自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

ジャガイモの種子,予備的発芽実験の試み(又々)

2013-09-23 | ジャガイモ

9月21日(土)。

朝,植木鉢を見ると,芽生えが増えていました。もしかすると,これから増え続けるのかもしれません。考えてみれば,ジャガイモのことを“ニドイモ”と呼ぶことがあり,秋の今,種芋が店頭に並んでいます。一年に二度栽培できるという意味から,“二度芋”と呼ばれるようになったとか。

ということは,秋に入って涼しくなりかけた結果,種子も発芽しやすくなったのかもしれません。もしかすると,冷蔵庫作戦が多少なりとも功を奏しているのかも,です。

種から芽生えかけたばかりのもの。根がわずかに出ています。

 

根がすこし伸びているものもありました。根の周りに土粒が付いているのは,根毛が土粒を抱いたかたちになっているからです。 

直立して,まだ子葉を閉じたものも。葉の色は黄。 

葉が黄緑に変化しているものもあります。 

寒くなるまでにどんな変化があるか,見届けるたのしみがあります。この実験はまだ予備段階のものです。来春,本格的な実験を試みます。 

 


カタバミの葉にできた食痕

2013-09-23 | 植物

木であれ草であれ,葉になにかが食べたらしい痕,つまり食痕があれば,そこをよく調べると食べた張本人(“張本虫”)が見つかります。必ずというわけではありませんが,かなりの確率で見つかるものです。そこから,草木は特定の昆虫と密接なつながりをもって生えていることが理解できます。

わたしは今,ヤマトシジミの生態に関心を抱いていますから,これの幼虫が食草としているカタバミによく目が向きます。草引きをしていても,気になります。カタバミに食痕がないか,あればヤマトシジミの卵と幼虫が見当たらないか,一応観察してみることにしています。すると,おもしろいほど見つかります。

 

はじめの頃は目が慣れていないので見つけるのに苦労しましたが,今ではへっちゃらにまでなりました。ただ,視力が落ちてきているのでメガネかルーペがなければ見つけられません。そこがちょっと寂しいところです。

 

カタバミは空き地や路傍にいくらでも生えています。よくよく見ると,食痕がずいぶんあることに驚きます。それだけヤマトシジミと相性がよく,そこにヤマトシジミが訪れている証拠です。ありふれた昆虫であるだけに,あちこちのカタバミに卵が産み付けられて,そこここに幼虫が育っているということになります。

考えてみれば,特定の食草・食樹があるということは棲み分けがなされていることを物語っています。子孫を安定して,より確実に残してきた戦略の結果として,今の生態があることを思うと,生命史の重みが伝わってきそうです。

 


わたしの“デイ・ナイト”ハイク

2013-09-22 | 日記

9月21日(土)快晴。

久し振りに長距離ハイクを実施。国道に表示されたキロポントで換算して,17.1kmを往復。ただ,国道は交通事情がよくないので,脇道を通りながら,ときには大きく迂回。したがって,実質は35kmをずっと超していると思われます。もしかすると40km近いのではないでしょうか。この日を選んだのは,万一に備えて家族のバックアップが期待できるからでした。

午後0時30分に自宅出発。暑い暑い日の光を浴びて歩き始めました。黙々歩いていると,思わぬ発見があるものです。出発してから40分程経って通過した集落でのこと。道路際の排水溝にメダカがどっさり。「へぇー! こんなところにメダカが棲んでいるのかあ!」とびっくり仰天。

県下最長のK川に沿ってをひたすら南下。先日の台風18号の爪跡が河川敷のあちこちに残っています。重機を使って土砂を撤去する工事が始まっていました。

ヒガンバナが咲いて,ススキの穂が出て。クズの花が結実し始めて,垂れ下がるハギの枝にはクマバチが蜜を吸いに来て。

休憩なしで折り返し点に到着。午後4時30分。4時間歩き通しでした。

そして,すぐに引き返しました。途中,コンビニで水分補給をして,どんどん歩き続けました。日が傾きかけると,どんどん暗くなりかけました。わたしもどんどん歩きます。ただ,安全面を考えて,帰路は往路よりずっと遠回りしました。

やがて,真っ暗。北の空には,北斗七星とカシオペアが横たわり,北極星が光っています。東の稜線から満月をすこし過ぎた月が上がってきました。涼風がかすかにからだに触れます。なんと心地よい涼しさか。

こうして自宅に帰ったのが午後8時ちょうど。ということは,7時間30分で40km近く歩いたことになります。気持ちのよい疲労感を味わうことができ,申し分なしです。

 


クロアゲハとアオムシコバチ

2013-09-22 | クロアゲハ

レモンの葉にクロアゲハの幼虫がかなりいます。たぶんこれが今秋最後の幼虫で,越冬蛹になるのではと思います。

そのうちの終齢幼虫の一つに,小さな小さなハチが付いているのに気づきました。尾脚のすぐ上の辺りです。手でそっと触れても逃げません。メガネをかけて観察すると,どうやらアオムシコバチのようです。かたちがそっくりなのです。

アオムシコバチはアゲハ幼虫の天敵で,体内に卵を産み付けて成長します。そうなると,幼虫は羽化に至りません。これまでに,わたしは何度かそのために羽化しなかった蛹に出合ってきました。すこしはこのブログでもご紹介しました。

さて,生体にこの寄生バチが付いているのは明らかに産卵するためでしょう。産卵を確認することはできませんでした。あとで,穴でも開いていないか確認だけはしておこうと思っています。

こうして生のアゲハの幼虫にハチが付いているのを見るのは初めてです。それで,きちんと写真記録に残すことにしました。

幼虫のからだと比べると,歴然とした差があることがわかります。ふつうだと,ハチの存在にすら気づかないのではないでしょうか。

すこし近づいて撮りました。写真の左右幅は1cmなので,体長は計算上2.8mmになります。

今度は,幼虫の肛門方向から,ハチの側面を写しました。

ハチに幼虫が付いて執着心をもっています。離れようとしません。やはり,産卵する(した)と見做すのが筋かと思われます。j時間が経過してから再び見ると,ハチは二匹に増えていました。

保護色で身の安全を守ろうとする幼虫の,さらに上手をゆくのがアオムシコバチ。一面緑色の世界で,緑をまとった幼虫をちゃんと見当てる力をもっています。大した力です。ハチも子孫を残すことに全力を尽くしているとしかいいようがありません。

幼虫の今後に注意しておくことにします。

 


ジャコウアゲハ観察記(その275)

2013-09-21 | ジャコウアゲハ

朝起きて,前日確認しておいた羽化しそうな個体を見ると,羽化して間もない様子でした。メスです。入っていた殻がすぐ傍に付いています。朝の光を浴びて,風に揺れ,わたしの目にはその姿は眩しく思われました。いのちの営みが伝わってきたのです。

食事を済ませて,再び見ました。そこでびっくり。オスがこの個体を見つけたらしく,交尾をしていたのですから。オスは宙ぶらりんの姿勢で,ぶら下がっていました。自宅で交尾を見たのは,これで二度目。

きれいな緑を背景に自然光を生かして撮っておこうと思い,数枚撮影しました。 

交尾時間は3時間程で終わりました。羽化直後に交尾がなされ,これが産卵につながります。成虫は子孫を残すことを託され,いのちのバトンをつなごうと必死です。この生活環が脈々として営まれていきます。 

 


そこまで短絡的思考でなくても

2013-09-21 | 随想

全国学力テストの結果を受け,S県の知事が思いついたことが大きな話題を投げかけ,論議されています。

簡単にいうと,こうです。S県のテスト結果がまったく振るわなかったので,結果の悪い学校(報道では「下位100校」とか)について校長名を公表する,というのです。マア,結果を生じさせた原因のすべてを現場の怠慢と位置づけて課す一種のペナルティーですね。しかし,筋が違っているのでは? わたしには,県教育委員会の指導性のなさが最大の問題だと思います。公表を口にする前にすべきことは,教育長の罷免でしょう。

公表をチラつかせるだけでは根本的な解決には至りません。教育現場では嫌気が増幅するでしょう。誠実に努力しているとしたら,県教育委員会の責任を棚上げにしている姿勢に憤りを感じるだけでしょう。第三者の目に努力不足だと映っているとすれば大いに責任を負うべきですが,毎年行われる学力テストについては教育委員会を挙げて知恵を絞ろうとしているのですから,たとえ誰かの責任としても共同責任なのです。なのに知事たる立場で頭ごなしに短絡的な言動を振り回すなんて,いかがでしょうか。

筋道からいえば,教育委員会事務局の統括者に事情を聞くべきで,状況を踏まえて冷静に発言すればよし,です。納得できないのなら,県民の信託を受けていることを楯にして,統括者の更迭・罷免に向け粛々として手続きを進めればよし,です。そのやり方で,度量が見えてきます。けっして教育委員会組織の頭越しに動く話ではありません。

近年,O府の知事だった方が市町村別の成績やら学校名やらの公表を公言して,波紋を呼んだことがよみがえってきます。その人となりは,わたしの目には「くわばら,くわばら」と映っただけです。

話をもとに戻しましょう。当のS県教育委員会は知事の考え方と異にする決定を下しました。これは良識ある判断でしょう。

問題は,学力テストが学校間,県市町村間の序列固定化の役割を果たしてしまっている現状です。そして,結果非公表を建て前にしていて,授業改善,教育環境の向上,子育て支援等の教育施策に生かす基礎資料を得るために始まったのに,結果が独り歩きを始めた点です。テスト結果は子どもを取り巻く家庭・社会環境,子どもの人間関係,学校の教育環境など総合的なかかわりで変化します。なのに,今回の発言は学校教育の質だけを目の敵にするものです。なんと不合理なことか。

わたし自身の授業づくり,育ちから考えると,学校の責任としてはやっぱり「学びがいのある授業づくり」「腰のある授業づくり」がいちばん。これが先決です。導き方の上手な教師の手にかかると,子どもは前のめりになって学びます。けっして学ばされるのではありません。そこには教え方の筋道ができています。プロの自負心があります。この発想が学校の変革につながらなくちゃ。改善でなく,あくまで改革です。旧態依然とした内容をいくら繰り返しても,改革は成りません。それは惰性に過ぎないからです。それでは,学校が怠けているといわれても完全否定はできないでしょう。

長々と書きました。結局のところ,学校の責任は重くても,知事は県教育委員会の抜本策がひ弱であることを嘆き,首長として家庭・学校に対して賢く,広く,粘り強く呼びかけをするべきなのです。

なんだか,ちぐはぐな,おかしな今回の発言。傲慢さが際立ちます。学校教育にそんな浅はかな評価原理,競争原理を持ち込んだらおしまい。困った,困った。

問題をずっとずっと引きずり,増幅し続ける毎年実施,全校参加。これも困った,困った。

(付記)写真は記事とは関係ありません。

 


ジャコウアゲハ観察記(その274)

2013-09-20 | ジャコウアゲハ

『その266』で,ジャコウアゲハの小さな蛹について触れました。

蛹の成長は,その後順調に推移して,先頃無事に羽化しました。蛹が小型なので,その中に準備されている成体も当然小さいとみるのが順当でしょう。結果はそのとおりで,小振りの成虫が誕生したのでした。それはメスで,ごくふつうの姿でした。

時を同じくして,普通サイズの成虫が別に誕生しました。それで,横に並べて撮影したのが下写真です。しばらく辛抱してもらい,台に載せたあとラップで覆いをして撮りました。

見るからに,小型だとわかります。

遺伝的形質が多様に残されていけば,形態つまりからだの大きさにも違いが出てきて当たり前です。しかし小型が優性だとは思えません。なぜなら,今,この型が普通サイズにはなっていないからです。やはり,小さいというのは種族保存上問題があるのではないでしょうか。

この小型チョウは無事に舞い上がっていきました。きっと,多様な遺伝子を次の代に残すため,しっかり役割を果たすでしょう。

 


『はだしのゲン』閉架措置のことで

2013-09-20 | 随想

もう終わったことなのですが,教訓を導き出すために自分勝手なことを書こうと思います。

どんなことにおいても多様な意見があって,各人がそれを表明し,ときには関係者に要望するのは健全なあり方です。批判もまた然りです。言論の自由があり,思想の自由がありますから。

このことに関して,この程世間に公にされた事案で,M市教育委員会が下してきた『はだしのゲン』についての経過は,結論からいえば,なんともお粗末なものでした。教育委員会事務局及び教育長の判断ミス,個人的で独りよがりな決定は,改めて教育委員会の腰の弱さを感じさせました。終わってみればなんとでもいえる話なのですが,それにしても場当たり的な,その場しのぎの判断という印象が拭えません。

また,連日のように過熱した報道ぶりも印象に残りました。言論・表現の自由を守ろうとする姿勢,平和志向は非常に重要だと思いますが,今回の報道ぶりには正直いっていささかうんざり。報道姿勢の良し悪しは別にして,ペンは力,武器であるなあと痛感した次第です。というのは,紙面批評委員の一人がこう書いたほどですから。「新聞が世論を形成し,世論が教委を動かした格好である。8月のヒットだった」とまで。すこしはそうであったにしても,本質的には教育委員の良識がはたらいて修正がなされたとみたいですね。

以下,わたしの感想をすこし。ただ,『はだしのゲン』を閉架対象にすることには基本的に反対であるものの,作品に関する見方・考え方については割愛します。

事務局はあくまで行政執行部局です。そこでの最終責任者は教育長で,専門性を有しているはずの有識者なのです。ただ,教育行政の真の最終責任は複数で構成された合議制の教育委員会が担っている点が疎かになっていたようです。今回,その軸足がじつに曖昧模糊としていたために迷走したと思われます。教育長の舵取り,つまりは指導力に疑問符が付きます。問題の根っこは,組織のあり方にあったといえるでしょう。

手続き上の問題をわたしなりに整理すると,こうです。

その1。教育施策に対してはいろんな意見が生まれます。根本的な部分は,教育委員会が合議で決定し,責任を負っています。今回の件では,事務局が独りよがりの判断を下して教育現場を混乱させただけ。教育長の判断ミスです。高度な判断を必要とする事案について洞察力と先見性が欠けていたのです。当然,はじめの時点で教育委員会の議題とすべきものでしょう。

その2。比較的軽易な事柄については,手続き上教育長に『先決権』が与えられており,その判断が委ねられています。そうであっても,直近に開かれる委員会で報告されなくてはなりません。なのに,報告がされないまま放置されていたのです。まったくふしぎです。

その3。『はだしのゲン』のように一定の評価が定まった作品(文化財)は,一教育委員会の印象のみで評価し直すのは混乱あって益なし,です。同じするなら,歴史的事実を踏まえつつ社会的,文化的,はたまた教育的な価値を検討する立場に立って,多角的にとらえ直さなくてはなりません。その際,「全国的に本委員会事務局のような判断をしているところがあるか」「閉架措置を行えば,どんな問題が生じるか」,この程度の初歩的な検討はすくなくともしておくべきだったでしょう。

その4。閉架を決めた当時の教育長は,現教育長とは別人物とのことで。現教育長は世論の動向を踏まえて教育委員会に諮り,閉架措置を撤回する手続きを行いました。それは主体的な判断なのではなく,教育委員会の正規の手続きを経るという原点に戻ったにすぎません。その際の会見で,当時の教育長判断を批判したというのです。メディアにそう感じとられるような言葉遣いは論外で,交代後の教育長が組織の前代表を批判したとは情けない話です。組織のあり方を静かに厳しく自省し,その気持ちを真摯に今後の教育行政の決定のしかたに生かしていけばいいだけの話です。明らかな非違行為は別として,第三者に向かって前任者を批判する行為は禁じ手です。

その5。メディアの一部は,実況中継スタイルで事態発生,経過を検証することに異常なほど力を注いでいるように見えました。まるでキャンペーンのような。惜しいことに,そこには今国で論議されている教育委員会改革,とりわけ教育長の権限強化論議を見据え,深い示唆を与えようとする姿勢はほとんど感じられませんでした。

教育の中立性を保つことで細心の注意を払わなくてはならないのが教育委員会。子どものこころに健康な考え方を育むのに,率先してお手本なり指針なりを示すのが教育委員会の役割のはず。教育行政で高い位置にある方には,自己感覚をもっと磨き,おとな感覚・社会感覚を鍛える努力をしていただきたいものです。

付け加えですが,事務局による場当たり的な指導に対して,敢えて閉架措置をとらなかった小中学校がわずかにあったようです。そこに校長としての真と芯が見え,救われた思いです。 

 (付記)写真は本文とは関係がありません。

 


脱皮直後のケラ

2013-09-19 | 昆虫

9月12日(木)。快晴! 

しごと場で,夏にお世話になったアサガオ製グリーンカーテンの撤去作業をしました。アサガオを密植すると,意外に涼しさを感じることができることがわかりました。ポイントはあくまで過密過ぎるほどに植え,程ほどの高さになったときに芽を摘むということに限ります。そうすれば脇芽が盛んに出て,カーテンになっていきます。

さて,撤去しているときに,プランターを移動させました。そのときのこと,プランターのあった場所でのこと。細長い溝ができていて,真っ白なからだをしたケラがいたのです。びっくりしました。こんなのを見たのは初めて! すぐに,脱皮したのだなと直感しました。

脱皮後はしっかりした翅を持っていることから,成虫とわかります。ケラは不完全変態をする昆虫なので,翅の変化は頼りになる判定材料です。

光を浴びてケラは大慌て。

見ると,そこに脱ぎ終わったばかりの殻のようなものがありました。確かに殻のようなかたちをしています。わたしは大慌てでケラを写しました。

それが終わると,メガネを持って来てさらによく観察しました。殻はやはりケラのものでした。もうそこにはアリが嗅ぎつけてやって来ていました。大したものです。

ケラは,この出来事にすっかり驚いて,土に潜ろうとしました。わたしは,なすがままにしておきました。今回,土の中で,他の昆虫同様に頭部・胸部が裂けて脱皮が行われることがよくわかりました。

この辺には,ケラがやはり生きています。プランターの底面を天井代わりにして,穴をつくって棲んでいるのですから。このことがわかり,すっかりうれしくなりました。

 


ジャガイモの種子,予備的発芽実験の試み(又)

2013-09-19 | ジャガイモ

9月18日(水)。快晴。

芽の数は今,14。蒔いた種子の数は100はあったでしょう。ということは,1割程度の発芽率といえるでしょう。少ないながら,芽生えは順調に育っています。下写真の芽の高さは1.8cm。本葉がすっくと出ています。小さなものを入れると4枚です。 

双葉に種子の皮が残っている段階で,本葉が出てきました。 

順調な成長ぶりです。 

 双葉も本葉も,自分を誇っているような姿です。

この芽にも本葉が……。

記録写真なので,すべて一眼レフで接写レンズを使って撮りました。 

ストロンがどういうふうに出てくるか,それがとてもたのしみです。発芽2週間ばかり経ちましたが,その兆候はまったく見えません。一カ月で小さなイモができるという情報があります。それでいけば,あと2週間で変化が見えてくるのではないでしょうか。