浜床のふろしき

尾道市因島から日常を記します

因島スカイライン

2005年05月27日 | 因島

因島の東側に「因島スカイライン」なる道路があります。この道路は鏡浦・椋浦に住む人たちにとっては生活道路として重要でしょうが、因島に住む殆どの人が年に数回しか通らない道ではないでしょうか。ちなみに別名「三浦線」とも言いますが、時々、「因島の裏(浦)」とか、「とうりゃせん」と呼ばれているのを耳にします。

さてさて、そんなスカイラインですが、仕事の用事で週に2・3回は出掛けています。言っておきますが、ここの景色は素晴らしいですよ。海の景色が観たいなら、是非行ってみるべきです。お勧めします。

ただ、景色以外にも面白いものが見れます。

例えば、自然の中央分離帯。SA270005 人工じゃ味わえない良い感じです。

さらに、「埋まっているじゃん、それ!」と突っ込みたくなる電柱や標識。SA270003 SA270004

なかなか良いでしょ。でも、やっぱり海の景色を見て締めてください。SA270006


60年の歳月

2005年05月27日 | 日常

時事通信より「フィリピン南部のミンダナオ島に旧日本兵とみられる男性2人が生存しているとの情報を確認するため、マニラの日本大使館員3人は27日、同島ジェネラルサントス入りした。」「2人は昭和19年、所属の第三十師団で同島東部のダバオ市に上陸。20年6月に命令でいったん分隊し、その後、集合場所に着く前に、山中で終戦を迎え、山岳地帯でゲリラに収容されて戦術などを教えていたという。二人は最近、老齢などのため帰国の思いを強くしていたという。」

今日、ラジオからこのニュースを耳にした。昭和20年というと、西暦の1945年である。今が2005年だから、60年も前になる。

彼らは太平洋戦争が終わったことは知っていたにも関わらず、反政府ゲリラと行動を共にしており、戦争と共に歩んだ人生といえる。

30年ほど前にもフィリピンのジャングルで潜伏していた小野田さんが発見され、帰国している。彼らは一様に同じようなことを発言している。

「軍法会議にかけられ、罪を問われる」

彼らを支えてきたのは「罪の意識」なのだろうか、それとも「人間としての誇り」なのだろうか。いや、もしかしたら、「日本の戦中教育」なのかもしれない。

天皇さん、彼らの60年の歳月はどうすればいいんですか。それが彼らの運命なのでしょうか。

政府の方々、お金で彼らの人生が解決するのでしょうか。

世界の人々、これは他人事でしょうか。