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永山武四郎将軍之像 晩秋の旭川・その4 旭川の野外彫刻(61)

2021年12月06日 08時17分40秒 | 街角と道端のアート
(承前)

 旭川市永山地区の地名は人名に由来します。
 第2代北海道庁長官、旭川の旧陸軍第7師団長などを歴任した永山武四郎の姓からきているのです。

 もともとは屯田兵が開拓した「永山村」です。
 町制施行のあと、1961年に旭川市と合併しました。
 かつては農村でしたが、いまは北海道でも屈指の、大型のロードサイドショップが国道沿いにたち並ぶ地域になっています。


 
 常盤公園の前に私服の銅像がありますが、永山神社の境内にあるこの像は、軍服をまとっています。
 勲章の数もすごいですね。

 見る側をビビらせる威厳が漂います。






 永山武四郎は天保八年鹿児島県に生れ
 性格聡明にして明治五年開拓使出使ママ
 なり屯田兵の制定されるや北門の警備と
 開拓にあたりとくに上川地方の重要性に
 着眼し開拓の基礎を築いた
 明治二十二年屯田兵司令官に任ぜられ明治天皇の
 御親任殊に厚く第二代北海道長官も歴任され
 同二十九年初代第七師団長に就任よくその
 大任を果たしたその勲業まことに偉大である
 明治三十七年御逝去 大正九年永山神社に
 守護神として配祀せられる将軍は上川開発の
 代表的功労者であり永山村の開祖として
 永久に子孫に伝え遺徳を仰ぐべく敬神崇祖の
 念をもってここに永山神社創祀百年を記念し
 その偉業を回顧して功績を永く後世に伝えるため
 この像を建立する
   平成六年六月
        永山神社社殿改築奉賛会 


 常盤公園の前の像にある銘板の文章となんとなく似ています。
 天保期にはまだ鹿児島県はないのでは、とか、途中で部分的に敬語になっているのはなぜなのかとか、気になるところのある文章ですが。


 
 題字 永山武臣
 製作 (株)アルブロ
    (株)ビューティーストーンプロダクト

とあります。

 ただ、背面に回ると
「T.H」
とイニシャルが刻まれており、名前の明らかになっていない彫刻家が作ったものなのかもしれません。



 また、前項でも述べましたが「旭川の野外彫刻」シリーズの(54)から(60)を飛ばして、(53)「人間像・感情」の次が(61)になっていますが、これは欠番ではなく、そのうちにアップします。
 順番が前後してすみません。






過去の関連記事へのリンク
北村西望「永山武四郎之像」 旭川の野外彫刻(38)
永山武四郎像



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