ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

春の北アルプス「余韻の裏側で・・・」

2012年09月09日 22時16分54秒 | Weblog
あと一時間も下山すれば八方ゲレンデに出られるところまできた。
このあたりまで来ると、リフトを乗り継いできた家族連れの姿が目立つようになった。
最終リフトを降り、春の雪を楽しむといった軽いハイキング的なものだろうか。

何組もの家族連れにシャッターをお願いされた。
自分も撮っていただいた。

青空は見えているが、雲行きはどちらかと言えば怪しい。
二日間の縦走時間帯で青空が見えたのは、おそらくは4時間程度だったろうか。
「どうせ(肌は)焼けまい・・・」
そう安易に予測していた自分であったが、翌日から一週間ほどえらい目にあった。
つまりは「雪焼け」だ。

「たったあれだけの時間なのにこんなに焼けちゃったのか・・・」
サングラスをかけていたこともあり、もろ逆さパンダ状態。
それだけならまだいい。
顔面の皮がむけてしまったのだ。
特にひどかったのは「頬骨」の部分で、帰宅した翌朝に洗顔した時、顔をこすった時にぼろぼろと皮がむけて行くのがわかった。
「ありゃ! まさか・・・。」
職場の同僚も「え~っ、いったい何処に行ってたの? 何をしに行ってたの?」
と次々に質問ぜめにあった(笑)。
春山を甘く見ていた結果だ。

もうすぐこの景色ともお別れだ。
本当に名残惜しい。

ソロで残雪の北アルプスだなど、自分のレベルから見れば少し無謀かも・・・と、のしかかる不安を知りながらやってきた。
どこまで独りの力で乗り切れるか分からなかったが、なんとか無事下山できそうな所まで来ている。

白馬三山よ、本当にありがとう。
これほどまでに雄大で、素晴らしい雪景色を見せてくれて感謝している。
28年ぶりに見た「白馬岳」。
見る方角が違えば形も違って見えよう。
それでも若かりし頃の思い出の数々を蘇らせてくれた。
本当にありがとう。
来て良かったよ。

そんな思いを込めて白馬三山を惜しんだ。

麓に下り、バスターミナルまで歩いた。
いたるところに桜の花が咲いている。

「そっか、このあたりのそめいよしのは今が咲き頃なんだ。」

麓からは白馬三山を見ることはできないが、残雪を纏った低山はいくつか確認することはできた。
バスに乗り長野市まで行き、今日は駅前のビジネスホテルに泊まる。
「あぁ~、やっぱりラーメンが食べたいな!」

翌朝早く目が覚め、TVをつけた。
白馬岳で6人が遭難し、全員死亡。

何ということだ。
あってはならない遭難死亡事故。しかも6人とは・・・。
自分が下山途中、名残惜しくていつまでも見つめていたあの山で・・・。
自分の目の前の山で6人も・・・。

感動の裏側で起きた最悪の悲劇。
何故、どうして。

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事故が起きた当時はその原因がよく分からず、あまりにも山をなめていると思いこんでいた。
しかし、後日になり、山岳雑誌などで記事として特集が組まれた。
「そっか、低体温症だったのか・・・。自分自身で、あるいはお互いにその判断が曖昧で誰も気づかなかったのかもしれないな。そして低体温症の第二段階に入ってしまい、いつしか第三段階へ。最後は第四段階か・・・。」

低体温症の第一段階は、寒さによる震えだ。
熱などによる悪寒とは異なるため、単に気温が低いせいだろうと軽く見過ごしてしまうケースが殆どだと言う。
震えが長引き、第二段階になると行動が億劫になったり、意味不明の独り言をつぶやくようになる。
今にして思えば、正月に登った安達太良山のときがそうだった。
寒さから来る体の震えは十分に自覚していたが、まだ大丈夫だろうと安易に考えていた。
しかし、ミドルウェアーを着なければ・・・水分補給をしなければ・・・何か食べなければ・・・という何でもない行動が億劫で仕方がなかった。
ザックを開けることがどうしようもなく面倒になっていた。
あの時の症状が低体温症の第二段階だったのだろうと思う。

幸いだったことは、下山途中であったこと。
そして遠くにぼんやりと光る、スキー場のレストハウスの灯りを目指していたことだ。

無事下山し、帰宅してこその登山であること。
当たり前のことをもう一度考えてみるべきだろう。