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屯田物語

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逍遥歌の二人

2020年04月16日 | 摂津国の怪人


昨年の同期会のとき、久しぶりに上川町越路峠に登って大雪山連峰に抱かれたわが故郷の上川市街地を眺めた。



昭和26年に旭川東高生逍遥歌が制定された。
作詞者の大村正次は55才の生物教師、作曲者の後藤功は三年六組の在校生であった。
大村先生は柔和な風貌の紳士であって、応援団長の後藤功は頑健な躰に相応しいイカツイ顔付きに見えるが、おふたりは抒情的で詩的であるという共通性があったのだと思う。
そこから、旭川東高生逍遥歌という愛唱歌が生まれたのである。
特に大村先生は昭和初期、詩誌「日本海詩人}を主宰し、詩集「春を呼ぶ朝」を出版したことで北陸では抒情詩人の草分け的存在になっていた。
それにも拘わらず、大村先生がとつぜん詩筆を絶った理由を黙して語らず、我々が在校した昭和35年頃になると作詞者である事実すら風化して生徒に伝わっていなかった。
富山県立図書館等に依頼して関係資料をあたってみたが、詩筆を絶った理由については今も解っていない。



なにかを齧っている舟橋貞夫さんと後藤功さん
後藤功さんは卒業時に写真の裏に「贈 舟橋君 後藤功 23.2.1952」と書いて舟橋さんにわたしている。
二人の仲の良さが伺える。

今回、舟橋夫人にお電話して、後藤功さんと大村先生についてお伺いしたところ、
「主人から凄い人だよ!と聞いてました。」
凄い人と語った舟橋夫人の何気ない一言のなかに、舟橋貞夫さん・後藤功さんの確かな友情とふたりが大村先生に寄せていた信頼と尊敬の深さに思い至るわけである。


旭川東の構内だろうと思うが、後藤功さんのポーズが決まってるね。
大村先生と後藤功さん、舟橋貞夫さんと舟橋(板垣)テイ子さん、そして逍遥歌が流れて・・
まるで、「青い山脈」の世界のようだ。

摂津国の怪人

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