
↑東京杉並区に移住してきた大学1年の時の当方のすまし顔! 写真には高校時代の自作ラジオとSTAR社のアマチュア無線受信機が写っているが、オンボロ送信機は別途ラックに入れていた。
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(ここからが本題です!)
いつも見ている評判の番組だが、2年以上前に放送された「ポツンと一軒家」のその後の様子を取材した番組が先日放送された。その中にアマチュア無線一筋で生きてきたオジサンの話が若いころに自分も持っていた夢を実現したうらやましい方で今回録画再生して番組の記録から記念に静止画を残しておことにした。
アマチュア無線技士の資格取得は、大学1年生になった1964年で東京オリンピックの年であった。その後機器やアンテナを揃えて無線局の申請をし、コールサインはJA1URUを割り当てられた。驚くのは番組に出た方のコールサインはJA1UTS、コールサインは地域別に英字の順番に付けられるのでJA1は関東でわたしと同じ1964年に資格取得されたことがわかる。
無線局の設置で当時は両親と共に杉並区に住んでおり、家の軒先に小さな50MHz帯の八木アンテナを立てて地域クラブのハム仲間と交信したり遠くはオーストラリアの仲間と片言の英語で交信したりした。当方は大学でも無線クラブで活躍していた懐かしい思い出がある。卒論もアマチュア無線の435MHz帯のテレビ送信機製作と通信実験だった。
当時たしかNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」で怪しいスペイン語をあやつる藤村有弘氏もハム仲間でBANSA FUJIMURAの名前で有名だった。1960年代当時でもセットで100万円以上した米国製の高級送信機受信機群を使っていてうらやましい限りだった。一度無理やり交信に割り込んでQSLカードをおねだりしたことがあったが、その記念のQSLカードはもうとっくに処分してしまった。
ところで、話を戻して番組のその方であるJA1UTS氏は中学を卒業してすぐにアマチュア無線の資格を取られたそうで当方のわずか前に取得されたのである。巨大なアンテナを立てて世界中のハム仲間と交信してQSLカード(交信した証明として交換するグリーティングカードのようなもの)を集めるのが夢だった。
当方は結婚して千葉の団地に住むようになって、一度公団事務所に申請許可をもらい、21MHz帯も使えるアンテナを設置したが、やはりいろいろ運用は無理になり、アマチュア無線の趣味は仕事の忙しさもあって愛用していたHF帯トランシーバーTRIO(現KENWOOD)製品の機器は売り払って精算してしまった。
時代が過ぎて仕事でコンピューターの世界を歩くようになり、インターネットの幕開け時代からデジタルの趣味の世界に移り独自のホームページとSNSの世界で小さなグループも作って交流する経験もした。すっかりアナログのアマチュア無線のことは忘れていた。
そのようなデジタル全盛の世界になっているのに、いまだにアナログのノイズのある電波を使って更新するという趣味は、何と贅沢なものであろうか! 今はアマチュア無線の機器の価格は、アンテナも設置しなくてはいけないのでパソコンよりはるかに高額でなんとも贅沢な趣味になっているのである。
それゆえ、現在アマチュア無線を続けている人は非常に少なくなっている。ときどき秋葉原で散策するときは、必ずアマチュア無線の機器を販売しているロケット商会によって最新機器や機関誌を見て時代の趨勢を感じている。
以下はポツンと一軒家で再放送された番組の画面を掲載した。80コマほどになってしまったが閲覧される方、悪しからず!!
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↓リンゴよりも大きな真空管は送信用の機器に使うもので大変高価であった。当方も卒論でこのような真空管を東芝の先輩から安く手に入れた記憶があり非常に懐かしい。

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↓画面に映っている機器類で高価なアメリカ製を含めて垂涎のリグ(機器)が並んでおり一体いくら趣味にお金をつぎ込んだのか!驚くばかりである。奥様がおられるようだが、ここまでお金をつぎ込む夫を許してくれているのか、または、あきらめているのかは聞き逃した!

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10 ↓わたしも高校時代に似たような5球スーパーラジオを自作したが、この方は小学校6年生で自作したというからすごい!完全にオタクといえる。お金もかかるので部品購入代のお小遣いはどうしたのか不思議である。





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********** ここからは当方のささやかなハムの歴史写真を掲載 ********
↓高校時代に制作した自作ラジオ、5球スーパーで配線図から設計した。

↓アマチュア無線が趣味だった頃の写真です。1964年~



↓杉並区世田谷区付近の地域クラブの面々で年齢性別もいろいろだった。

↓大学時代のマイクロ波無線実験の合宿(千葉冨浦付近?)

******* 長々とご視聴ありがとうございました。 m(_ _)m ********
憩いの森さんの写真は何枚かは観たことがあります。
ウチのに見せたら???「広渡さん、若いころ二枚目だったんだね!」
って、過去形かい???
世の中にはすごい人がいるもんですね?
人生、楽しくてしょうがないでしょうね?うらやましい限りです。
憩いの森さんも続けていればそうなったかも?
仕事も家庭も大切だけど・・・自分も犠牲にしたくない!
っておもうけど、自分にはそんな情熱はなかったし向上心もなかった・・・
要するに凡人ということですよね?
男にとってこんな生き方は理想ですね!
ところで、昔TRIOって会社なくなったんだ!っておもっていたけど
KENWOODになったって後で知りました。
わが家のレシーバー(チューナー付きのアンプ)はTRIO製です。
24歳の時、秋葉原で購入しました。中古品でしたがいまでも使っています。
何の問題もなく使えてます・・・すごいですよね?50年も使っているんですよ!
そうそう、むかしは秋葉原で部品を買ってラジオを製作するオタクがいましたよね?
亡くなった兄もその一人でよく秋葉原に行きました。
近所にも仲間がいてアンテナを立ててゲルマニウムラジオつくったり
電話ごっこしたり・・・
マイクとイヤホーンに電線をつなげて近所の友達と夜中に交信しました。
これがなんとも不思議?交信できたのです。
でも、やっぱりというか感度が恐ろしく悪くて続かなかったです。
そうそう、以前奥多摩の山に行ったとき無線交信している人がいました。
小型のアンテナを立て、パソコンを使ってやっていました。
まだまだオタクはいるものですね~感心しました・・・
Lab通信さんも電気に関係したお仕事でしたね。わたしと共通する話題も多いです。
>ウチのに見せたら???「広渡さん、若いころ二枚目だったんだね!」って、過去形かい???
いやいや、過去形で結構ですよ。次回奥様になにか差し上げないといけないですね。今はメタボの爺さんに変化しましたが!
>憩いの森さんも続けていればそうなったかも?
いやーっ! それは無理だったでしょう。JA1UTSさんが今も現役でハムを続けているのは、趣味のために山を買ったこと、電気工事の資格を持っていること、自分で鉄塔を建設できるスキルがあったこと、重機を運転して自力で山道を整備できたこと、小屋を自力で建設できたこと、等々です。
情熱はもちろん、これらの一つでもわたしは不可能でした。
>要するに凡人ということですよね?
そういうことです。
>男にとってこんな生き方は理想ですね!
まさにロマン溢れる生き方ですね。
>わが家のレシーバー(チューナー付きのアンプ)はTRIO製です。・・・すごいですよね?50年も使っているんですよ!
それはすごい! 普通はコンデンサーの容量抜けや電源回りが駄目になるのですが、50年も生きているとは、そのような電化製品に私はお目にかかったことがありません。
これはもう記念品として末永く保存すべきですね!
>そうそう、むかしは秋葉原で部品を買ってラジオを製作するオタクがいましたよね?
アキバの歴史をたどると戦後はラジオは製品が少なく秋葉原で部品を集めて自作するのが流儀だったそうですね。
>亡くなった兄もその一人でよく秋葉原に行きました。
わたしと同じ人種だったのでしょう。!(^^)!
>ゲルマニウムラジオつくったり電話ごっこしたり・・・
そうそう、同じくです。わたしは小学校中学校の半分までは北九州でしたが、鉱石ラジオを親父が小倉で買ってきたら八幡の自宅では電波が受信できなかった残念賞がありました。
その後それがきっかけでゲルマニウムラジオを作って夜になると強力に受信できた当時の米軍の進駐軍のFEN放送、そして毛沢東による共産圏のプロパガンダを押し込む北京放送、そしてモスクワ放送など聞くのが楽しみでした。
友人との電話ごっこはわたしもやりました。こんな他愛ない遊びもしっかり楽しい記憶として残っています。
>以前奥多摩の山に行ったとき無線交信している人がいました。・・・小型のアンテナを立て、パソコンを使ってやっていました。
そうです。今はパソコンと連動してデジタルの制御系の良さも生かしているようです。
でもハムの喜びの極致は、やはりアナログ電波のノイズの中からモールス符号でやり取りする交信でしょう。
わたしも2級アマチュア無線技士の資格を持っているので昔は試験官と対面して送信と受信(試験官の打つ電信を聞き取る)実技試験を受けました。
2級は英字のモールスはできないといけないのですが、さすがに大半忘れています。
A→亜鈴、B→棒倒し、C→チャートルーム、Ⅾ→道徳、・・・と言った語呂合わせの虎の巻がありました。
しかし、現在は電信の実技はアマチュア無線技士の試験からなくなっています。
イヤー!また秋葉原に出かけて数少ないハムの店を回ってみたくなりました。しかし、コロナ感染が心配でちょっと勇気がいります。
もう少し待つしかありません。今日は懐かしい話題提供のLab通信さんに感謝します。