きのう、2010年1月31日は、札幌市写真ライブラリーの最後の日だった。
このサイトもすでになくなっていた。
http://scpl.jp/
閉鎖については、ウリュウユウキさんのブログ「豊平橋停留所」や
http://blog.livedoor.jp/asano_hisao/archives/51419892.html
ブログ「浅野久男写真通信」が
http://blog.yuukiuryu.com/archives/51608945.html
気持ちを込めつつも感情にながされずにきっちりと総括しているので、お読みいただければと思う。
筆者は仕事のため、その瞬間には立ち会うことはできなかった。
ただ、となりに「コニカプラザサッポロ」があった時代から何百回と足を運んだ場所だけに感慨深いものがある。
最後に開かれたのは、札幌と近郊の大学・専門学校の学生による「ここから ライブラリー最後の学生合同写真展」と、収蔵未公開写真展「アルバム・ラストページ」だった。
このライブラリーの最大のお客さんは、学生写真部だったわけで、前者のような企画は立てられて当然だろうと思う。
とりあえず、市民ギャラリーで写真展を優先的に開ける時期を設定するらしいが、これから学生さんたちはどうするのだろう(とりあえず札幌学院大の卒展はivoryのようだけど)。
さて「アルバム・ラストページ」は、なつかしかった。
最初に見た、琴似地区の空撮の写真説明に「この中にあなたのおうちはありますか」とあって、なんと、当時じぶんが住んでいる家のあったあたりが写っていたのである。
いまの農試公園には、まだ農業試験場があり、発寒と手稲の間には、広大な畑や牧草地が広がっていた。
ほかにも、石切山駅附近を走る定山渓鉄道、昔の真駒内、大通西1~4丁目にあった市営のバスセンター、「こどもの国」があったころの中島公園など、なつかしい空撮写真が多い。
中央警察署の前の北1条通は、分離帯が2筋あり、低速車と高速車を分けている。バスやリヤカーは歩道と分離帯の間を走り、乗用車は中央の車線を走るのだ。
五番舘(のちの札幌西武)の写真が何枚かあるが、これは吹き抜けがあって1階売り場が撮影しやすいためだろう。
ただ、この百貨店が「五番館」と書かれているなど、写真説明には問題がある。
「月寒東」が「東月寒」になっていたり(ただし、撮影当時は「東月寒」)、豊平橋が「南5条西4丁目」になっているのは、会場の人に言ったけど、ほかにも、北49条附近の石狩街道の空撮写真に「畑や原野」とあるのは、写っているのが屯田地区であるからこれは「水田」と書くのが正解だろうし、拓銀の本店のある場所は北1西3ではないと思う(大通公園に面しているから大通西3)。
というわけで、「さよなら」からだんだん話がそれてきたが、ここで展示された写真も含めて古い札幌の写真の保管作業は、今後も引き継がれていくらしい。
筆者も15年ほど昔、ここで旧ツイシカラ・メム(札幌東高の近くにあった)の写真を見せてもらって感動したことがある。
保存と記録はしっかり続けてほしいと思う。
ところで、この場所はどうなるんだろう?
■札幌市写真ライブラリー廃止が決まる(2009年4月)
■札幌市写真ライブラリーの行方は(2008年12月)
このサイトもすでになくなっていた。
http://scpl.jp/
閉鎖については、ウリュウユウキさんのブログ「豊平橋停留所」や
http://blog.livedoor.jp/asano_hisao/archives/51419892.html
ブログ「浅野久男写真通信」が
http://blog.yuukiuryu.com/archives/51608945.html
気持ちを込めつつも感情にながされずにきっちりと総括しているので、お読みいただければと思う。
筆者は仕事のため、その瞬間には立ち会うことはできなかった。
ただ、となりに「コニカプラザサッポロ」があった時代から何百回と足を運んだ場所だけに感慨深いものがある。
最後に開かれたのは、札幌と近郊の大学・専門学校の学生による「ここから ライブラリー最後の学生合同写真展」と、収蔵未公開写真展「アルバム・ラストページ」だった。
このライブラリーの最大のお客さんは、学生写真部だったわけで、前者のような企画は立てられて当然だろうと思う。
とりあえず、市民ギャラリーで写真展を優先的に開ける時期を設定するらしいが、これから学生さんたちはどうするのだろう(とりあえず札幌学院大の卒展はivoryのようだけど)。
さて「アルバム・ラストページ」は、なつかしかった。
最初に見た、琴似地区の空撮の写真説明に「この中にあなたのおうちはありますか」とあって、なんと、当時じぶんが住んでいる家のあったあたりが写っていたのである。
いまの農試公園には、まだ農業試験場があり、発寒と手稲の間には、広大な畑や牧草地が広がっていた。
ほかにも、石切山駅附近を走る定山渓鉄道、昔の真駒内、大通西1~4丁目にあった市営のバスセンター、「こどもの国」があったころの中島公園など、なつかしい空撮写真が多い。
中央警察署の前の北1条通は、分離帯が2筋あり、低速車と高速車を分けている。バスやリヤカーは歩道と分離帯の間を走り、乗用車は中央の車線を走るのだ。
五番舘(のちの札幌西武)の写真が何枚かあるが、これは吹き抜けがあって1階売り場が撮影しやすいためだろう。
ただ、この百貨店が「五番館」と書かれているなど、写真説明には問題がある。
「月寒東」が「東月寒」になっていたり(ただし、撮影当時は「東月寒」)、豊平橋が「南5条西4丁目」になっているのは、会場の人に言ったけど、ほかにも、北49条附近の石狩街道の空撮写真に「畑や原野」とあるのは、写っているのが屯田地区であるからこれは「水田」と書くのが正解だろうし、拓銀の本店のある場所は北1西3ではないと思う(大通公園に面しているから大通西3)。
というわけで、「さよなら」からだんだん話がそれてきたが、ここで展示された写真も含めて古い札幌の写真の保管作業は、今後も引き継がれていくらしい。
筆者も15年ほど昔、ここで旧ツイシカラ・メム(札幌東高の近くにあった)の写真を見せてもらって感動したことがある。
保存と記録はしっかり続けてほしいと思う。
ところで、この場所はどうなるんだろう?
■札幌市写真ライブラリー廃止が決まる(2009年4月)
■札幌市写真ライブラリーの行方は(2008年12月)