晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

何なんだ、盃状穴(51) 12/1

2016-12-01 | 盃状穴

2016.12.1(木)曇り 上林の盃状穴(50)は2015.11.3
「なぜ、雨だれ説が多いのか?」(1)

  盃状穴に関する記事は「あなしら上林」で照会中なのでそちらをご覧いただくとして、最新の情報はこちらで掲載することにする。また「上林の盃状穴」のタイトルは上林に特定するという意味で本記事の趣旨にそぐわないので51回目をもって、「何なんだ、盃状穴」と変えることとする。号数は継続する。
 一番最初の聞き取りは、八木町船枝の京都帝釈天参道の灯籠台石だと思う。持ち主の西村さん(70代の男性)は即座に「雨だれの跡やろ」と言われた。「よく見てください、雨水が落ちる位置とは違いますよ」と言うと納得していただいた。じゃあ何なんだということになるのだが、各論、いろいろの説を言うしかない。そして盃状穴に関する聞き取りをしていくと一定の方向が見えてきた。
60代以下(男性)  そんなもん、知らんで。
70~80代(男性) 雨だれの跡と聴いている。
女性は未だ、知らない人ばかりである。こんな感じなのだが、なぜ一目瞭然雨だれとは考えられないのに、雨だれ説が多いのだろうか。今回も3人の方に聞き取りをして、83歳男性、70歳代と思われる男性が雨だれ説であった。もちろん雨だれが石を穿っているのを目撃したわけでなく、そう聞いている、そう認識していると言うものであった。違う神社なのに、「かつて大きなケヤキの木があって、その葉のしずくらしい」という話は同一である。どちらの神社にも大きなケヤキがあって、換金すべく売ったというのは事実のようである。無くなったケヤキの葉から落ちるしずくがどのように垂れていたかを知るよしもないが、少なくともあの盃状穴を穿ったと言うことはない。両方の神社とも、ケヤキがあっただろう位置では無いところにも盃状穴が存在しているのだ。そして現実の雨だれの穴を見ている私にとって、盃状穴のあの形状は雨だれが原因のものでないことは一目瞭然である。


渋谷神社と宇麻谷神社の盃状穴(福知山市三和町)

河牟奈備神社の雨だれ穴は正真正銘(綾部市睦合町)

【今日のじょん】大槻さん家のうめちゃん、喜んでずっと立ち上がってしまった。
「いつも立ち上がるんですか?」
「いえ、こんなの初めてです、きっと嬉しいんですねえ」






 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする