アメリカ人形
私は1830年(天保元年)から1930年(昭和5年)までのアメリカ
の母親たちが作った遊び人形100点と人形に使ったキルトやベッド、
トランクなどの小物、70点のコレクションを持っています。ファッション
デザイナーの仕事をしていた時、アンティック屋を歩くたびに古い人
形のボディの作り方に興味を持ち、いつもスカートをめくってボディの
作り方を見ていました。
日本では手や足の関節のコネクションは、日本紙でつなぎ動ける
ようになっています。アメリカで庶民の母親たちが作った人形の体は、
立体裁断ばかりでなく関節の動き方に様々な工夫が施され、人形に
パテントがとられていたことは発見でした。
私のコレクションは1本の枝から作った人形に始まり、動く関節を考
え、座れるように工夫を凝らし、汚れを防ぐために縫いぐるみにオイル
ペイントを塗った人形、ペーパーマッシェの人形、陶器の顔付人形、マ
マーと泣き、眼をつぶる人形など次々にパテントを取り、人間の機能
に近づいていき、第1次大戦後は世界の人形インダストリーへと成長
していったアメリカ人形の機能の発展史でもあります。
アイデアはアメリカの資源といわれていますが、アメリカ人の生産
的アイデアを知るユニークなコレクションなのです。 公共の場所で
永久展示可能な施設を探しています。興味のある方はどうぞご協力
いただけますように人形と共に願ってやみません。20年以上日本の
倉庫で眠っている人形が箱から取り出され日本の皆様に公開できる
日を待っています。
小林恵アメリカ人形コレクションについて
コレクションの時代
1830年〔天保元年〕から1930年〔昭和5年〕までの100年間に作られたアメリ
カの遊び人形。人間の機能に近づくまで、パテント順に調査したコレクション。
コレクション数
人形100点他 ベッド、トランク、ゆりかご、乳母車、椅子、人形キルトなど
人形と同じ時代のものを70点余。
なぜ1930年までなのか
人形の関節が人間と同じように動くようになった後は、シャーリー テンプル
のようなキャラクター人形になります。キャラクターの調査は人形というより、
別のカテゴリー、大衆文化になります。
1本の枝から作った人形から、人間のキャラクターが人形に作りかえられる
前の人形機能の発展史です。1930年代のテンプル人形でコレクションを
締めくってあります。
なぜ遊び人形か
特別のものでなく普通のアメリカの暮らしの文化を見るには、一般市民の
好んだ普通のものから、当時の文化、センチメンタルな風習、インダストリ
ーなど、アメリカン気質を垣間見ることができます。
日本人形と異なる点
この時代までの日本人形の関節はほとんどが和紙で繋がれています。
パテントは次の新しいパテントを育みアメリカ人形の関節が人間のように
自由に動くまでパテントがとられています。
パテント
アメリカでは1793年以来、発明が法律的に登録、保護され、1836年の国
立パテントビューローが設立しています。パテントを取ることはビジネスで
あり、次のパテントは改良と進歩です。普通の母親がパテントをとっ
たアイデアと行動に注目してください。アイデアこそアメリカの資源と
言われるアメリカ人の生産的気質の表れです。たかが人形といえども産
業です。第1次世界大戦でヨーロッパの人形産業が壊滅したこともあり、
20世紀には世界を支配する産業に成長しています。
このコレクションについて各界の方々からいただいた評価は次の
通りです。
アメリカ人形の評価
故・エドウイン ライシャワー博士
(元駐日アメリカ大使・ハーバード大学教授)
アメリカ人形についてよく調査、研究したことに感銘を受けました。
アメリカの伝統文化を研究し、交流することは私がやっていることと
同じことです。有意義な仕事を続けられ、活躍と成功を祈っています。
故・カール フォックス
(元ネルソンロックフェラー フォークアートコレクションアドバイサー
豪華本「人形」の著者)
私が賞賛したいのは小林恵さんの確かな見識眼であり、アメリカ
人形史における地位は言うに及ばず、その特色と彼女の反応です。
選択はきわめてバランスが取れています。小林恵さんがアメリカ人
形の本を出版した最初の人であること、いづれ影響を受けてアメリ
カでも出版されるに違いありません。愛情と理解に満ちた入門書です。
故・ロバート ビショップ(元アメリカンフォークアート美術館館長)
アメリカンフォークアート美術館には1点のアメリカ人形のコレクショ
ンもないことに驚きました。誰も相手にしないアメリカ人形に焦点を当
てた事は「凄く進んだアイデアの持ち主」だと感嘆しました。
瀬木慎一(美術評論家)
日本には天保時代の人形は残っていません。歴史の浅いアメリカ
人形を時代別に集めたコレクションは驚異的なものです。しかも遊び
人形を集めた視点は素晴らしいと思います。
故・南博(心理学者)
ニューヨークのリンカーンセンター近くの恵のアパートを訪ねた人は、
その部屋が複雑で多彩な内面の世界が生き生きと反映していること
に眼を見張ることだろう。彼女の限りない創作欲は手造りのハープシ
コードを完成させた。その他数え切れない恵の手造りの品々が溢れ
ている。無限の想像力と知識欲が一つの対象に結晶したのがアメリ
カ人形のコレクションである。
なお、アメリカ人形の展覧会は1980年資生堂を始め全国10箇所
で展示され、横浜高島屋でアンコール展、又1986年には横浜人形
館で「アメリカ人形100点展」で展示しいづれも入場数の記録を作っ
ている。
小林恵著: 「アメリカ人形」 文化出版局 1980年
写真撮影:小川隆之
NHKで拝聴:中村照子
先ほどNHKラジオで初めて伺い感動しました。
私も同年生まれ同じ北海道と会って吃驚。現在は札幌で焼き物の仕事をしています。貴方様の決断と行動力に頭が下がりました。これから本など読んでもっとキルトや貴方様の世界を知りたいと思います。私は肉体労働が半分で、日用食器など作っていますが、日本人のキルトのあり方は陶芸にも通じる疑問があり貴方様の考え二共鳴いたしました。ラジオでの出会いですが今日はとても素敵な出くわしに嬉しく感謝しています。これからも時々NY通信楽しみにしております。
とても勇気付けられる嬉しい投書を有難うございました。間違いで前にアップしましたアメリカ人形が消えてしまい貴方のコメントも消えましたので申し訳ないので私が変わって再現しましたのであしからずお許しください。私がニューヨークで生きてこられたのもアメリカ人の率直ないいものはよいと評価するとらわれのなさだと思います。何であっても伝統はすばらしいと思います。しかし、日本の伝統の重さの弊害もあるでしょう。打ち破っていかないと進歩はありませんからお互いに努力していきましょう。ご健闘をお祈りします。
今年もご壮健でありますようにお祈り致します。
まず、ご丁寧にコメント再現していただき、感激です。有難うございました。
地下鉄の記事は心臓ドキドキしながら読ませて頂き胸が感激と驚きで一杯になりました。そうして何か深く考えさせられました。神様っていますね。
さて、この月の半ばチェンマイに遊び、宿の玄関の手摺に細長い太鼓を横にし利用してあった古物が一番眼に焼きつき昔のチェンマイの文化を忍ばせていました。タイシルクは染色の技術が劣っているのかスカーフを首に巻いただけで白いブラーウスは色が着いてしまいます。
今フワフワの優しい雪を窓越しに見ながらキーを打っています。
ニューヨーク・タイそうして氷点下の札幌と私の灰色の脳細胞は忙しく、初仕事の轆轤は珈琲カップ。
感謝を込めて。