晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

上林の盃状穴(34) 番外編 7/17

2013-07-18 | 歴史・民俗


2013.7.17(水)曇り 京都帝釈天(18)八幡・厄神社の盃状穴

 道の駅新光悦村で食事をとり、厄神社の場所を聞く。「今日オープンのファミリーマートさんの向かいですよ」、やっぱり道中で見たあの神社だと気づくが、どう見ても設備が新しく、盃状穴や遺物が見つかるような情況ではなさそうだ。
 ファミマの駐車場はオープンのお客さんで混んでいて、長時間の駐車はひんしゅくものだ。神社の周りを走ってみると境内に入れそうな道がある。境内の一部が内林の公民館になっており、車が入れるようだ。
 垣内古墳は全長84mの前方後円墳で4世紀頃の築造と考えられるこの地方最大の古墳である。道路や住宅に代わり古墳の形状は跡形もないが、後円部のほとんどがこの神社の境内と道路となっている。1972年に発掘調査がなされ、豊富な遺物は南丹市の博物館に保管されている。その調査の際や道路拡張の際などに神社の施設が新設されたのだろうか。P1040878

 


古墳は跡形もなく、記念碑が残るばかり。

 境内から12世紀の鉄滓が発見されたと「別所事典」に書かれており、少し期待したのだが、この状態では無理だろう。境内にひかれた砂利も新しく外部から搬入されたものである。鳥居や石段なども新調されたものが多く、盃状穴も期待できない。
 とその時八幡社本殿下の鳥居の台石を見てびっくり、その周囲にしっかりと盃状穴が穿たれているのである。
 持参の用具で調査を始める。
 鳥居には年号などが書かれているようだが目視では読み取れない。拓本の取り方を学ぶ必要を感じる。次回拓本をとって調べてみたいと思っているが、江戸時代のものには違いないだろう。
P1040865



鳥居の銘は読み取れない。

 鳥居の風化も進んでいるが台石も同様である、小さな盃状穴は見た目ではわかりにくいが、自然の穴との見分け方を発見する。それは指先で触ってみることだ。盃状穴の場合は摩耗のため滑らかになっており、自然のものはざらざらしていて明確に判別できる。問題は明らかに盃状穴だけど、やたら小さくて浅く、途中で穿つのを止めたような穴の扱いである。これらを個数に算入するか、あるいは擬盃状穴としてあげるか、などと迷ってしまう。それによって調査の個数が変わってくるからだ。
 今までの調査とは変わってくるが、こういうのは「浅」として分けることにした。
 南丹市園部町内林町八幡神社本殿下鳥居台石の盃状穴
 一辺約60cmの花崗岩質の台石で手前と奥の2枚組となっている。
 本殿向かって右手前 1個(約4cm、右端) 浅ー1個
 本殿向かって右奥  浅-1個 鏨跡4個所
P1040866P1040867

 
 

 

鳥居右手前と奥

本殿向かって左手前 4個 浅-4個
本殿向かって左奥 メモが不明で再調査とする。
P1040870P1040871



左手前と左奥
その後、厄神社周辺、石段、石垣など石造物全般を見るが発見できない。古い石など残っていそうな場所では鉄滓も含めて目をこらすがそう簡単に見つかるものではない。最後に手水鉢を見て驚くこととなる。つづく

【今日のじょん】やっと阪神が勝って溜飲が下がる思いである。頭にきて記事の書けなかった15日、サリーちゃんが来たので報告。じょんとは仲良く遊べるようになったが、ドッグランどは暑いのでまたいい季節に来てちょうだい。P1040855

 


おしりばっかにおいでんじゃねえよ

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上林の盃状穴(33) 番外編 7/16

2013-07-18 | 歴史・民俗

2013.7.16(火)曇り 京都帝釈天(17)八幡・厄神社の盃状穴

 飯盛山西光寺の明治記念碑にある鏡が老の坂で見えたという、またその場所は荒井神社があった地だという。これは何としても確認したく、準備を整え出発したが、南丹病院での歯の治療が終わるとパラパラ雨が落ちてきた。山で夕立に遭っては溜まらないと方針変更、園部の小山別所を探るべく、南丹市立文化博物館を訪ねる。ここで周辺知識を得てから小山別所を訪ねようという算段だ。
 P1040862

 



南丹市立博物館は図書館と併設の立派な施設である。

 今日の記事を飯盛山、別所探訪、盃状穴のどのジャンルで書くべきかということだが、実はどこで書いてもいい内容である。というのは別々に調べ始めたジャンルなんだが、これが妙に関連していることがわかってきた。少なくとも飯盛山と別所は関連があると思っている。つまり国分寺、国衙などの建築の際に金属の用具や材料を調達、工作する集落、集団を別所と呼んでいると思われるからだ。飯盛山はこれらの設置場所、建築に関する測量に関係しているので、別所のあるところ飯盛山があり、飯盛山のあるところ別所があるという事になるのではないだろうか。
 ただこの関係はすべてがそのようになるわけではない、それは別所には他の意味もあるようだし、飯盛山も国分寺などの測量のみをしていたわけでないからだ。
 ところが今回は盃状穴が浮上してきた。それは単に別所の関連で調査した神社に存在しただけであって、別所や飯盛山と関係するものではない。
 文化博物館に行く前に吉富の駅から飯盛山を眺める。この山、桂川方面から眺めても少しも神奈備型の山ではないのだ。地形図で見る限り西方面から見ると、神奈備状に見えるのではないかと予想しているのだが、まだそうはならない。
P1040858

 


吉富の駅から飯盛山方面を眺めるが、飯盛状態ではない。

文化会館は市役所のすぐそばにある、お城のそばなのですぐにわかる。入館料300円を払って常設展示を見て回る。
 小山別所については、「別所地名事典」(柴田弘武)に掲載されている関連事項を調べてみる。
 小山別所と呼ばれていた廃寺称釈寺の跡から出ただろう、経塚の現物が展示してあり感激する。また柴田氏が注目されている垣内古墳については、豊富な出土遺物の現物が展示されており、特に鉄製品、馬具などの豊富さが目立つ。垣内古墳のある内林周辺には荒代、金沢、千原など金属に関わりのありそうな地名があるなと思っていたら、博物館の地図に今林牧を見つける。牧の詳細はわからないが、牧と製鉄が併存している例は多い。
 そして垣内古墳の後円部(垣内古墳は前方後円墳)に当たるところの八幡、厄神神社境内からは12世紀の鉄滓が発見されているという。(別所事典)
 これは行ってみる必要がありそうだ。つづく
P1040863



八幡、厄神社の向かいにコンビニが本日オープン、お客が続いて駐車が出来ない。


【今日のじょん】今朝は幾分涼しいので、念道橋の向こうまで遠出する。ところが一番遠くに行ったときに、応急処置をしていた靴の底が完全に剥がれてしまった。底の剥がれた靴の歩きにくいこと、じょんは裸足でえーなー。
P1040856P1040857



あれっれ、、、だめだこりゃ
 
 

 

 

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