憩いの森

安らぎと憩いを求めて!

サイクリング (千葉市畑町・田畑・神社仏閣)

2022-02-17 15:10:34 | 健康・福祉
今日は北風が強いが昼になれば暖かさも戻ってきそうだったのでリハビリのサイクリングを強行した。

コースはさつきが丘団地から西の田畑と神社仏閣の多いエリアを行くことにした。このエリアは千葉に移り住んでから近隣なのに一度も足を踏み入れたことがない道がかなりあるのだ。自転車を押して歩いた時間も長いが走った場所はおおむね下記の通りである。

さつきが丘団地~台地の畑~低地の水田地帯~十二社神社~巨大な屋根の農家群~台地の畑~畑派出所~清凉寺~東京電力変電所~子安神社~セブンイレブン瑞穂の森で休憩~ガーデンプラザ新検見川~花見川区役所~花見川サイクリング道路~汐留橋~亥鼻橋~神場公園~さつきが丘団地

移動距離(自転車+徒歩)は約10kmだった。歩数はスマートウォッチのカウンターは15時現在で3,100歩である。


↓さつきが丘団地の西側台地から走り始める。


↓大地を降りる裏道は小さいが休耕田が増えた中でまだ田植えしている貴重な田んぼだ。低地で団地の姿も見えないエリアなのでまさに田舎の雰囲気が残るエリアだ。しかしこの道は周辺道路の渋滞を逃げる裏道になっているため1980年代以降は車が頻繁に通って危ない。昔は舗装も中央部だけで見通しも悪く車の事故が絶えない場所だった。






↑坂を登るとまた広大な畑が続く台地に出る。



↓この近くにある神社が十二社神社だ。地味な装いで小さい神社のため目立たない。ネットでは権現神社という別名もあった。






↓坂を下ると団地の西側の台地に登る道が見える。




↓坂を下らずにまた引き返して12社神社の脇を西側に進むと畑の台地に出る。この辺りは千葉に来て初めて歩く道だ。小さな墓もある。進むと亥鼻橋に向かう県道72号線に出る。







↓県道を横切ってまた畑のある丘に出ると日蓮宗の清凉寺がある。ここは創価学会の会員がいるのか? 信者が寺の掃除をよくやっているのを見かけたことがある。実はコースで外れてしまったが亥鼻橋に近いところに真言宗豊山派 神照山 長林寺があってなかなか立派な寺である。







↓この付近にある畑小学校の碑文で明治6年に花輪小学校として開校されたと書かれている。歴史ある古い小学校だ。




↓遠くに花見川を渡る亥鼻橋と南側に広がる農家群や畑小学校、京葉道路の北側にある子安神社周辺地図(南側から俯瞰した衛星写真)





↓千葉の電力を担う東京電力の変電所(東京電力パワーグリッド株式会社 花見川変電所)、49年前に千葉に移住したときはもう既に建っていた。



↓子安神社(こやすじんじゃ)、千葉には子守神社(こもりじんじゃ)というのもあるので間違えやすい!周りはうっそうとした森に囲まれていて昼なお暗き場所である。
沿革:口伝によれば、第50代桓武天皇の御宇、平安時代初期の延暦年間(782年-806年)、この一帯を支配する豪族により築かれた子安古墳のお山を御神体として、五穀豊穣の神として創祀された。(https://www.buccyake-kojiki.com/archives/1050717992.html)










↓台地の中を切通で京葉道路が走っている。子安神社の境内が高台にあることがわかる。






↓坂を下りると昔は葦の茂る沼地だった瑞穂の杜エリアに出る。ここには花見川区役所と鹿島建設が建てた巨大高層マンションが立ち並ぶ。






↓セブンイレブンと東大グランド




↓この街のスーパーであるサミットストアと花見川区役所




↓花見川区役所脇の千本桜エリアは春の桜見物の新名所となった。




↓区役所前のマンションと駐車場に大きな携帯電話基地局アンテナができていた。近年できたものだ。



この後はいつものように花見川サイクリング道路を上流に向かって走り、汐留橋~亥鼻𣘺~神場公園~団地に帰宅した。約10kmの自転車の旅であった。


↓ワークアウト結果 ********* 地図をみると辿ったコースは団地から花見川区役所方面に弓なりに抜けて花見川サイクリング道路へ出て右回りに団地へ戻ってきた印象だ。






↓Googleマップ (記事参考広域地図、地図をクリックすると拡大します)



↓Googleマップ (神場公園から東京電力変電所と子安神社の森へ移動、地図をクリックすると拡大します)









↓ほかの参考衛星地図(芝生の東大検見川総合運動場と右側の大賀ハスで有名な東京大学旧緑地植物実験所、花見川区役所と赤い屋根の鹿島建設のガーデンプラザ新検見川マンション、新検見川駅に近い初詣人気の検見川神社が見える)







↓1972年に入居開始の旧住宅公団建設の巨大さつきが丘団地を囲む京葉道路と東関東自動車道、交差する宮野木ジャンクション、特に東関東自動車が湾岸道路から延長されて成田飛行場まで敷設されたのは我が家が千葉に移住してからずっと後であった。京葉道路だけが完成していたが、穴川ICから蘇我ICまで延伸したのは1980年と書かれている。(地図をクリックすると拡大します。この記事には出ていないエリアですが今後の参考のためにアップしました。)