晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 「縄文語の発掘」-2 7/3

2018-07-02 | 雨読

2018.7.3(月)晴れ

 大友氏のいうとおり言語学界での日本語の起源に関するアイヌ語の位置は低い。低いというより日本語とはまるで関係ない、異質の言語だという意見が大半である。全国にアイヌ語起源の地名があるじゃないかという意見はあるにはあるが、完全に無視されていて日本語がアイヌの中に取り入れられたという風に考える説もある。
 アイヌ語だけでなくアイヌ文化についてもいくつか読んだのだが、日本人とは違う、日本文化とは異質の文化という見方が多いようだ。古い文献にはその傾向が強く、差別的な表現も見受けられる。その中でR・ヒッチコック(セントルイス出身の化学者)の「アイヌ人とその文化」-明治中期のアイヌの村からー、は数多くの写真や絵があり、客観的に科学的に明治時代のアイヌの様子を紹介している。それは将に縄文人の末裔ではないかという生活である。全国に残る伝説に登場する「土蜘蛛」という大和政権に侮蔑されたおそらく縄文人であろう人々の生活がそこに残っているのだ。
 話がそれてしまったのだが、バチラー、金田一京助などアイヌ語を世に紹介した功績は大きいが、彼らはアイヌ人は日本人とは別の人種、アイヌ語も日本語とは別の言語という考えに基づいている。後に続く研究者も同様の態度で臨み、その傾向に拍車をかけたのが、戦前の国粋主義である。現在問題になっている、アイヌの遺骨返還問題などはアイヌ人は日本人とは別の人種であることを証明すべく戦前の大学が収集したもので、京大だけがその返還に応じていないという極めて由々しき問題である。
 そんな中で始めてアイヌ語と日本語祖語(縄文語と呼んでおられる)との関係を主張される本に出会ったのが本書である。
 「縄文語の発掘」鈴木健著 新読書社 借本



 縄文語というのは「縄文語の発見」小泉保著が使われた表現かとも思うのだが、大友氏がアイヌ語系言語と呼ばれているものと同じであり、3世紀以降朝鮮半島から渡来人と共に入ってきた古代朝鮮語以前の言葉として、日本固有の言語として縄文語はわかりやすい呼び方だと思う。学者によってこの呼び方は違っていて、言語学界で統一されないものかと思うが、この言葉であれどこからか入ってきたもので、それについてはおそろしいほど多くの説があり、追求し始めるときりが無い。
 ともあれ本書は借本なので、購入して精読した後に内容について報告したい。終わり

【今日のじょん】

 キャドック(動物病院)さんに行ったときは沢山のお友達に会えるので興奮気味、だって近所にはワンコが居なくなって、匂いも
無いんだもの。でも医療費、シャンプー代、フード、おやつ、シートや身の回りのものでじょんゲル係数高いのよね。

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雨読 「縄文語の発掘」-1 7/2

2018-07-02 | 雨読

2018.7.2(月)快晴

 地名について研究を始め10数年がたち、ようやく自分で考えられるようになった。当初は先生方の本を読んで、なるほどこういう地名にはこういう意味があるのかと知識を増やすばかりの方法だったのだが、それは単にうんちく家というにすぎない。やがて現地調査や関連分野の研究、例えば地質や鉱物、民俗や考古なども研究するようになりいくつかの地名について解明するようになったが、身近にある普通の地名、例えば小田、前田、於見、平林など多くの地名がわけがわからない。それに上林にある草壁、日置谷、弓削といった部民に関する地名というのも果たしてそうなのか疑問もわいてきた。そんな時にアイヌ語で解くと多くの地名が解明できることに気づいた。

日本語の起源というのは難しい、なにせ形のないものだから。
 実はアイヌ語地名については当初から興味があり、知里真志保さんの地名アイヌ語辞典、アイヌ語入門など購入していた。ところが一般の地名辞典のようにすぐに身近な地名に結びつくようなものでなく、あくまで北海道などアイヌ居住地の地名に関する書物だと判断してしまった。同時にその頃に読んだ本がいけなかった。「古地名の謎」(2010.7.20参照)「九州の先住民はアイヌ」(2010.8.15参照)などは本州にもアイヌ人が居たという位置づけで、前者などは恐ろしいほどの語呂合わせの地名解であきれてしまった。そんなわけでアイヌ語の研究は遠ざかってしまったのだが、大友幸男氏の「日本のアイヌ語地名」「日本の地名散歩」でまたアイヌ語を研究しようと言う気になった。大友氏は原日本語ともいえる縄文から弥生初期の言葉がアイヌに残ったと言う考え方で、前述のようにアイヌが日本全国に居たということではないわけだ。
 この考え方に理解が出来るのは、埴原和郎氏らのアイヌ原日本人論で科学的にアイヌは原日本人であることを証明している本を読んだからだろう。ところが、大友氏の本の中に「自論は学会の中では異端である」というふうな書き方がされていた。では学界ではどういう考え方をしているのだろうということで、日本語の発祥に関するあまたの本を読みあさることとなったのである。つづく

 【今日のじょん】モモちゃんがきたらおかあにくっつき回っている。なんでっておいしいもんくれるからやろう。

 

入れんようにしといたらずっとこうやって覗いてんだぜ、おもろいねえ。


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