オオバコは人里植物です。人が生活し,移動する範囲で,踏まれる場所を好んでわざわざ生えてきます。それには種子とからだのしくみが大いに関係しています。
昔なら,わだちができる道にいくらでも。今なら公園の片隅に。運動場のような人が活動する足元に。「場所を好んでわざわざ生えて」くると書きましたが,そこは同じ時期に育つ背の高い植物はほとんど生えてきません。背の高い植物がわんさか生えるような場所に生えてくればよさそうなのに,そういうところではほとんど目にしません。
オオバコは好んで人の歩く場所を選んで生えてくるのでしょうか。オオバコに聞けば,けっしてそうは答えないでしょう。ほんとうは踏まれなくてもよい場所で安心して生えていたいのですが,と答えるはず。
オオバコの身になって考えると,背が低いので光とり競争に負けるために,自分らしさを発揮して生きていける場所に追いやられた結果と考えられます。踏まれなくてもよい場所から,踏まれてもよい場所への,いわば移転です。そして,じつにみごとにその環境で主役として生きることに成功したのです。
なのに,大葉子とはいかに?
過日,排水溝を掃除しているときに,オオバコが一本生えているのが目に付きました。程ほどの水が流れる中で,ゆったり生えているのですから,葉を上に向けのびのび拡げていました。本来なら生えるような場所ではありません。元々の姿は大きな葉を持っていることを彷彿とさせてくれる一コマでした。
「ほほう!」と思いながら,それを引き抜き,葉の集まった箇所を縦に切りました。この箇所から葉が出ているということは,茎だということです。芋のような円い茎です。これならいくら踏まれても,折れることはありません。動物に食べられようと,食べ尽くされることもありません。踏まれても踏まれても,食べられても食べられてもどこまでも葉を出し続けます。このからだを支える根の,なんともりっぱなこと!
わたしは,これまでにとんでもない程大きな葉を伸ばし,拡げたオオバコを見た経験があります。ビニルハウスがある水田の片隅で,人がまず入り込まない空間でした。
それはともかくとして,オオバコは環境に合わせてかたちとくらしを発達させ,人と同居する道を選んだ植物なのです。
よく似た植物にタンポポがあります。そのタンポポも,人が歩かない場所で生えてくるがまま,人手が入らないままになっていると,驚くほどに大きな葉を付け,たくさんんの葉を拡げることがあります。30年以上前,わたしのクラスにいた少年がびっくりするようなセイヨウタンポポの葉を教室に持ち込みました。生えていたのは鉄道線路沿いで,人が入らないところでした。そこへ案内してもらって納得。今も忘れられない思い出です。
オオバコもタンポポも先祖の遺伝子をちゃんと引き継いでいるのです。