嫌われる勇気 (23)

2015年02月27日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<2月19日、東京駅八重洲口。「夕方の空」>

アドラーの「嫌われる勇気」 岸見一郎+古賀史健著より 245~250P

第5章 「いま、ここ」を真剣に生きる

f.ワーカーホリックは人生の嘘

世の中には善人ばかりではありません。間違ってはいけないのは、攻撃してくる「その人」に問題があるだけであって、決して「みんな」が悪い訳では無い、という事実です。

神経質なライフスタイルを持った人は、何かと「みんな」「いつも」「すべて」といった言葉を使う

「みんな自分を嫌っている」とか「いつも自分だけが損をする」とか「すべて間違っている」と言う。

アドラー心理学では、こうした生き方を「人生の調和を欠いた生き方」と考えます。これは物事の一部だけを見て、全体を判断する生き方です。

ユダヤの教えに、こんな話があります。「10人の人がいたら、そのうち一人はどんな事があってもあなたを批判する。あなたを嫌ってくるし、こちらもその人の事を好きになれない。そして10人の内2人は、お互いにすべてを受け入れ親友になれる。残りの7人は、どちらでもない人々だ」と。

この時、あなたを嫌う一人に注目するのか。それともあなたの事を好きな2人にフォーカスを当てるのか。

人生の調和を欠いた人は、嫌いな人だけを見て「世界」を判断してしまいます。

対人関係が上手く行かないのは、自己受容や他者信頼、他者貢献が出来ていない事が問題なのに、どうでもいいはずのごく一部だけに焦点を当てて、そこから世界全体を評価しようとする。

例えば、ワーカーホリックの人。この人達もまた、明らかに人生の調和を欠いている。「仕事が忙しいから家庭を顧みる余裕がない」と弁解する。

しかし、これは人生の嘘です。仕事を口実に、責任を回避しているに過ぎない。

本来は家事や子育て、あるいは交友や趣味にも、すべてに関心を寄せるべきであって、どこか突出した生き方などアドラーは認めません。

それは、人生のタスクから目を背けた生き方です。そうした人は、「行為レベル」でしか、自分の価値を認める事が出来ていないのです。

自分は働き、家族を養う金銭を稼いでいる。だから自分は家族で一番価値が高いのだ、と。

しかし、誰でも自分が生産者側でなくなる時が来る。この時、「行為のレベル」でしか自分を受け入れられない人は、深刻なダメージを受ける事になる。

自分を「行為のレベル」で受け入れるか、それとも「存在のレベル」で受け入れるか。これはまさに「幸せになる勇気」に関わってくる問題なのです。

※ユダヤの教えは理解出来る。しかし、家族を養う事を「自慢」はしないが、「自負」はしている。それを「行為レベル」で、「存在レベル」ではなく、「幸せになる勇気」には繋がらないと言われても理解出来ない。


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