沖縄に豚を送った7人の侍

2012年11月09日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


11月8日の20時~20時45分にNHKローカルで、【復帰40年企画】「沖縄NHKが制作した第32回 5,000頭輸送作戦」<1999年放送分>の再放送があった。

資金集めから輸送に携わった7人衆の生き残りの一人、上江洲易男さん(80歳)が語る。戦前ハワイの養豚業で成功していた時、「真珠湾攻撃に遭遇」する。太平洋戦争後、沖縄に行っていたアメリカ軍人(沖縄出身者)が伝えた、「沖縄のフールに豚なし!」の新聞記事を見て、厳しい栄養不足に陥っている沖縄に豚を送る事を計画する。

正確な情報が少ない時期に、同胞の妨害に合いながら、困難を極めるが手を尽くし、何とか当時の金で5万ドルを集め、アメリカ本土の豚を買い付けた。1948年5月19日、マッカサーの許可も下り、8月31日ポートランド港をアメリカ軍の船で出航。

2日後、大しけに合い500頭の豚、甲板を走り回り数頭海に落ちる。3日後港に引き返す。アメリカ軍の船員が、甲板に豚小屋を造ってくれた。再び、出航。人間よりも豚を優先して船は進む。7名は、休みなしで豚の世話をする。疲れ切っていた時、船上で子豚が生まれた!!

2週間目に、ハワイ沖で日本軍が残した機雷に遭遇!昼夜機雷を避けて、無事通過する。

いつしかアメリカ軍の船員と7名に友情が芽生える。

4週間後、沖縄の島影が見えた。沖縄は、山が焼けて木が一本もなかった!!海は、アメリカ軍の戦艦で一杯だった。

9月27日、東海岸勝連「ホワイトビーチ」に着岸。近付いていた台風で6頭海に落ちたが、アメリカ軍将校と沖縄の青年が海に飛び込み救った。結果、530頭が上陸来た。

豚を届けた後、7名は沖縄の姿を撮影した。戦後3年目、沖縄の人達の逞しい姿がフィルムに残されている。戦後初めての伝統祭りが撮影されている。フイルムの最後には、校舎の無い校庭での運動会が撮られてた。

1999年の沖縄。勝連で養豚家のコメント、「1頭を貰って、言葉に出来ないくらい嬉しかったです。それで戦後を乗り切れました!今では、500頭の養豚場です」。

1999年現在、沖縄県の豚は、14万頭に増えた。しかし、沖縄でもハワイの7人を知る人は少なくなっている・・・。



感動した!半世紀前の実話である。誰か映画にしてくれないか!


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1 コメント

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Unknown (キン坊)
2013-04-18 01:40:12
2012年4月1日から2013年3月31日までに、沖縄タイムスの一般投稿欄に掲載された投稿は計2379本(「主張、意見」1611本、「論壇、寄稿」411本、「茶のみ話」357本)。

投稿者年齢別の投稿数
10代  27  1.1%
20代  47  2.0%
30代 171  7.2%
40代 271 11.4%
50代 230  9.7%
60代 685 28.8%
70代 734 30.8%
80代以上 213  9.0%
不明   1  0.0%

投稿者の平均年齢は62.64歳。
10回以上掲載された人は、52人。

掲載回数の多い方(敬称略)
第1位 渡真利善朋(44)豊見城市 45回
第2位 仲村直樹 (41)宜野湾市 39回
第3位 高安哲夫 (40)那覇市  38回
第4位 山根光正 (69)那覇市  29回
第4位 知念勇一 (71)嘉手納町 29回
第6位 大嶺よし子(68)豊見城市 26回
第6位 上治修  (50)福岡市  26回
第8位 鳩間用吉 (75)那覇市  25回
第9位 岸本定政 (65)糸満市  24回
第9位 比嘉寛  (65)那覇市  24回
第11位 池辺賢児(35)宜野座村 23回
第11位 幸地忍 (68)八重瀬町 23回


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