
けさ(2016年11月20日)の北海道新聞に森山軍治郎さんの死亡記事が小さく載っていた。
74歳だった。
戦後北海道の文化を力強く担ってきた人の訃報であるにもかかわらず、インターネット上にはまったくといっていいほど反応がない。信じられない事態である。
とはいえ、評伝などはとうてい筆者の任には堪えられないから、いくつかの事項を記すにとどめる。
くだんの死亡記事では、森山さんは美唄の専修大北海道短大の元教授で、専門は「民衆史」であると書かれていた。また、北見の林白言文学賞の選考などにもかかわっていた。
それは正しいが、森山さんの活躍はそんなところにとどまらない。
軍治郎さんは文学者であって、月刊誌「北方文芸」の編集人を、川辺為三、鷲田小彌太 の両氏と3人体制で長く務めた(1985~96年)。
また、リベラル派の文化人でもあり、泊原発に対する反対運動などにも深くかかわっていた。
しかしまた、単純な「共産主義ばんざい」の人では決してなかったことは、言うまでもない。
軍治郎さんの主著は「ヴァンデ戦争」(筑摩書房)であろう。
ヴァンデ戦争とは、フランス革命に対抗して、フランス西部ヴァンデ地方に起きた反乱のことである。
この反抗が王党派を掲げていたことから、これまでの左翼的な進歩史観からは、フランス革命への「反革命」として否定的に評価されることが多かった。
しかし軍治郎さんは、革命軍が数十万人に対して行った、血で血を洗う残虐な弾圧ぶりを知り、革命(善玉)-反革命(悪玉)の単純な図式で歴史を割り切っていいのかと、問うのである。これは、近代というものを、根底から問う試みである。
その問題意識には、中央の意向に振り回される北海道という僻遠の故郷に対する思いもあったに違いない。
この本の奥付には、主要著書として「銅版画フランス革命史」という書名が挙げられている。
筆者は未見である。このブログにも無関係ではなさそうだから、一度は手にとってみたいものだ。
筆者は何度か軍治郎さんにお会いしている。長髪。めがねの奥のやさしそうな目を思い出す。
しかし、なぜか一番印象に残っているのは、10年以上前のある夏の日、ギャラリーユリイカの鈴木葉子さん、画家の永野曜一さんと3人で、狸小路のライオンビヤホールでのどを潤していたとき、軍治郎さんたちが店に入ってきたことだ。カルチャーセンターの教室かなにかの帰りらしかった。同席はしなかったが、愉快そうに話していた姿を、思い出すのだ。
晩年の軍治郎さんは文学に帰り、フランス革命史と自らの研究者人生を重ね合わせたような、滋味あふれる短編を発表していた。
しかし、先に名を挙げた川辺さんも、「北方文芸」の発行人であった澤田誠一さんも、北海道文学にまつわる論説をさかんに発表していた小笠原克さんも、道新OBとして発行を支えた山川力さんや関口さんも、すでに亡い。
「北方文芸」関係者でいまも健筆をふるっているのは、鷲田さんと木原直彦さんぐらいかもしれない。
時のうつろいをしみじみと感じる。
ご冥福をお祈りいたします。
74歳だった。
戦後北海道の文化を力強く担ってきた人の訃報であるにもかかわらず、インターネット上にはまったくといっていいほど反応がない。信じられない事態である。
とはいえ、評伝などはとうてい筆者の任には堪えられないから、いくつかの事項を記すにとどめる。
くだんの死亡記事では、森山さんは美唄の専修大北海道短大の元教授で、専門は「民衆史」であると書かれていた。また、北見の林白言文学賞の選考などにもかかわっていた。
それは正しいが、森山さんの活躍はそんなところにとどまらない。
軍治郎さんは文学者であって、月刊誌「北方文芸」の編集人を、川辺為三、鷲田小彌太 の両氏と3人体制で長く務めた(1985~96年)。
また、リベラル派の文化人でもあり、泊原発に対する反対運動などにも深くかかわっていた。
しかしまた、単純な「共産主義ばんざい」の人では決してなかったことは、言うまでもない。
軍治郎さんの主著は「ヴァンデ戦争」(筑摩書房)であろう。
ヴァンデ戦争とは、フランス革命に対抗して、フランス西部ヴァンデ地方に起きた反乱のことである。
この反抗が王党派を掲げていたことから、これまでの左翼的な進歩史観からは、フランス革命への「反革命」として否定的に評価されることが多かった。
しかし軍治郎さんは、革命軍が数十万人に対して行った、血で血を洗う残虐な弾圧ぶりを知り、革命(善玉)-反革命(悪玉)の単純な図式で歴史を割り切っていいのかと、問うのである。これは、近代というものを、根底から問う試みである。
その問題意識には、中央の意向に振り回される北海道という僻遠の故郷に対する思いもあったに違いない。
この本の奥付には、主要著書として「銅版画フランス革命史」という書名が挙げられている。
筆者は未見である。このブログにも無関係ではなさそうだから、一度は手にとってみたいものだ。
筆者は何度か軍治郎さんにお会いしている。長髪。めがねの奥のやさしそうな目を思い出す。
しかし、なぜか一番印象に残っているのは、10年以上前のある夏の日、ギャラリーユリイカの鈴木葉子さん、画家の永野曜一さんと3人で、狸小路のライオンビヤホールでのどを潤していたとき、軍治郎さんたちが店に入ってきたことだ。カルチャーセンターの教室かなにかの帰りらしかった。同席はしなかったが、愉快そうに話していた姿を、思い出すのだ。
晩年の軍治郎さんは文学に帰り、フランス革命史と自らの研究者人生を重ね合わせたような、滋味あふれる短編を発表していた。
しかし、先に名を挙げた川辺さんも、「北方文芸」の発行人であった澤田誠一さんも、北海道文学にまつわる論説をさかんに発表していた小笠原克さんも、道新OBとして発行を支えた山川力さんや関口さんも、すでに亡い。
「北方文芸」関係者でいまも健筆をふるっているのは、鷲田さんと木原直彦さんぐらいかもしれない。
時のうつろいをしみじみと感じる。
ご冥福をお祈りいたします。
これじゃいかんな自分とあらためて思います。