2013.7.29(月)雨
飯盛山側
飯盛山コル(峠道) 北緯35度5分59秒
飯盛山 北緯35度5分58秒
西光寺(阿弥陀堂) 北緯35度5分51秒
日置側
官山川側の小山(160m) 北緯35度5分59秒
護国寺 北緯35度5分57秒
大送神社 北緯35度5分51秒
飯盛山の稜線は東北から南西に走っているので日の入りを真東から見た場合どの地点が中心になるのかわからない。一応峠道が通っている部分をコルとして測ったが、真東になるのは官山川と府道の間にある小山が対応する。
飯盛山は西光寺の上の山と聞いているので三個あるピークの真ん中のものとした。凹部を日の入り確認の地形とした場合飯盛山の緯度はあまり関係ないが、参考のため記した。
最も気になるのは西光寺阿弥陀堂と大送神社が同一緯度にあるということだ。日の入り地点と観測地点という意味にはとれないが、何かを感じさせる。
日置から飯盛山の稜線を眺めてみる必要があるが、途中にある筏森山の稜線がどのように見えるかも心配だ。
もし日置から飯盛山の稜線がしっかりと観測することが出来るのなら、観測地点として大送神社は有力な候補だと考える。
大送神社はこの地点を左に入るとすぐなんだが、未訪である。
和銅元年(708年)の創祀といわれている古社であること、祭神が高皇産霊(たかみむすび)命であること、大送(おおくり)神社の名前などによる。
高皇産霊命については古代の天体観測や測量に関係する神という説もあるようで、大送(おおくり)という神社名についても”送る”という言葉が、「去りゆくものに別れを惜しんで見送る」(語源大辞典)というふうにとれば、西の山に沈む夕日を想定することも可能では無かろうか。
大送神社と西光寺の間には現在工場が建っていて、この本堂は直接見られないかもしれない。
西光寺という寺名も、平安京の西の端なんていう理由より日置から見て、西の山稜に光る夕日からとられたとしたら納得もできそうである。
そしてもう一つ重要な情報を得た。「大和の原像」の二上山に関する説の中で、西に位置する落陽の山は黄泉の山とされ、畝傍山しかり、二上山しかり、その先には多くの古墳や塚が存在するのである。二上山の西には孝徳陵、用明陵、推古陵、敏達陵、などの御陵の他小野妹子墓、聖徳太子御廟所他多くの古墳群がある。
南丹市文化博物館に展示してある経塚の発見された向河原を訪れた。現在は高速道路が出来て破壊されているが、かつてはこの辺りは葬地であったことが言われている。この地点は少し北に偏るかもしれないが、日置方面から見れば西光寺の山の向こうということになるわけだ。
向河原の遺跡はこの辺りだと思うのだが、造成のため見当も付かない。
このことは単なる偶然かもしれない。しかし他の同じような例が出てきた際に参考にすべき事項だと思う。
いずれにしても日置から飯盛山を眺めることが先決である。つづく
【今日のじょん】夕べからえらい雨が降った。各地で被害が出ているようだが、一瞬にして家も家財も無くなってしまうのだから恐ろしい。じょん君は雨が嫌いで、いつもならちんたら帰ってくるのに今朝はとんで帰ってきた。