第3570号 30..10.16(火)
天に四時(しいじ)有り、春秋冬夏、風雨霜露(そうろ)、教に非ざる無し。地は神気を載す、神気は風霆(ふうてい)なり、風霆形を流(し)き、庶物露生す、教にあらざる無し。清明、躬に在れば、気志神の如し。耆欲(しよく)将に至らんとすれば、開く有りて必ず先んず。天時雨を降さんとすれば、山川雲を出すがごとし。『礼記』788
孔子が続けて、「天に四季の推移があって、春夏秋冬それぞれに異なり、あるいは天候に風雨霜露の変化があることなど、すべて教訓の種ならぬはない。また地は五行という精気を載せているが、その気の作用として風や雷が起こり、風や雷が速かに運動して万物の基本の形を天地の間に配置するから、それによって万物が発現するのであって、これらの事すべて教訓の種ならぬはない。そして精気を多く身に備えた人は、その意気の活動が神妙で、その人の願望が今や実現されようとする時は、必ず何らかの前兆が起きるのであって、あたかも天が時節の雨を降らそうとする時、必ずまず山川から雲が立ち昇って前兆をなすが如くである。
【コメント】この解説を読んで思うことは、現今の災害等は人間の営みとも連関しているのではないかとかねがね思っていたことでした。人々の要求を満たすのは到底出来るものではないと思います。なぜなら働く人々は、苦しんでもいないのに生活が苦しいと言います。
労働運動が行き過ぎたらも、これで満足ということはないのです。働きながら家庭を支えて来た私は、労働組合の幹部の立場にありながら、何時も違和感を抱いていたものです。そういう私に盾ついた男たちは早々とあの世に旅立ちましたが。
80年間生きて来て言えることは、正直ほど強い者はないということです。
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征韓論に反対した大西郷
ここに、中国革命の祖、孫文が大正十三年(一九ニ四)十一月二十八日、神戸商業会議所の要請により神戸で行った講演録がある。孫文は翌年三月十二日肝臓癌で絶命しているから、これが最後の講演かと思はれる。
「アジアの文化は王道の文化で、仁義道徳を中心としている。之に反して欧州の文化は覇道の文化で、功利強権を中心としている。東洋の道徳は西洋より抜きん出ているのだ。
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『善の研究』第49回
心理学者のいうように、我々が運動を意志するにはただ過去の記憶を想起すれば足りる。即ちこれに注意を向けさえすればよい、運動は自らこれに伴うのである。而してこの運動その者も純粋経験より見れば運動感覚の連続に過ぎない。凡て意志の目的という者も直接にこれを見れば、やはり意識内の事実である、我々はいつでも自己の状態を意志するのである、意志には内面的と外面的との区別はないのである。
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天に四時(しいじ)有り、春秋冬夏、風雨霜露(そうろ)、教に非ざる無し。地は神気を載す、神気は風霆(ふうてい)なり、風霆形を流(し)き、庶物露生す、教にあらざる無し。清明、躬に在れば、気志神の如し。耆欲(しよく)将に至らんとすれば、開く有りて必ず先んず。天時雨を降さんとすれば、山川雲を出すがごとし。『礼記』788
孔子が続けて、「天に四季の推移があって、春夏秋冬それぞれに異なり、あるいは天候に風雨霜露の変化があることなど、すべて教訓の種ならぬはない。また地は五行という精気を載せているが、その気の作用として風や雷が起こり、風や雷が速かに運動して万物の基本の形を天地の間に配置するから、それによって万物が発現するのであって、これらの事すべて教訓の種ならぬはない。そして精気を多く身に備えた人は、その意気の活動が神妙で、その人の願望が今や実現されようとする時は、必ず何らかの前兆が起きるのであって、あたかも天が時節の雨を降らそうとする時、必ずまず山川から雲が立ち昇って前兆をなすが如くである。
【コメント】この解説を読んで思うことは、現今の災害等は人間の営みとも連関しているのではないかとかねがね思っていたことでした。人々の要求を満たすのは到底出来るものではないと思います。なぜなら働く人々は、苦しんでもいないのに生活が苦しいと言います。
労働運動が行き過ぎたらも、これで満足ということはないのです。働きながら家庭を支えて来た私は、労働組合の幹部の立場にありながら、何時も違和感を抱いていたものです。そういう私に盾ついた男たちは早々とあの世に旅立ちましたが。
80年間生きて来て言えることは、正直ほど強い者はないということです。
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征韓論に反対した大西郷
ここに、中国革命の祖、孫文が大正十三年(一九ニ四)十一月二十八日、神戸商業会議所の要請により神戸で行った講演録がある。孫文は翌年三月十二日肝臓癌で絶命しているから、これが最後の講演かと思はれる。
「アジアの文化は王道の文化で、仁義道徳を中心としている。之に反して欧州の文化は覇道の文化で、功利強権を中心としている。東洋の道徳は西洋より抜きん出ているのだ。
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『善の研究』第49回
心理学者のいうように、我々が運動を意志するにはただ過去の記憶を想起すれば足りる。即ちこれに注意を向けさえすればよい、運動は自らこれに伴うのである。而してこの運動その者も純粋経験より見れば運動感覚の連続に過ぎない。凡て意志の目的という者も直接にこれを見れば、やはり意識内の事実である、我々はいつでも自己の状態を意志するのである、意志には内面的と外面的との区別はないのである。
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