”・・・河口に立てば、立てば天啓”
石狩川の河口、雲間から朝の日差しを浴びて、川面が白く輝いている。
これからの生き方を暗示しているかのようで、いかにも女々しい光である。
オオヤマフスマ
別名はヒメタガソデソウ(姫誰袖草)、別名のほうが優雅かも。
小さい花だが、5枚の花びらはしっかりして美しい。
戻ってきた。
早朝なので、駐車場には愛車一台だけ、
ビジターセンターはまだ開いていない。
石狩川の河口、雲間から朝の日差しを浴びて、川面が白く輝いている。
これからの生き方を暗示しているかのようで、いかにも女々しい光である。
オオヤマフスマ
別名はヒメタガソデソウ(姫誰袖草)、別名のほうが優雅かも。
小さい花だが、5枚の花びらはしっかりして美しい。
戻ってきた。
早朝なので、駐車場には愛車一台だけ、
ビジターセンターはまだ開いていない。
昨日「天啓」をお手軽な表現に感じると書きました。
「それでもって飯を食っている歌人なら」いきなり曖昧で大それた比喩(or用法)を持って来ずに、言葉の職人らしくもう少しマシな表現方法が無いかと思っての発言でしたが、この画を見ると私達も天啓と表現するしかないかもしれませんね。
「朝ぼらけ」なんて使い古した表現では陳腐すぎますし・・・・。
オオヤマフスマ:こちらでは山地で咲く花です。
蕾の丸が愛嬌ですね。
ナデシコ科のタガソデソウ(小生は未確認)
古今集「色よりも香こそあわれとおもほゆれ、誰袖ふれし宿の梅ぞも」白色で香気あるところが、この歌の梅に似るところからの命名であろうと牧野先生の推測が図鑑記載されていました。
この空はこれから先天気が崩れていくのでしょうか。
この日の日差し、もう少し晴れていたら、まさに”天啓”という言葉が
ピタリとあてまるような気がします。
>「色よりも香こそあわれとおもほゆれ、誰袖ふれし宿の梅ぞも」・・・
なるほど、別名の由来はまさに優雅ですね。
このような小さな野草にも、雅な名付けをする、平安時代の歌人の
繊細さを感じます。
写真からの印象では‘悠久なる川の流れ’のようですが!
そういえば、この六月は‘ひばり忌’
彼女の最後の歌が‘川の流れのように’だそうです。
要は“澱まないこと”このことが‘これからの生き方’として心がけるべきかと自省しています。
いかにも女々しい光、これは自分を映し出さしている、
いわば自虐的な感覚でありまして。。(笑)
無論、石狩川は悠久な流れでありますが、素直に悠久といえない
焦りがあります。