『沢木耕太郎講演会』

2008年03月01日 00時05分32秒 | 沖縄現地情報
<昼に見た、那覇高校の桜>
2月29日、「沢木耕太郎」さんが沖縄に来た。私にとっては、30年振りの出会いです。
私が27歳の時、東京の新橋で「沢木耕太郎を囲む会」に参加させて頂いた以来です。話を聞いた後、10人位で赤坂で食事をした。
そこで、沢木さんの本を読んで与那国島へ行った事を話した記憶がある。

今回は、那覇市内の琉球新報ホールの壇上にいた。
主催は、琉球新報社で、「団塊世代集まれ!!チャンチャンコからの人生」のキャッチフレーズで、沖縄の「沢木耕太郎を聴く団塊世代の会」「社団法人養秀同窓会(首里高校)」の共催だった。

第一部には、「泉恵得」「首里高校合唱部」が、「宮良長包」を歌った。
第二部が、講演会「自由の代償」。

ステージに立った、沢木さんは若かった!
昨年60歳になったとは思えないスリムで柔らかい話方はまったく30年前と変わらない。30年前は、まだ繊細なところがあったが、丸くなっていた(失礼)。

講演の内容は、近況報告の後、「山野井泰史(登山家)」さんと「クリントン・イースト・ウッド」の生き方を例に出して、ソロとパーティという真反対のタイプの人の生き方の話された。
作家は、ソロである。登山は、普通パーティだが、山野さんは、一人でヒマラヤに登るソロアルピニスト。
サラリーマンは、パーティだろう。定年を迎えてソロになれない人が多い。
ソロの職業を長く続けられる人は、不意の出来事に対する対応を考えて生きている。

俳優の時ソロで生きてきた「クリントン・イースト・ウッド」は、監督になってパーティになったが、60歳でアカデミー賞を獲ってピークを迎えたかと思ったら、3年後に「ミリオンダラーベィビー」で二度目のアカデミー賞を獲った。その後も「ミステックリバー」で、三度目を獲り、昨年も「硫黄島からの手紙」最終審査に残る素晴らしい作品を作り続けている。

70歳を超えても衰えない。ソロの人は、老いると頑固になるタイプと寛容になるタイプがある。
寛容になれる人は、「他人を信じられる」人だと思う。そうすると、周囲の人がさらに助けてくれるようになる。
これからの、老人の生き方に見本人なるのではないだろうか。
と、いうような話だった。

終った後、ジャズバーで打ち上げがあると事務局の人が話をしていたが、私の方にも別の飲み会があったので、参加できなかった(残念)。