晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大栗峠考(49) 7/9

2018-07-09 | 山・峠

2018.7.9(月)晴れ 二つの大栗を訪ねる-3

  大栗という地名については大栗峠考36~39(2016.5.26~)に記載している。大栗峠の大栗は、志古田の小字であり、「刳る」(くる)から来た、えぐられたような崩壊地名もしくは谷から斜面に取り付くところの大岩が由来。忠町の大栗は、大水の際に狭隘部で水がせき止められ逆流して渦巻く様子、あるいはその下流から始まる岩礁、いわゆるぐりが由来ではないかと書いた。今回は新たに十倉志茂町の大栗について新たな証言を得たり、現地を見て新たな発見をしたので、あらためて考察してみたい。
 さて次の写真を見比べて頂きたい。

写真中央の遠望が大栗のあるところだ。見なれた人でないとどちらがどちらか解らないだろう。左が十倉志茂、右が忠の大栗である。どちらも上林川による堆積で広がった平地が両岸の山が狭まり狭隘で屈曲した河川となる部分で、ちょうど胃の幽門のようなところである。どちらの大栗も左岸にあるが、忠町大栗は狭隘部分に入る手前、川沿いの細長い所であり、十倉志茂大栗は狭隘部分に入った少しの所、川沿いから山を含んだ広いところである。
 昨年10月の台風は上林に大きな被害を及ぼしたが、十倉でも大栗の狭隘部分の水流が滞り、右岸の田園地帯に押し寄せたということである。これは規模は違うが忠町の28水の時と同じ現象であり、見た目にはさほど狭隘になっているとは思えないのだが、水量が増加したときには、狭隘部分の水位が上がり、水の停滞、逆流現象が起きるのだろう。
 両大栗の共通点はそれだけでなく、その後屈曲したゴルジュ帯が続くこと、左岸から顕著な谷が下っていること、そしてどちらにも複数の古墳が存在することである。一致しない事柄は、忠町大栗の上部は地滑り地形で崩壊跡もあるようだが、十倉志茂大栗の場合はそのようなものは見られないことである。つづく

 

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