晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

何なんだ 盃状穴(53) 12/10

2016-12-10 | 盃状穴

2016.12.10(土)雨

 西山氏の発言は衝撃的であった。悪戯で掘ったという話が出てくることは予想していたのだが、既に盃状穴が存在していて、その真似をして掘ったというのなら分かる。彼が言うのは新しく取り替えられた石材に掘ったということだ。そして見つかったら叱られるので、大人がいない間に慌てて掘り、人が来たら素知らぬ顔をしていると言うことである。取り替えられた旧の石材に盃状穴が穿たれていたか否かはうかがい知れないが、もしそこに盃状穴があって、それが世間的に認められているものであったら、彼らは大人の目を怖がる必要はない。そう考えると、旧の石材には盃状穴は無く、新しい石材に彼らが新たに掘ったものと考えることもできる。
西山氏の話の信憑性は、雨だれ説の普及からもうかがえる。実際にその日に聞き取りをした二人の男性も、盃状穴の存在は知っており、雨だれの跡だろうと証言されている。西山氏が他の子供たちには「雨だれの跡と言うんだぞ」と申し合わせたことがぴったりと符合する。
 雨だれ説普及の原因がこの辺にあることは納得できる、何かがなければあれを雨だれの跡とは思わないだろう。京都帝釈天参道の西村さんだって、私が「雨だれの跡ではおかしいですよね」と指摘して初めておかしいと納得されたのだ。それまでは雨だれの跡だと思いきっておられたのだ。それは誰かに雨だれの跡だと聞かされていたに違いない。
 岼の西山さんが子供時分(尋常小学校の3,4年頃)に近所のガキ大将に誘われて盃状穴を掘られたことは間違いないと思う。新しい石材に穿たれたこと、大人の目を怖れていたこと、ガキ大将に誘われてやったこと、他の子供たちには雨だれの跡というように仕向けたことなどは事実だろう。疑問を抱くのはその方法である、釘を使って、水を足しながら掘ったというのである。

西山さんたちが掘ったのはほんの数個で、今のように増えたのはなぜか分からないとおっしゃっている。
 今までに見てきた何百という盃状穴のすべてが同心円状で内面は実に滑らかなのである。これは棒状の石を回転させながら穿ったと想像している。入れるとしたら水よりも砂であろう。「あの石材に大きな穴を開けるのは大変ですよね」と地学の小滝先生に質問したことがある。「金剛砂を入れたらすぐに開きますよ」と即答された。金剛砂でなくても砂を入れることで、簡単に滑らかな穴を開けられるだろうと思う。
 小学生によっておそらく釘で掘られただろう穴が善福寺にある。悪戯文字と連結線と穴が穿たれているのだが、明らかに盃状穴とは異質のものである。

明らかに釘で掘られたと思われる穴、盃状穴とは異質である。

西山さんが釘と水とで掘ったという穴は如何なるものか、これは本人に実際に掘ってもらうしかない。まさか神社の石段に掘るわけにはいかないから、なんとか同様の石材を見つけてきて実験してもらうしかないなあと思案しているところである。つづく

【今日のじょん】昨日久々にプールに行ったのだ。といってもじょんは車で待ってるだけ。犬も泳げるプール作ってくれ。

俺かておよぎたいよ~、ホンマカイナ

 

コメント
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