2009.7.24(金)曇
乙訓には何々垣内(がいと)という地名がよくあった。どういう意味かなあと思っていたのだが詳しく調べることもなくきたのだが、「丹波の話」に垣内の話という項があって詳しく書いてある。元々は荘園や名田を垣などで区切ったことに発祥するようだが、一体どのような集団なのかよく解っていないそうだ。カイチ、カイト、ケート、カクチなどと呼ばれているそうだが、私の故郷の例ではいわゆる小字がカイチとなっている。カイチと親が呼んでいるのをすっかり「会地」だと思っていたが「垣内」だったのだ。
上地カイチ
行政の単位としては組があって10件程度の組織で、組長が選ばれている。二組で上地カイチが成立していて、これは生活上の組織みたいだ。葬式はカイチでとりおこなうし、道作りなどの共同作業もカイチが単位であったそうだ。前述の山の神もカイチ単位で行っていた。カイチにはカイチ総代がいてカイチのいわゆる共同作業や行事を取り仕切っていたようだ。
株というのはカイチとは違う組織で、元々は血縁的なつながりの組織であろう。「丹波の話」には上地カイチの大部分が一つの株からなっていると記載されているが、これは誤りである。おそらく「小原姓」がほとんどであるため、一つの株と思われたのだろう。私の記憶でも二つの株があったように憶えているし、母に確認したところでも株は二つあったようだ。また株というのはカイチを越えて存在し、日代など他のカイチの家でもこちらの株である家もあった。上地カイチには二カ所の墓があるが、これが株を表す集団ではないだろうか。
上林ではカイチはどうなっているのだろうか。「丹波の話」では豊里村栗や鍛冶屋の例が挙がっているが、上林の例は載っていない。綾部の味方ではヒライと呼ばれる地域集団がカイチと同様の集団だそうだ。綾部市周辺ではダンと呼ばれることも多いそうだ。上林の地名にも「段」の付く地名はすこぶる多い。これらのことについて上林ではまだ調査、聞き取りしたことがない。これからが楽しみだ。
【作業日誌 7/24】
お墓の玉砂利入れ
真砂土運搬
ヒマラヤ杉焼却
草刈り
生姜植え付け(三本目)
こんな風に玉砂利を入れた、前面にバラスを入れて完成。
今日のじょん:今日は胸肉ジャーキーを焼く日だ。オーブントースターで片面25分じっくり焼くのだが、臭いがぷんぷんしていてじょんはとっくに承知の助である。そわそわしているが、今は食べられないと知っているようでしらっと寝ている。ところがだ、25分たってトースターがチンと小さな音を立てたら大騒ぎ、急に起き出してバタバタと興奮気味、それでももう片面焼かなければならないので、また25分眠る。そして「チン」といったらやわら起き出す始末、じょん犬反射というのはもの凄い。
寝てるふりしてるだけ~