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北海道美術ネット別館

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網走を歩く・続き オホーツク小さな旅(88)=訂正あり

2013年07月18日 01時11分11秒 | つれづれ日録
(承前)

 1カ月以上遅れてこの記事を書いているので、情報としてはまったくもって役に立たないのだが、筆者が網走・天都山にある道立北方民族博物館に足を運んだのは、同館ロビー展として「北海道の写真館」をテーマにした展示が始まり、6月9日には、おなじテーマで北海道の地元誌「カイ」に連載を始めたライター・谷口雅春さんとカメラマン・露口啓二さんの講演が開かれたためなのであった。
 このコンビは、名著「札幌アートウォーク」を産んだ2人でもあるし、とりわけ露口さんには以前お世話になっているし、最近は朝日新聞「be」に連載コーナーを持っているなど活躍しておられるしで、お顔を拝見しなくてはと思い、出かけたのである。

 たしかに「写真館」というのは興味深いテーマで、これだけカメラが普及した時代になってもなお、家族の「晴れ(ハレ)」を記録するために、けっこう生き残っている。
 そして、古くから極私的な領域を記録しつつ、私的に徹することで、ある種の普遍的な歴史の記録につながっているところがあるように思える。
 ふたりがオホーツクの写真館を訪ねてまわると、けっこう古い写真が、眠っていたようなのだ。

 講演では、とくに露口さんが、古い写真のスライドを見せつつ、写真史について語っていた。
 とりわけ、日本の写真史で、田本研造が特権的に語られることについての話は興味深かった。
 1968年頃、田本への賞賛はものすごいものがあったようなのだ。
 
(※ 2014年9月。田本研三、になっていたのを直しました)




 ところで、写真館コーナーの横では、ウイルタ刺繍ししゅうサークルの展示が行われていた。
 いわれてみれば、アイヌ民族の刺繍と微妙に異なるようだが、いわれなければ気がつかないに違いない。独特の曲線など、非常によく似ている。

 筆者は専門家ではないので手短に説明するが、戦後、樺太がソビエトに占領されたため、そこに住んでいた日本人は北海道に引きあげてきた。その中には、大和民族だけではなく、ウイルタや、ニブヒという北方民族の人たちも交じっていて、おもに網走に住み着いた(昔はオロッコ、ギリヤークとも言ったが、いまは用いない)。日本にいる先住民族というとアイヌ民族は誰もが知っているが、ウイルタやニブヒのことはほとんど知られていない。
 網走のアイヌ刺繍は、ウイルタ民族の権利尊重に尽くしたゲンダーヌ北川の奥様義理の妹が地元で教えていらしたらしい。彼女はすでに亡くなり、彼女から直接教えてもらった人も少なくなりつつあるといい、継承が課題となっている。
(この段落、一部記述を訂正しました。申し訳ありませんでした)


 そもそも、ウイルタやニブヒの人々は、網走にまだどれくらいいるのだろう。
 そんなことすら、筆者は知らない。
 ふだん見聞きすることもなくなっている。

 この刺繍の展示会は、非常に多くのことを考えさせられた。



 この日は、北方民族博物館の学芸員や、弊社の網走支局員、斜里通信員などいろいろな人にお会いした。

 帰路は網走バスの「市内観光施設めぐりバス」で、天都山をおりて、網走駅へ。
 網走からJRで北見に戻った。


(この項終わり。オホーツク小さな旅の89へ) 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
刺繍の先生 (笹倉いる美)
2013-07-19 00:23:41
先月はご来館くださりありがとうございました。
刺繍の先生はゲンダーヌさんの奥様ではなく、義理の妹さんでした。
誤解させてしまう説明だったようで申し訳ありません。
返信する
Re:刺繍の先生 (ねむいヤナイ@北海道美術ネット別館)
2013-07-19 04:04:19
先日はありがとうございました。

申し訳ございません。ただちに直します。
返信する

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