全国学力テストの結果を受け,S県の知事が思いついたことが大きな話題を投げかけ,論議されています。
簡単にいうと,こうです。S県のテスト結果がまったく振るわなかったので,結果の悪い学校(報道では「下位100校」とか)について校長名を公表する,というのです。マア,結果を生じさせた原因のすべてを現場の怠慢と位置づけて課す一種のペナルティーですね。しかし,筋が違っているのでは? わたしには,県教育委員会の指導性のなさが最大の問題だと思います。公表を口にする前にすべきことは,教育長の罷免でしょう。
公表をチラつかせるだけでは根本的な解決には至りません。教育現場では嫌気が増幅するでしょう。誠実に努力しているとしたら,県教育委員会の責任を棚上げにしている姿勢に憤りを感じるだけでしょう。第三者の目に努力不足だと映っているとすれば大いに責任を負うべきですが,毎年行われる学力テストについては教育委員会を挙げて知恵を絞ろうとしているのですから,たとえ誰かの責任としても共同責任なのです。なのに知事たる立場で頭ごなしに短絡的な言動を振り回すなんて,いかがでしょうか。
筋道からいえば,教育委員会事務局の統括者に事情を聞くべきで,状況を踏まえて冷静に発言すればよし,です。納得できないのなら,県民の信託を受けていることを楯にして,統括者の更迭・罷免に向け粛々として手続きを進めればよし,です。そのやり方で,度量が見えてきます。けっして教育委員会組織の頭越しに動く話ではありません。
近年,O府の知事だった方が市町村別の成績やら学校名やらの公表を公言して,波紋を呼んだことがよみがえってきます。その人となりは,わたしの目には「くわばら,くわばら」と映っただけです。
話をもとに戻しましょう。当のS県教育委員会は知事の考え方と異にする決定を下しました。これは良識ある判断でしょう。
問題は,学力テストが学校間,県市町村間の序列固定化の役割を果たしてしまっている現状です。そして,結果非公表を建て前にしていて,授業改善,教育環境の向上,子育て支援等の教育施策に生かす基礎資料を得るために始まったのに,結果が独り歩きを始めた点です。テスト結果は子どもを取り巻く家庭・社会環境,子どもの人間関係,学校の教育環境など総合的なかかわりで変化します。なのに,今回の発言は学校教育の質だけを目の敵にするものです。なんと不合理なことか。
わたし自身の授業づくり,育ちから考えると,学校の責任としてはやっぱり「学びがいのある授業づくり」「腰のある授業づくり」がいちばん。これが先決です。導き方の上手な教師の手にかかると,子どもは前のめりになって学びます。けっして学ばされるのではありません。そこには教え方の筋道ができています。プロの自負心があります。この発想が学校の変革につながらなくちゃ。改善でなく,あくまで改革です。旧態依然とした内容をいくら繰り返しても,改革は成りません。それは惰性に過ぎないからです。それでは,学校が怠けているといわれても完全否定はできないでしょう。
長々と書きました。結局のところ,学校の責任は重くても,知事は県教育委員会の抜本策がひ弱であることを嘆き,首長として家庭・学校に対して賢く,広く,粘り強く呼びかけをするべきなのです。
なんだか,ちぐはぐな,おかしな今回の発言。傲慢さが際立ちます。学校教育にそんな浅はかな評価原理,競争原理を持ち込んだらおしまい。困った,困った。
問題をずっとずっと引きずり,増幅し続ける毎年実施,全校参加。これも困った,困った。
(付記)写真は記事とは関係ありません。