晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

上林の両墓制(13) 両墓制と他界観-5 8/9

2014-08-09 | 歴史・民俗

2014.8.9(土)雨、台風11号

 誤解が生じると思うので書いておくが、前述の「日本民俗学214号」が有馬シンポジウムの報告をしているわけではない。有馬シンポジウムは1967年のことで、日本民俗学214号の発行は1998年で実に30年のひらきがある。要するに214号では30年前に開かれた有馬シンポジウムの評価をしているということのようだが、要点は、「両墓制とは石塔を指標とする」という到達点と、「詣墓に代わるもの」についての論議のようだ。(浦池勢至氏の論文から)「詣墓に代わるもの」というのはこれまでに出てきたニソの杜などもそうだし、仏壇、位牌、菩提寺の本堂、仏堂、霊場などが挙げられているが、石塔を指標とするという原則に相矛盾するものであって、このことが混乱の原因ではないかとわたしは思っている。
 有馬シンポジウムでは両墓制の概念規定を明確化しようという目的もあったようだ。
①死体を埋葬する処(埋墓)と霊魂をまつる処(詣墓)とが地点を異にする。
②霊魂をまつる処は石塔を標識とする(詣墓は必ず石塔墓という形をとるのでなければならない)
③詣墓は家毎に設けられる。
④その家は必ず庶民クラスの家である。
 という最上孝敬氏の規定を仮の前提として討論を進めようとしたそうだ。
この4項目を全て満たしたものが両墓制であって、一つでも欠けたものは両墓制に代わるものとしたのである。
 この前提が物議をかもし、討論が進まなくなったという風に書かれている。「両墓制と他界観」の中には書かれていないのだが、考古学の森浩一氏がこの場に出席されていて、特に項目④について反論されたとある。森先生といえば考古学の第一人者なのだが、考古学のみならず民俗学、史学あらゆる分野が協働すべきという考えを持っておられて地名なども随分と参考にしておられる。有馬シンポジウムに参加されていること自体とても素晴らしいことだと思うし、おそらく考古学者の参加は森先生だけではないかと勘ぐっている。つづく
P1030535


これはわたしの家の墓地。現在では火葬単墓制となっているが、かつては土葬で石塔の前に穴を掘って埋められていた。

【今日のじょん】ゴーヤのカーテンはじょんの居場所の日射しを避けるために作っているのだが、今年はどういうわけか出来が悪い。5年間種を採っては育ててきたが、たまには更改すべしと苗を買ってきたのだが、、、。P1030504 P1030551



左は7月末の状態、そのうち茂るだろうと思っていたが右の有様。連作障害か?

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