2014.8.10(日)雨、台風11号
森先生が異論を唱えたのは④その家は必ず庶民クラスの家である、というところだ。確かに①~③は概念を限定するという意味で理解できるが、④は意味が解らない。わたしの周囲にある両墓制の墓は確かに庶民クラスの墓である、だからといってそれを両墓制の条件に当てはめる理由は分からない。例えば封建領主の墓はそうでなくても、下級武士だが庶民とは言えない者が埋墓に埋葬され、寺院境内の詣墓に石塔が発見されたらどうするのだろう。
最上氏が④を提案した理由が解らないので批判できる立場ではないのだが、森先生が反発された理由は知りたいものだ。亡くなられた今は確かめようがないのだが、「墓地」(森浩一編 社会思想社)の中に横田健一氏(日本古代史、文化人類学専攻)との対談があり、その中にヒントらしきものがあるので紹介しておこう。
森先生は古墳の発掘に関する文献の中で、死骸のない古墳について多くのことを語っておられる。盗掘の形跡がないのに埋葬施設が見つからない奈良市の杉山古墳の例や神話上の日向三代、日本武尊の例なども挙げておられる。
「だから、日本の場合は両墓制ということを典型的な形で考えるけれども、それと共通した例を広い視野でさがしてみる必要がある。」と話しておられる。古墳を造ろうというのが庶民クラスでないのははっきりしているし、両墓制を近世の石塔に限定しようという方向にも反対だったのではないだろうか。
「墓地」(森浩一編 社会思想社 1975年初版)
このように両墓制をめぐる概念というのは混迷するわけだが、石塔を標識とするという規定は定着してきたのではないか。
そしてより多くの調査が行われるようになり、竹田聴州氏が京北町比賀江の詣墓に永正五年(1508年)紀銘の宝篋印塔を最古として、中世末から近世初頭の石塔十数基を発見し、両墓制が中世にまで遡ることを推定した。この両墓制の始まった年代は通説になっているようである。つづく
【今日のじょん】
台風11号が去ったのかと思ったらまだ上陸していなかった。雨風のオシッコウンPは大変なのだ。やっと場所が決まったと思ったら、風で草木が揺れて又一から場所探しが始まる。結局ウンPが終わるまで10分程度、じっとにんにん。
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