、つまりは「官軍」として嘗ての戊申の恨みをはらすべく、賊軍となった薩摩軍と正々堂々と戦えるのだ。
このような逆転の状況を政府が見逃すわけがあるまい。

そのとき流行っていた歌がこれだ。
「勝てば官軍負ければ賊軍、油断しゃんすな順めぐり」

熊本の田原坂の戦いにおいて、官兵衛は敵の銃弾を受け戦死した。
制服の下には、戊辰戦争で死んでいった仲間、会津藩士の名前がびっしりと書かれた肌着を着ていたという。

残念ながら会津藩や佐川官兵衛に関する書籍はあまり持っていない。
詳しいことは何も知らないといった方が正しいのだが、できることなら田原坂の旧戦場跡を一度は訪れてみたいと思っている。