これから話す事は、ちょっと偏った見方だと思う人もいるかも知れない。私の独り言と思って頂きたい。
人間には大体大雑把に言って3種類の人間がいると思っている。
① それは主観だけで意見を言う人。人は自分が経験してきた事だけで、それを基準にして乏しい意見を述べる。経験値、知識の低さがみっともない考えを引き出します。何処かのボクシング連盟のお馬鹿な会長が居られましたが、これがそのレベル。最近では日産のゴーン氏もそうかね?。兎角やり手の方々は、ワンマンの方が多い。自分の思惑通りにいかないと、パワハラをしてまでも目的を完遂します。順調なうちはいいんですが、晩年に近くなる頃に法律に引っかかるとと言うパターンが多い。所謂、「晩節を汚す」と言う奴だ。中には上手く逃げおおせている奴もいますがね。
② 次に他人の意見ばかりを引用する人は、あの人はこう言っていたとか、客観だけで話す人。人の言った事をさも自分の考えみたいに言う人。この場合も経験値の低さから、ろくでもない答えを出します。「あの人は、こう言っていた」とか、自分の考えが無い人ね。
③ 客観の中から己の意見を確立した人。いくつかの意見を引用してこれはこうじゃないかってという意見を述べる。自分の中で消化して、または、色々な書を読んでその中で自分の意見を確立して話す人。当然、自分の身びいきや、依怙贔屓、奢りを抜きにしてね。
針が子供の頃は、せめて書を読んで、自分の足りない経験を補ったもんだ。尤も実経験に勝るものはありませんけれどもね。
①に当たる人、明治大正昭和の初期の方は、学業、書物による経験が乏しいので、法に抵触するしないに係わらずぐいぐいと進むバイタリティーのある方が多い。だから社会で成功する人は多いが、順調に進んでいる時はいいのですが、晩節を汚す事になるケースが多い。ワンマン社長がそれだよね。
② 現代社会の人は、覚える為、試験の為の勉強ばかりして、実際の問題に当たると頓珍漢な問答をする輩が多い。その最たるものが政治家や官僚だ。記憶力だけで試験を受けて受かってしまうもんだから、社会勉強、経験がみっともない位乏しい。それも、自分達の利権や保護が先に立っているのでより始末に悪い。特に塾に行く以外は家で「ゲーム」しか遊んでいない子が多い。昔の大学卒の方はもっと骨のある方が多かったが、今の有名大学出身者の半分は使い物にならないタイプが多いね。
人はそれぞれですが、基本は物知りかどうか、物事を突破する力、洞察力、企画力がある人の問答が魅力があるのは間違いない。
鉄は熱いうちに打て!」と言う言葉がありますが、青春期に色々な経験を積んで人の意見を聞く耳を持ちそれに対してちゃんとした意見を述べられるように成りたいものだ。私だって決して頭脳明晰ではないけれど、薄っぺらい思考だけは持ちたくないですね。