晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

六道の辻界隈ー5 10/15

2017-10-15 | 上林たんけん隊

2017.10.15(日)雨

 地獄や六道に思いを巡らせている際に興味深い催しが開催されている。龍谷ミュージアムで開催されている「地獄絵ワンダーランド」である。巷では衆院選挙が盛り上がっているさなか、ここでは「地獄オールスターズ選抜総選挙」が行われており、閻魔大王や刀葉樹の女など地獄のスターが立候補している。わたしはもちろん奪衣婆に投票するつもりだが、理由は前回書いたように、実在の人物だと思うからだ。しかしこの時代嘘ばかりついている政治家の舌を抜くのが仕事の獄卒Aも捨てがたい。とにかくこの総選挙はワクワクする。


    立候補者一覧表、衆院選よりおもしろいぞ!

 さて次には南無地蔵の移転先を追うことにする。南無地蔵の三昧(火葬場)は豊国廟(大和大路正面)にその煙がかかるという理由で、建仁寺の西に移転させられ、鶴林と呼ばれることとなる。鶴林(かくりんともつるのはやしともよばれていた)とは火葬場としてはなんともめでたい名前で不思議な感があるが、釈迦入滅の際に沙羅双樹の葉が悲しみの余り鶴の羽のように白く変わってしまったという故事に基づくものだそうだ。豊国神社の創建が1599年と言われるのでその前後のことであろう。その場所は建仁寺の西、京都ゑびす神社の南、旧新道小学校のあたりということである。
 四天の辻子を五条通まで下がり、元来た道を引き返す。珍皇寺、西福寺、愛宕念仏寺跡を西に進み、大和大路を北にとる。ここに姥堂があったのだがその跡も見過ごしてしまった。やがて建仁寺の西門に至り、その向いが廃校となった新道小学校である。田舎でもそうだが都市部においても廃校というのは独特の寂しさがある。その廊下やグランドに走り回る子供たちの姿が浮かんで来る。

 四天の辻五条、建仁寺西の大和大路、旧新道小学校
 恵比寿神社だってかつては雑然とした子供たちの遊び場だったのだろうが、今は誰一人居なくて整然とした境内がかえってむなしい。恵比寿神社だけに、金儲けに血道を上げた名士の寄付金の石柱が並んでいる。大会社や著名な方々も並んでおり、しらけるばかりである。南側にあるはずの鶴林の跡が覗けないかと思ったが、建物が並んでいて展望がきかない。やむなく旧新道小学校を東から南に回り、西側を上っていく。八坂通りから団栗通りまでのこの道が新道らしい。やがて門扉の向こうに小学校のグランドが見えてきた。このあたりが鶴林の火葬場跡のようだ。門扉の間にカメラを突っ込んで、何でもないグランドの土を写す。


    恵比寿神社、旧新道小学校の門扉とグランド

 火葬場と言ったって、当時はたいした建物もなく、野原の中の現場のようなものだろうが、都の数少ない火葬場だけに、昼夜煙の絶えない活気のあるものだったのだろう。鶴林はその臭気と煙がもとで、最勝河原(三条西土居通り)に移転することになるのである。

 
 

コメント
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