晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

健康診査’15 6/5 

2015-06-05 | 日記・エッセイ・コラム

2015.6.5(金)雨

 総合検診の案内というのが来て行ってきたんだけど、検診ってえのは健康診断かと思っていたけど違うんだね。検診とは「健康診査」のことで、どうちがうんだということになる。字面から判断すると、なにかと検査をしますよというのと検査をして判断しますよの違いのようだ。確かに検診の時には検査をするだけで判断は行われない。だから診査なわけだ。検査の結果がきて始めて診断ということになるのだが、この診断は医者に診てもらって問診などを繰り返しながら判断されるものでは無い。検査結果の数値を機械的に読み取るだけだから、とんでもない結果を言ってくることがある。
 若いときの検査結果で「胆管腫瘍の疑い」とか「腎炎」のどうとかで再検査の指導を受けたことがある。再検査に行くと「別にどうって事は無いですよ」ということになる。健康診断って一体何なんだよ。ということになる。どうも怪しいと思い過去のデータを全て洗い直してみると、いわゆる腫瘍マーカーでとんでもない数値が現れている時があり、その際何も指導を受けていない件があった。こうなると検診結果というのをどうとらえるかという問題になってくる。
 5年前の検診で「心室性期外収縮 要医療」という診断がなされていた。これは普通の人なら真っ青になって医者に通うのかもしれないが、わたしは放っておいた。つまりこれは誤診、おそらく被検査人の取り違えであると自分自身で判断したのである。かつてトライアスロンの大会に出場するのに心電図の提出が必要であって、専門医にその都度心電図をとってもらっていた。スポーツドクターだったので無酸素性作業閾値や最大酸素摂取量なども測ってもらい、自らの心肺能力や状態については絶対の自信を持っていたわけである。いきなり「要医療」といわれても、それは他人のデータと判断するしかない。果たして翌年のデータは正常であった。実際に被験者の取り違えであったら、気の毒なのは本当に病気であった人ではないだろうか。治療が遅れてあの世にでも行ってたら誰が責任とるのだろう。
 被験者の取り違えなんてあるはずがないだろうと思われるだろうが、新生児や手術患者の取り違えがニュースになる時節である。健診データの取り違えがあったって不思議ではない。それが証拠に、5年前と現在と検査の事前のチェックは雲泥の差である。この間問題が発生したので改善されたと考えるのが妥当である。しかもだ血液検査やレントゲン撮影のデータは本人に確認するプロセスがあるのだが、心電図は何も無い。「小原さんですか?」の問いかけもないのだ。単に検査員が手を抜いているだけなんだろうか?つづく

【作業日誌 6/5】
ドッグランどのワンコスロープ作製(3日目)

【今日のじょん】
 これは川向かいの河原に棲息するバンビちゃんである。これは彼らの徒渉地点でじょんとわたしが居る場所に泳いできているようだ。井堰が閉めきられて水深も相当なのだが、あの蹄で泳ぐのには驚きだ。是非見てみたいと思っているのだが、どうも夜中に徒渉しているようで永久に見られそうにない。 

 

コメント
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